(4) 京都2200芝、エリザベス女王杯

 

「まぁ気楽に乗ってこいや。その方がいい結果が出るから」

 

 岡平先生には、そう送り出された。馬主の杭山氏もそうだし、調教師からも同じような言葉をかけられた。タイムシーフのときの緊迫感とは正反対の雰囲気だ。

 

 日曜の京都で、弥生はメインのエリザベス女王杯まで2鞍しか騎乗がなかった。それに比べて一馬は8鞍。しかも午前中に2勝していた。

 

 ―― すごいなぁ一馬は。きっと来年はリーディングを争う一角に入っていくんだろうなぁ。

 

 午前中9着、12着の弥生は羨望の眼差しで引き上げてくる一馬を見つめた。対する自分はというと、先の見通しは明るくない。コマイは今年いっぱいで引退を決めているし、シトリンワンは骨折で長期休養に入ってしまった。オープン馬のお手馬がいない状況だった。せめてトキノザッセンがエリザベス女王杯ではなくマイルチャンピオンシップを使ってくれたらと、つい愚痴っぽく呟いてしまう。

 

 それだけに、お手馬のGⅠ馬であるシトリンエクレールは活躍してほしかった。しかしフォックストロットが言うように、常に好走するだけの力はなさそうだった。現にファンからの評価は低く、同年の秋華賞馬なのに10番人気だった。

 

 1番人気は前走秋華賞を1番人気で無念の3着となったチャプターテン。前回の騎乗法をめぐって陣営内でもめ事が起こり、マルクを降ろして一馬を乗せるところまでいったが、結局馬主サイドが矛先をおさめてマルクに戻っていた。チャプターテンはトレミーと同じ馬主で、高額の有力馬を揃えるが騎乗法にまで細かく口を出すことで有名だった。一馬がトレミーの宝塚惨敗を悔いているのは、ここにまであとを引いているからだ。調教師がチャプターテンの代打を一馬に指名したとき、トレミーのことがあるのでいい顔をしなかった。マルクに騎乗が戻ってしまったのは、そのこともあったらしいと、弥生は風の噂で聞いた。

 

 2番人気はアルフォンソのトーユーリリー。秋華賞では4着だったのに、エクレより評価が上。でも実績馬なので、それはいい。もっと驚きなのは3番人気がシクタンということだ。秋華賞ではエクレと同じ程度の人気薄で、実績もない。なぜここまで人気が跳ね上がったのかというと、鞍上がイアンに変わったからだ。外国人トップジョッキーの信頼度は、オッズを変えるほどに高いのだ。

 

 一馬のコネココマチは13番人気。弥生より人気がない。一馬はまだ、オッズを捻じ曲げるほどの信頼度はないようだった。

 

 午後の第5レースから準メインの第10レースまで勝利ジョッキーは、イアン、マルク、マルク、南條、アルフォンソ、そして一馬。弥生はうらやましくてため息が出る。騎乗がないので負けることすらできないのだ。

 

 京都のアップテンポのGⅠファンファーレが鳴り、エリザベス出走の18頭が続々ゲートインしていく。スタンド前の発走なので、スタート前からかなりの歓声。大外18番の一馬が最後に入って、数秒のタメののちにゲートが開いた。

 

 行かないことに決めている弥生はグッと手綱を絞った。4番枠なのですぐさま外から被されて後方になる。

 

 シクタンが逃げる。しかし離し逃げではなく、わりあいダンゴ状で進む。大歓声のなか、1コーナーへ入っていく。

 

 弥生は馬込みのなか、前の馬にピタリと付ける。こうやって馬が前へ前へと行かないようにするのだ。折り合いをつけて余力を直線に残し、最後の直線で爆発させる、模範的な競馬。馬群に入れるのは暴走するおそれを少なくするが、その代わり直線で出るに出られず脚を余して負ける場合もある。

 

 弥生が逃げなかったことで逃げがシクタン1頭となり、ペースが落ち着く。スローペースであればあるほど、逃げ馬に余力が残って楽な展開になる。それを読んだチャプターテンが向こう正面で早めに上がる。元々先行馬で、2着のオークスでは4、5番手を進んでいた。

 

 トーユーリリーがチャプターテンに並びかける。それを見てトキノザッセンも。第3コーナーの丘に向けて上り坂だが、1番人気が動いたことでペースが上がる。

 

 第3コーナーから下っていく。そこでシクタンが後続を少し離す。セオリーでは、ゆっくりと進めなければならない場所だ。しかしイアンが乗ると、それこそがセオリーのように感じてしまう。

 

 そして弥生もここで上がる。せまいところをこじ開けて進出する。

 

 ―― あなたに騎乗技術あるかしら?

 

 フォックストロットの言葉が頭によみがえる。できるかどうか見ててもらおうじゃないの! 弥生は順位を上げていく。

 

 エクレールの反応はいい。やっぱりGⅠを勝つだけの力は備えている。4コーナーで他馬を出し抜いて2、3馬身先行すれば、けっこう押し切れるんじゃないか。たしかに秋華賞より200メートル長いエリザベスの2200メートルは外回りコースを使うので直線も長い。しかしエクレールは先行してしぶとい脚を持っている。これがベストの騎乗法だ。

 

 坂でスピードを増すエクレールを、強く追っていく。シクタンが追いつかれて2番手に並ばれている。固まっている分、前は近い。これなら、と弥生は思う。前はあと5頭程度。

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