(5) 弥生が審議対象
猛然と追い出す弥生。4コーナー手前で先頭に立って直線入り口で2馬身くらい突き放すという組み立てをしている。
もちろんここでむりに脚を使うことで、ゴール前に止まってしまうだろうと覚悟はしている。しかし競馬はなにが起こるか分からない。リードに気をよくしてエクレールが二の足を使うかもしれないし、離されたことで相手が戦意喪失してしまうこともある。とにかく、これがいちばん勝ちやすい乗り方なのだ。
エクレールはいい伸びをしている。これなら、とにかく先頭には立てるだろう。弥生はもう1頭交わす。
「あっ!!」
馬体3頭分外をまわっていたシクタンが、ぐらっと内に切れ込んできた!
しかし勢いのついたエクレールは止められない。弥生はそのまま内を突っ込む。勢いのなくなっていたシクタンが弾かれた。
これが、もう少しうしろを走っていたり、ここまで勢いがついていなかったら、シクタンの外に出す余裕があった。しかし追い出しているとき、目の前で寄られたのだ。弥生としてはどうしようもなかった。
シクタンはその外の馬にもぶつかる。弥生は横目でチラッと見たが、そのまま直線を追っていく。
―― やっちゃった!!
おそらく審議のランプが点いていることだろう。一瞬のことでどうなったかは分からない。被害馬かもしれないし、加害馬かもしれない。しかし審議の該当馬であることは確かだ。
それでも、レースを疎かにはできない。弥生はひたすら追う。とにかく今は先頭だ。
―― でも、どうなるんだろう。
不安はどうしてもぬぐえない。せっかく先頭でゴールしても降着させられてしまうのだろうか。それじゃあ今追っている意味がなくなる。それどころか悔しさが倍加してしまう。
その心の乱れが影響したのかもしれない。ゴール100メートル手前でシトリンエクレールの脚色がガクンと落ちた。
馬場の中央を追っていたチャプターテンとトーユーリリーがまず交わす。さらにはトキノザッセンにも。結局もう1頭に抜かれて5位入線となった。
審議対象となったジョッキーはゴール後、みんなうつむき加減で1コーナーに向かうなぁ。弥生はモニターを見てよく思っていたが、自分もまたそうなっていることに気が付いた。並足の馬上で、しぜんに首を折ってうつむいている。
シクタンが何着でゴールしたのか気になった。もし加害馬として降着になったとしたら、シクタンの次の着順に落ちるのだ。
仮に騎乗停止8日間を受けたとしたら、土日が対象なので4週間。ジャパンカップは乗れなくなってしまう。
今日は曇って肌寒い日だが、冷や汗が出てくる。馬券対象になっていなくてよかった。それが、検量室へと戻っていくときの弥生の正直な気持ちだった。
「第4コーナーで……」
戻っている途中、審議の加害馬が自分だと弥生は知った。さっきの3倍、冷や汗が噴き出した。身体全体がカッと熱くなる。
もしかしたら迷惑をかけてしまうかもしれないのに、調教師と馬主はお疲れさんとまずは労ってくれた。しかしそのうしろにいるか弱い(ように見える)女性だけはちがった。
―― バカな騎乗してっ! 他の馬の様子もかまわずインを突っ込んでいくなんて!!
頭の中がキャンキャンと鳴った。
―― そうですね。すみません。
本当は、この前あなたが挑発するようなことを言うからアツくなってしまったのよ! と言い返したかった。しかしエクレールに乗れるよう骨を折ってくれたのは彼女だと自分を言い聞かせ、おとなしく謝っておいた。
―― まぁあなたが降着くらうことはないでしょうけど、それにしても軽率な騎乗ね。
―― えっ、降着は大丈夫なんですか?
生前は競走馬で、超常的な能力を持つフォックストロットが言うなら確かだろう。弥生は瞬間そう思い、安堵した。
―― 分からないわよ 。むしろあんたが降着になった方が、タイムシーフのジャパンカップ出走がなくなっていいかも。
ひどいことをいうなぁと弥生は思ったが、たしかに自分が騎乗停止になれば、おとうさんは岡平先生とモトさんに疲れた仕草を見せつけそうだ。キツネ女の考えも一理あるなと、弥生はチラッと思った。
弥生は淡々と、レース後にやるべきことをこなしていった。関係者にお礼してお詫びし、鞍をはずし、それを持って検量し、手や顔を洗う。
それから数分後に場内放送が流れる。審議の結果についてだ。
「審議をいたしましたが……」
この「が」を聞いて、弥生は心の底から安堵した。この「が」が入っているときは、着順どおりで確定したという文言があとに続くのだ。
―― よかったぁ~~。
と思った弥生だが、それならもっとしっかり追っていればよかったと、反省した。迷いある騎乗のせいで、ここまで着順が落ちたのかもしれないのだ。
―― 騎乗停止にならないでよかったわね。いいことを教えてあげるわ。今回の遠因は、バテたシクタンを上手いこと内に押し込めた雉川よ。あの男はあんたのことをよく思っていないみたいね。敵は四方八方にうじゃうじゃいるわ。一瞬でも気を抜いてはダメなのよ。分かった!?
杭山氏のうしろのにこやかな空智嬢が、頭の中に叱責を流し込んできた。その語尾は、怒鳴るように強調したものだった。
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