第442衝 悼亡の鑑連

 博多に戻らず新宮の港で船を降り、急ぎ立花山城へ戻った備中。が、城内に鑑連は不在で、大宮司妹の屋敷へ行っているという。さらに、統虎率いる戸次隊は既に出陣し、宗像郡を経由して遠賀郡、鞍手郡東部方面へ向かったという。この遠征の最終目的地は、豊前田川郡の香春岳城となるはずだった。


 佐嘉・薩摩大戦の隅っこでの作戦とは言え、国家大友にとって極めて重要な軍事行動であるはずだが、鑑連は出陣せず、大宮司妹の付き添いを続けているという。そう聞いた備中の心は、茫と救われた。


 再び、大宮司妹の屋敷へ向かった備中、やはり鑑連はいた。看病疲れの様子も無さそうなので、早速大島での報告をする


「申し訳ありませんでした。大宮司様から言葉を引き出すこと、叶いませんでした」


 平謝りの備中だが、鑑連から叱責を受けることは無かった。鑑連自身、明確な指示を出していなかったこともあるのかも、とホッとする備中に、


「氏貞の様子はどうであった」

「お、お苦しみは深いようだと、思いました」


 鑑連は頷き、備中を促して屋敷の外に出た。そして、声低くして曰く、


「病状が改善するかは、本人の気力次第、と医師は言うが、親兄弟の支援無くてはそれも困難かもしれん」


 健康優良である備中も、病の時は身内の心遣いだけが頼りだったことを思い出す。


「で、では……」


 鑑連は何も言わない。このままでは大宮司妹の病が改善する見込みは無い、ということだ。大島で、せめて大宮司からの手紙でも所望することができたら、と後悔する備中、押し黙っていると心を読んだらしい鑑連が声をかけてくれた。


「それも難しかろう。氏貞が宗像大宮司家の強硬な連中と行動を共にする以上、またワシの書状に対する返答すら無い以上はな」

「はい……」

「ワシが付いていてやらねばなるまい」

「……はっ!」


 鑑連が示した人道に、感動止まない備中である。側室とは言え夫婦、二人の間でしかワカりえない想いが、鑑連にそうさせているようにも思えた。情勢がそれをいつまで許してくれるかは誰にもワカらないかもしれないが、鑑連の代理として軍勢の指揮を執る後継者は育っているのである。筑後方面は鎮理が守っている。吉弘一族の不首尾が無ければ、鑑連は大宮司妹の側に寄り添い続けることができる。


「容体が持ち直すまで、しばらくワシはここに滞在する。備中、貴様も隣の屋敷で寝泊まりをしろ」

「承知しました!」


 殿、貴方様は正しい道を歩んでいる、という眼差しを鑑連へ向ける備中。それを気に留めない様子の鑑連、話を変えて曰く、


「博多で、神屋はしかと対応したか」

「は、はい。お父上が万事手配をお整えになりまして……」

「貴様も船も、迷わなかったようで何よりだ」

「博多から大島へは、すぐに着きましたし、私自身も左衛門の地図のおかげで……そう言えば左衛門は統虎様について出陣ですか」

「いや別だ。今は宗像郡に入っている」

「……宗像郡ですか」

「そうだ。こんな時に、謀反を煽動する連中は現れやすいからな。これ以上人質を取る必要はないが、引き締めは必要だ」

「……」


 こんな時、というのが何を指しているのか、自身が鑑連へ向けた尊敬の思いが裏切られることを恐れ、それ以上の質問を差し控えた。そう、鑑連はこんな時でも、醒めた考え方ができる人物なのだと、勝手な願望は禁物であることを久しぶりに思い出す備中であった。



 それから侍女たちとともに、鑑連自身も看病をする日々が続いた。鑑連の作戦本部も立花山城から青柳の地へ移るが、大宮司妹の屋敷に立ち入る許可を得ていたのは備中のみで、その他の者は絶対に許されなかった。大宮司妹の名誉を重んじる、鑑連なりの配慮に違いないが、それでも戸次家の侍女も、宗像家から来た侍女もたちまちの内に鑑連の完全な統率化に置かれ、効率的な看病体制が敷かれた。


 そして、蝋燭の灯が、夜通し大宮司妹の部屋で容体を見る主人の姿を照らす。備中の忠誠心は否が応でも高まるのである。


 もちろん、この緊急時において、鑑連が万事から目を離すことは許されない。相変わらずあらゆる情報が鑑連の下へ集まっていた。看病と政務の多忙も、まるで疲労にはならない様子で鑑連曰く、


「豊前の戦はまだ終わらんか。だが、能無しのセバスシォンをクビにするには、義統にはまだ功績と力が足りん」

「安芸勢に動きなしか。これはもしかして羽柴筑前守と和睦をしてしまうかもしれんな。そうなれば、義鎮の外交など何の意味も持たなくなるぞ」

「何?藤北にも吉利支丹が増えているだと?鎮連に書き送れ、軍勢が維持できれば何でも構わんからそちらで好きにしろと」


 普段と変わるところは無かった。そして、目下最大の関心事である以下の報せが入る。


「佐嘉に集結していた軍勢約三万、海路島原方面へ出陣したとのことです!」


 青柳の仮屋敷に出入りしている幹部連も、緊張を深める。


「島原はついで、目指すは肥後八代だ。この軍事活動からは目が離せんな」

「それよりも佐嘉勢が、というより佐嘉の頭領が出陣したのだ」

「近年、息子や家来に任せて、戦場に出る機会は減っていたしな」


 ふと、それは鑑連もそうだが、と独り言ちた備中。ともかく、鑑連の戦略は予定通り動いている。佐嘉勢と薩摩勢が争う間に、筑前を取り戻し、豊前奪還の端緒を得ることが出来れば、何より重畳ということになる。


 また、今、鑑連は義統公と連携して動いている。本国豊後における義統公の権力基盤が強化されれば、分裂した国家大友を建て直すことにもつながるのだ。鑑連の戦功と軍事的才能でそれを為す、というところが、まるで軍記物語のようではある。


「統虎様の進軍状況は?順調のようだと聞いているが」

「直方川を進み、早くも鷹取山城に到着したらしい。今のところ、秋月種実だけでなく、宗像の残党も、麻生勢も手を出していない」

「無理もないさ。ヤツら弱っているだけでなく、佐嘉勢と薩摩勢の戦いの結果を見定めようとしているのだろう。今は手を出すまい」


 幹部連の一人が情感たっぷりに曰く、


「龍虎相打たんとする今、彼らは隅に佇む我らが殿について、どれだけ意識しているかな。薩摩勢はともかく、龍造寺山城守は気になって仕方がないはずだ」


 そう聞いて、龍も虎も、隅に佇むのが悪鬼であれば、見過ごすことはしないだろうと、気にかかる備中、話に割り込んで曰く、


「佐嘉と府内の間で、使者の行き来など、確認されていますか」

「いいえ、格別な報告はありません」

「で、では薩摩とは……」

「薩摩勢の使者が豊後に入ることなど、今やそうそうありません。やはり報告は無しですね」

「……」

「備中殿、それが何か」

「い、いえ。別に」


 本国豊後が佐嘉や薩摩と交渉を持つ道を閉ざしているのならば、肥後での戦線が膠着した時、どちらも鑑連へ使者を送って来るのではないか。龍造寺山城守にとって鑑連は現在の和睦締結時の相手であるし、薩摩勢にとっては、日向における当事者でない鑑連は話が通りやすい相手だろう。これから忙しくなるかもしれない、と覚悟を新たにする備中であった。



 いつだって、物事とは、後から思えば急に起こり、動くものである。その日、備中はそれを痛感することになる。未明、大宮司妹が亡くなった。一進一退の病状であったため、急な死に一同愕然とする。屋敷から、女たちの弱々しい泣き声が起こる。鑑連の献身的な看病の甲斐なき最期であった。


 それでも鑑連は、大宮司妹の最期の呼吸を看取ることができた。困難な夫婦関係にあって、せめてもの慰めになるはず、と主人へ心からの弔辞を述べようとする備中だが、舌が思うように動かない。この頼りない年来の家来を見て、それでも鑑連は無言のまま、姿勢を崩さずに、その肩を静かに叩いた。

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