第334衝 領会の鑑連
鑑連が志摩郡・柑子岳城を救援に向かった後、珍しく立花山城への留守番を仰せつかっていた備中は、反乱の数多さに動揺を隠せないでいた。
筑前諸将が反旗を翻した理由は幾らもあるだろう。過去の恨み、義鎮公の不適切な振舞い、鑑連の不適切な振舞い、日向での大敗と国家大友の軍事力の低下、有力武将たちの死……
備中は、立花山城を取り巻く状況を紙に書き出してみる。すると、
☆
←宗像勢・麻生勢
立花山城
→
原田勢
↑ ↑
筑紫勢・佐嘉勢 秋月勢
☆
「うーん、敵だらけだな」
いくら無敗の印象を維持し続けている鑑連であっても、これは地の利、人の利を欠いているとしか言いようがないのではないか。
今後の展望について考えて、暗い気持ちでいると、人がやってきた。
「申し上げます。宗像氏貞様、年始のご挨拶にお越しです」
「えっ!だ、大宮司殿?」
「はっ」
驚いた備中だが、喜ばしい話でもある。宗像郡が敵に回らなければ、天が鑑連をまだ見放していないとも言えるし、それに続き地と人の利もついてくる、という気がするのだった。先ほどの落書きの、宗像郡方面からの攻撃は無し、と修正を加え、
「この旨、すぐに殿にお伝えしなければ。行ってくれる?」
「はっ」
急ぎ鑑連に使者を飛ばした。そして鑑連が主だった幹部を引き連れて出撃している以上、誰かが宗像大宮司の相手をしなければならないが、その時、備中にとって最も恐ろしい事実が判明する。
「……あっ!」
居残り組の中で、何を隠そう森下備中が最も高位の戸次家家臣なのである。自分自身が対応するしかなかった。応接の間にて畏まりて曰く、
「森下備中殿か」
「お、お、恐れいりましてございます」
神職にある人物からは、強い威厳を感じずにはいられない備中。実際に、佇まい清楚な人物である。
「しゅ、主人鑑連は現在不在にしておりまして」
「年始の御多忙の折に気の利かない事で、申し訳ない」
「は、はっ」
汗を垂らしながらも備中は思う。この人物も、永禄期における反大友陣営の有力者の一人だった。今の事変について、素知らぬ風だが、もしかすると全てを承知で偵察に来ているのでは無いか。
「……」
「……」
だが、そうも見えない。隣りの宗像郡に住んでいて、反乱騒ぎを知らない筈がない。国家大友の日向での大敗北も承知のはずだ。それでいてのこの姿勢、敵対する意志が無い旨を示しているのではないか。大宮司にとって、鑑連は妹の夫なのだから、争いは避けたいと願うが人情だ。鑑連なら、自ら出向いてきた義弟に対して、どう振る舞うか、考えてみる。
「……」
考えた結果、備中は、鑑連の行動を詳かにすると決断し、宗像大宮司に伝えた。秋月勢と筑紫勢が岩屋城を攻めている事、同時に原田勢が騒乱を起こし、鑑連はそれを鎮圧するため西に向かった事……すると、大宮司は節制を保って曰く、
「そうか。鑑連殿ご自身が出陣しているとは知らなかったが、彼らの動きについては聞いている。何せ、誘いもあったもので」
「ええっ!」
鑑連ならこんな声は上げたりしない、とワカっていても、情けない声が出てしまう。それでも、大宮司は備中を値踏みする素振り無く曰く、
「今日参上したのは、その上で、宗像は大友家の敵に与するつもりは無いことをお伝えするためでもある。どうぞよしなに」
そう言って大宮司は、誓紙を取りだし備中へ手渡した。見れば、宗像家で知られた人物たちが名を連ねている、大友家に逆らわない、という内容だった。これを受け取ってよいものか。相手が差し出したものなら、受け取らないのは非礼だし、自分がそんな外交に首を突っ込んで良いものか。第一、鑑連は薦野を使い、宗像方面については警戒を怠っていないのである。預かる、という程でお茶を濁した方が、自分自身への負担は発生しないはずだった。
「……」
「……」
小さな緊張が走っている。
「……」
「……」
誓紙に目を伸ばす備中を、宗像大宮司は気にしている様子だ。受け取らないのでは、と考えているのだろうか。だが、話で言及はないが、国家大友は危機的状況にあるのは間違い無いのだ。ならば、味方あるいは敵ではない人物は多いに越した事はないはずだ。
よって森下備中、悩んだ末に、自分にはそんな権限が無い事を百も承知で、誓紙を受けた。預かるのではなく、正式に。鑑連ならそうするだろう、と。
「だ、大宮司様。ありがとうございます。しゅ、主人鑑連も、きっと喜ぶはずです。以後もどうぞ、鑑連の助けになって頂ければと存じます」
ここで初めてニッコリ笑った大宮司であった。
「では、これで失礼する」
「よ、よろしいのですか」
大宮司妹に会わず良いのか、と備中は気になったが、考えてみれば、この微妙な時期に、兄妹とは言え、鑑連抜きで面談すれば、いらぬ疑念を持たれるかもしれない。前から不憫な妹の身を案じている宗像大宮司に、そのようなことはできるはずもない。
大宮司は備中の問いの意味を汲んで曰く、
「我ら兄妹、鑑連殿を交えて三人で話をしたいのでね。早く反乱が収まってくれるものと、考えている」
戦場より、鑑連が戻ってきた。
「備中」
「殿、お帰りなさいませ、はっ」
掛け声とともに、宗像大宮司の誓紙を差し出した備中、報告を行う。聞きながら、それに目を通した鑑連は、文書を勝手に預かった備中を叱責することはなかった。褒めもしなかったが。
「大宮司は妹に会ったか?」
「いいえ。時期が悪いので、いずれ落ち着いた頃に殿を交えて三人で話をしたい、と」
「そうか」
すると、鑑連は広間を出て行った。歩く方角から見て、大宮司妹に会いに行くのだろう。事実上の人質であるとは言え、彼女も、兄と夫が争わないか、心配であるに違いない。それを慰撫する事は、夫婦の思いやりであると同時に、外交なのだろう。
「備中」
「左衛門。どうだった」
「文字通り、抜き差しならない状況だ。柑子岳城を囲む原田勢は追い払ったが、確実に佐嘉勢の手が伸びている。日足の紋を見た、という者もいるから、連中は連携していることを隠す気も無くなっているのだろうよ」
日足の紋は、佐嘉勢の頭領龍造寺家の家紋であるはずだった。つまりはそう言うことなのだろう。内田も疲れが溜まっており、イライラが募っているようだ。が、備中が、宗像大宮司の動きを伝えると、小さくとも安心を得たようだった。
「人がなんと言おうが、婚姻関係とはこう言う時に心強いな」
内田の言及は、大宮司妹の実質的な身分は側室ではなく人質である、という陰口を指している。同感の備中、頷いて返す。
「宗像大宮司様がお味方なら、この戦い乗り切れるよ。頑張ろうね」
すると、内田は訝しげに曰く、
「お前も戦場に出て戦うべきだ。これからは戦いも厳しくなる。今回、殿がお前を連れて行かなかったのは温情だぞ」
「えっ、そうかな?」
思わず笑顔になる備中。
「ああ、こいつは戦場では役にたたない、っていう」
「あ、ああ、そっちね」
「だから普段から言っていたろ。ちょっとは腕を磨けって。殿の着想だけでなく、実戦でも貢献できるようにしておけよ」
「はい……」
「まあ、殿は強いから心配ないけどな」
そう。やはり、鑑連は戦えば勝つのだ。内田の自信に顕れている通り、これが筑前の人々の心に等しくあった考えである。
よって、敵が鑑連を攻撃するのなら、遠距離からも行わなければ勝ち目は無いのである。それを不安に思う備中、筑前での軍事活動を継続するためにも、本国豊後で何事も無ければいいが、と願うのみである。
しかし、その願いは呆気なく破られる。鑑連帰城の数日後、老中筆頭田原常陸介親宏、本領安岐城へ出奔、の報が衝撃とともに伝えられた。
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