第441衝 思置の鑑連

 一つの報せが、立花山城に戻った鑑連を待っていた。それは大宮司妹の具合が良くない、ということであった。両家開戦以後、伏せっていたが、


「どう良くないのか」

「医師が言うには……」


 報告を受けた鑑連は、ただちに城下の屋敷を見舞いに向かった。こんな時、もちろん内田と備中もついて行く。屋敷の前で待つ間、大宮司妹に係る話をするのも控えられた。鑑連がすぐに出てこない上に、その大きな声すら聞こえてこないと言うことは、相当症状は良くないのだろう。思えば実に気の毒な女性である。


 狂気を囁かれ、嫁ぎ先も無い中、半ば人質として、鑑連の側室に収まった。しかし、相手は女とさざめきあう場面が想像不可能な鑑連である。備中の視線からだと常に士君子として振る舞い続けてきた鑑連だが、子を為させることもなく、良い保護者ではあっても良い夫であったとは言い難い。男女にはあまりにも大きな違いがあった。


 初春といえ、夜は冷える。やはり蓑をまとって屋敷に一人入ったままの鑑連を待つ近習衆。蓑虫のようになった内田が近づいてきて、小さな声で語る。


「やはり、殿はお優しいな」


 病と聞いてすぐに駆けつけ、夜通し看病をするのだ。確かにその通り、頷く備中。大宮司妹に対しては鑑連なりの思惑もあるのだろうが、故郷を離れて、夫が兄を追うという悲劇の中、病に苦しむ女を介抱しているのだ。しかし、である。


 宗像大宮司の復帰を許せば、大宮司妹の病状は快方に向かうだろうか。例えそうだとしても、鑑連はそうしないはずだ。側室とは言え、十年以上鑑連を識る大宮司妹には、それもワカっているのかもしれない、と備中は考える。


 その上で、女が兄宗像大宮司との和解を鑑連に願うか否かまではワカらないが、それもまた事態の改善に繋がらないということは確信的に確信できるのであった。



 夜明けとともに、鑑連が屋敷から出てきた。予想通りというか、いつもの鑑連であった。


「備中」

「は、はっ!」

「これを持って直ぐに博多へ行け」


 鑑連は備中へ二つの書状を手渡して、


「一つはワシから神屋宛、もう一つは、氏貞宛だ」


 鑑連が何を言っているかワカらない備中だが、


「神屋に会って書状を渡せばワカる。すぐに発て。今すぐにだ」

「しょ、承知いたしました」


 すると内田が腕を掴んで曰く、


「神屋の屋敷の場所はワカるか」

「ワ、ワカりません」


 すると何も言わず、タラヨウの葉をもぎって緻密な図を描いて渡してくれた内田。


「あ、ありがとう」

「神屋親子に弱気は禁物だぞ」



 内田の助言を頭の片隅に、馬を走らせながら備中は感じたことを整理していた。朝、屋敷から出てきたのは、大宮司妹にひたすら親切な鑑連であった。全てを話さない鑑連だが、宗像大宮司宛の書状の差出人は、恐らく大宮司妹で、もしかすると兄宛の遺書なのかもしれない。


 ふと、かつて離縁され豊後を去った入田の方の後姿を思い出した備中。女への哀れみか、鑑連に善行を積ませたいからか、ともかくも博多を目指し一心不乱に進んだ備中。復旧著しい博多の町を進み、神屋の屋敷に飛び込んだ。すると、何度か見た顔の男が出てきた。


「倅は堺へ行っており、しばらくは戻りません」


 という事は、親父の方だろう。すでに倅に家督を譲っているようだが、鑑連との会談で首座を占めていたこともある人物であり、備中には好都合であった。


「主人鑑連から、急ぎの書状になります」

「あ、あの」

「そ、そうです。あの御仁からの」


 嫌そうな顔をすぐに引き締めた神屋殿、書状に目を通すと、ため息をついて、


「仕方な……いえ、承知しました。すぐに船を出します」

「えっ?」

「えっ?森下様を大島へ運ぶよう、伯耆守様からのご指示でしょう」

「げっ!」


 ということは、鑑連は備中に、宗像大宮司へ会ってこいと命じていたということであった。直接大宮司妹の書状を届けさせるために。しかし今、国家大友と宗像大宮司家は敵対している。大島は大宮司とその支持者の逃げ込んだ先であり、殺されはしないだろうかという恐怖が備中を襲う。そして、鑑連の側室への親切に涙が出そうになる。


「伯耆守様の命令に背くわけには行きませんので、すぐ出発です」



 老神屋の配慮の結果、翌日、備中は宗像大宮司の前に首を垂れていた。


「え、謁見をお許し頂き、誠にありがとうございます」


 厳しい表情を崩さない宗像大宮司とのその家臣たち。それは書状を差し出しても変わらないが、この大宮司妹の書状がなければ、大島への上陸すら許されなかったかもしれない。


 書状に目を通す宗像大宮司の顔には、疲労の色がありありと浮かんでいた。妹を側室の身分で人質に差し出したのに、行き違いからこのような事態になっているとはいえ、解決の糸口が見いだせないのだから当然だろう。


 顔を伏せているのに、大宮司を支える衆の刺すが如くの視線が身に沁みる。彼らの敵愾心は、大変強い。敵意を身に受けていると、鑑連と大宮司の争いの口火を切った家中の過激派たちに囲まれて真に不幸なのは、大宮司なのだろうとも思えてくる。


 となると、彼らは大宮司妹の存在を、和睦のきっかけではなく、哀れによる憎悪の増幅に使うのではないか、という嫌な予感が現れる。大宮司自身が如何に妹を大切に思い、病を払うために和睦を望んだとしても、自身の意志を押し通せないのではないか。


 付和雷同とは違う。兄妹であるよりも前に、古来より綿々と続く祭祀宗団の長としての判断に迫られているのだとしたら……。


 年始挨拶で緊張を隠せていなかった大宮司、臼杵弟の葬式に出席した大宮司、日向の大敗の後、裏切らないと誓紙を持参した大宮司、立花山城でぼにゃりとしていた備中を気遣って声を掛けてくれた大宮司が目の前に居る。だが、一言でも述べる気配がない。


 鑑連にさらに催促されて続けて差し出した誓紙は、理不尽な戦によって破られた。理不尽の側に立たねば、大宮司としての神通力を維持できないということもあるのか。


 運命を危惧した備中。大宮司から和睦の言葉をなんとか引き出そうと試みる。仮初のものでも良い。何か鑑連と心通じ合えるものがあれば……大宮司妹の書状がそれであり、勝るものは無い。


 それからしばらく、宗像大宮司は無言のままであった。我慢できずに備中、思わず顔を上げ大宮司の目を覗く。すると、そこには諦めの感情が漂っている。察する感情は、悲嘆と絶望であった。


 粘った備中だが、宗像大宮司が何も言わない以上、どうすることもできない。日も暮れて、宗像家臣により追われる如く、大島を去るのみであった。



 鑑連が作った好機を大宮司も誰も活かせなかった。また、鑑連自身も、控え目な手を差し伸べるには遅すぎた。


 慚愧に堪えない森下備中、脳裏に浮かんでは消えを繰返す入田の方の後ろ姿に苛まれながら、船に揺られるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る