(9) 決定的な差

 

 着順掲示板の3着の欄に、シクタンの馬番が点滅している。イアンはふぅとため息をつき、そしてグッと口を固くむすんだ。ギリギリと、歯の擦れる音が頭に響く。

 

 1着2着が写真判定で、まだ2着馬と3着との着差も表示されていない。着差が表示されるのは確定ランプが灯ってからだ。着差は出ていないが、とイアンは思う。

 

 ―― 8馬身か、9馬身か。あるいは大差か。とにかく、決定的な差だ。

 

 直線のあの位置から、あっという間にフレアに置いていかれた。本当にあっという間だった。あの2頭が別格だということは分かっていた。それでも、シクタンだってGⅠ2着馬だ。しかも、シクタンなりに最後は伸びていた。脚が止まったわけではない。その証拠に、クーレイやラッキーミストといった、牡馬の実力馬には先着しているのだ。

 

 ―― でも、エンジンが違いすぎる。

 

 認めざるを得ない。直線の短い中山で、向こうが鞭をポンとくれた瞬間ぶっちぎられたのだ。

 

 南條のやつ、とイアンは再び歯をギリギリ鳴らした。すごいパフォーマンスをしてくれたものだ。あれはどう考えても、わざとシルバーソードを待ってから追い出したのだ。シルバーソードの能力が最も引き出されるカタチにしておいて、そのうえで、それを上回る破壊力を見せつけて叩いたのだ。

 

 ということは、つまりは他の馬は眼中に入れてなかったということだ。シルバーソード以外には視界に入っていなかったのだ。まったく悔しい限りだが、しかし結局この結果だ。南條1人に周りの全員が踊らされる結果となった。

 

 イアンは検量室の中、離れた位置にいるアルフォンソに目を向けた。あいつも心底悔しいだろうに。今日はおれもお前も、世界有数のジョッキーなどではない。その他大勢の1人に、立場を落とされてしまった。イアンは鬼の形相のアルフォンソを見ながら思った。

 

 掲示板に確定のランプが灯った。1着フレアとシルバーソードの差はマルクが思った通りアタマ差だった。そのうしろ、3着のシクタンとは9馬身の差があった。

 

 障害レースを抜かせば、最長距離の3600メートル戦。そこでの、たったアタマ1つ分の負け。周囲から見れば、ツキがなかった程度に映るかもしれない。逆転可能な。

 

 しかし、これは実は決定的な差なのだ。引導を渡されたのだ。マルクは思い、イアン以上に歯をギリギリと鳴らした。

 

 フレアの南條は、わざと、末脚勝負の展開を作った。どうぞ、最もあなたの能力を活かしてください。遺憾なく発揮してください、と。そして、私はこの展開が得意ではないですが、それでもあなたを上回りますよ、というレースをされた。

 

 はっきり言えば、南條はシルバーソードを視界に入れていなかった。あいつの視界には、タイムシーフしか入っていなかった。今日のこのパフォーマンスは、タイムシーフに見せつけたものだ。シルバーソードは、スパーリングの相手に使われたにすぎない。

 

 テレビのレポーターが、レースコメントを聞きに来た。そんなものに答えたくないと立ち去ろうとしたマルクだったが、気が変わり、その女性レポーターに向いた。マルクが立ち止まってくれたので、彼女はホッとした表情になった。この敗者コメントを集めるのが、いつもひと苦労なのだ。

 

「壮絶なマッチレースで、最後惜しくもアタマ差、交わされましたが」

 

 マルクはサービス精神のあるアスリートで、洒落たコメントをすることでも知られている。自分のいる業界が少しでも活性化してほしいという意識を、常に持っているのだ。

 

 だから、負けて打ちのめされていたのだが、コメントを発することにしたのだ。ファンの見たかった、実力馬同士の一騎打ちのレース後を盛り上げるために。そしてまた、コメントを発することで、その他大勢の1人に落とされたことに対して、少しでも抵抗したかった。

 

 彼は通訳を呼んで一言伝えた。名言は的確に伝えなければならない。マルクから言葉を聞いた通訳は、レポーターに向かって短く、

 

「大差と同等のアタマ差でした」

 

 言った。そしてマルクと一緒にその場を去った。

 

 マルクの視界の端に、充実感溢れる表情でインタビューを受けている南條の顔が映った。

 

 

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