(6) エリザベス女王杯、確定
馬上から足首のバネだけでポンと、まるで曲芸のように宙を舞って下馬するアルフォンソ。これぞラテン気質という感じで、派手によろこびを爆発させる。この秋の参戦で初の、飛び降りパフォーマンスだ。
審議の結果とともに、写真判定も確定する。1着、トーユーリリー。チャプターテンをハナ差抑え込んでの勝利だ。
日本の騎手免許を取得しているマルクとイアンなら勝利ジョッキーインタビューは日本語だが、短期免許で来日しているアルフォンソは英語でのインタビュー。通訳が困惑するほどの早口でしゃべりまくる。
通訳は単に訳すだけではない。どぎつい言葉をソフトな表現に変えるのも大事な仕事だ。アルフォンソは「絶対負けたくない「奴」に先着できたことで気分がいい」とスラングぎりぎりの表現でまくしたてたが、「ライバルに勝てて光栄だ」に直して訳された。
しかし同じアルファベット圏で生まれたマルクには分かってしまう。元々生活語のうえに、すぐそばで生の声を聞いているのだ。分かるに決まっているし、アルフォンソも端から聞かせようと思ってしゃべっているのだ。聞いたマルクはカッカと血が頭に上り、顔が上気して真っ赤になった。
その一流ジョッキー同士のはげしい反目などまったく知らないまま、弥生は身の回りの片付けを終えて京都を去った。あと2週でこの年の京都開催は終わるが、今年はこの日で最後だろうと思い、振り返ってちょこんと頭を下げた。とにかく弥生にとって今年の京都はとても強く胸に刻まれるものだった。2週連続のGⅠ勝利に、3冠奪取!
その翌日、早朝に岡平先生から電話があり、たたき起こされた。すぐ来いという。
「もしかして、タイムシーフになにかあったんですか?」
「いや違う。でもまぁとにかく、すぐ来い」
岡平師の口調に慌てたところはない。とりあえず悪いことではなさそうだ。弥生は上着を羽織ると厩舎に向かった。
すぐそばまで近づいたところで、ピタッと足が止まった。岡平師と一緒にいるのが空智嬢だったからだ。
―― うわぁ、トレーニングセンターにまで追っかけてきて怒るつもりかぁ。
弥生はズシーンと気が重たくなった。しかし、
―― 今日は怒らないわよ。そんな陰湿に引きずる女じゃないのよ、私は。見くびらないでっ!!
弥生を見つめ、笑顔を浮かべながら言葉を送ってきた。
―― はいはい、それは。で、今朝はなんのご用件でしょうか?
ぞんざいな口調の言葉を送る。しかし顔は笑顔で、実際の言葉は、
「おはようございます。昨日はありがとうございました!」
だった。
「お前、また今週の月曜も約束してたんだって? 寝坊なんかして、失礼だろ」
岡平師が叱責する。弥生は、
「約束なんかしてません! このひとが勝手に来たんです」
と言ってやろうかと思った。しかし、
―― 約束なんかしてなくて勝手に来たんです! なんて言うなよ。
と、一瞬早くフォックストロットが弥生の頭に言葉を送ってきた。先回りしてクギを刺されてしまい、弥生は仕方なく、反論を引っ込めておとなしく謝った。
「じゃあ、おれはちょっと用事があるから」
岡平師はそう言って去っていった。
「で、なにしに来たんですか?」
2人になったので、弥生は声に出して言った。
「ま、そんなに不機嫌にならないで。3冠アイドルジョッキーなんだから、ムッとしても顔に出しちゃだめよ。さっきも言ったけど、昨日のことを怒りに来たわけじゃないわ。とにかくタイムシーフの元に連れていって」
「えっ、馬房にですか?」
「そう」
―― いったいなにを考えてるんだ、このキツネ女。
そう思いながら、弥生が先導してタイムシーフの元に向かった。
近づくと、いつもは弥生にじっと目を向けるタイムシーフだが、今日は空智嬢をじっと見ていた。そして目の前に立ち塞がれるまで、一瞬も目を離さなかった。
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