第335衝 博覧の鑑連
田原常陸の不穏な動きについて、情報を持ってきたのは小野甥である。
「田原常陸様はすでに臼杵にはおらず、ご領地である国東郡へお戻りになっていると言うことです」
「いつからだ」
「昨年末から」
「マヌケめ!ワシは臼杵に残る幻影に使者を送ったことになるではないか!」
「はい。よって、殿の権限は変わらぬままです」
「うぬ」
小野甥の動じる事のない爽やかさに憤激炸裂した鑑連、愛刀千鳥に手をかける。が、
「この事実、どうも義鎮公が隠蔽をしていたようなのです」
「なに、義鎮めが?」
隠蔽、と聞いて耳を貸す気になった鑑連、怒りの腰を下ろした。小野甥、一切恐れる事なく続けて曰く、
「義鎮公と、緊急とは言え老中筆頭を受け入れた田原常陸様の間に何があったか、それはワカりません。ですが、田原常陸様が国東に戻った後もご両者の間で交渉は続いていた……」
「ワシらが秋月と筑紫を追い払っている時だな」
「田原常陸様の要求は、かつて義鎮公の命令で田原民部様へ移譲させられた領地と軍団の返還、という話です」
「それは誰からの話だ?」
石宗や鎮信が死んだ後、ただでさえ孤立しがちな鑑連と政庁臼杵を結ぶのは誰なのだろう、とドキドキする森下備中。
「田原民部様です」
「なんだと?」
なんだ、と拍子抜けではあるが、ある意味で意外な人物ではある。
「現在府内で療養中であるため、対処の手立てが無いそうですが、田原常陸様と唯一張り合える殿にせめて情報を流して、これ以上事態を不利に進めない、という狙いでしょう」
「手立てが無い原因はそれだけではあるまい。敗戦の責任者ということで、豊後でヤツを恨まぬ者は居ないと聞くぞ」
内田が口を挟む。
「豊後だけではありません。今回、斉藤様が指揮していた筑後の柳川勢も全滅しています」
「そうですね。大将が無能では下が迷惑するというこれ以上にない例ですから」
鑑連、吐き捨てて曰く、
「だが、そこの倅は直前に別行動をとって、本国へ逃げ帰ったと聞いているがな。しかも、すでに佐嘉勢に降ったということだ。非難する側もされる側も、クズばかりだな」
「この国家大友を形成する重臣たち全員が、きっとそれに該当するのでしょう。で、話を続けます」
小野甥の辛辣な物言いに、鑑連は悪鬼面となる。
「田原常陸様の要求について、さすがの義鎮公も話を聞く姿勢でいるようですが、臼杵には戻っていないそうです」
「ヤツめ、どこに逃げている?」
「臼杵の南の津久見へ。吉利支丹への批判を聞きたく無いのでは、というのがもっぱらの噂です」
話を聞いていた幹部連、後ろ向きにさんざめく。
「もし、国東郡の兵が南下を開始でもしたら、府内も臼杵も焼け野原になるは必定」
「薩摩勢のこともあるだろう。佐伯紀伊守は息子ともども戦死したというし、臼杵の盾となる兵などいないぞ。津久見にはそもそも兵がいない」
「下手したら南北から攻められるのか。そうなったら……」
顔を見合わせてその先を口にできない幹部連だが、
「国家大友はおしまいだな」
まるでひとごとのように言い放つ鑑連だった。
「それで、義鎮は田原常陸の要求を容れると思うか」
「義鎮公の意志はもはや関係ないでしょう。すでに、田原民部様の領地を治める代官たち、元々は田原常陸様の御家来ですが、次々と旧主の下に帰参しているようです」
暗雲たる気分になった幹部連。筑前だけでなく、本国豊後でも戦となるのだろうか、と。
国家大友はその隆盛過程で数多くの内乱を経ているから、それを戦うこと自体は苦痛ではあっても耐えられる。しかし、今度の内輪揉めは、大友家の決定的な衰退を指し示すに違いないのである。
一同の視線は自然と鑑連へと向かう。戦になる前に、田原常陸を押し留めることができるのは、国家大友最高の武将であると自認し、他者にもそれを求める我らが鑑連しかいないのだ。そして、鑑連が導き出した答えは。
「田原常陸にはご退場頂こう。この世からな」
会合が閉会した後、小野甥と備中だけを呼んだ鑑連は、そう述べて、二人に指示を始めた。それは、田原民部の評判を悪化させ、田原常陸の暗殺を勧めるものであり、成功の是非も極めて不確かなものであった。そして、鑑連自身は手を汚さない。
「殿、お考え直しを」
辛辣さは鑑連らしいと言えるが、他人任せとなる点は極めて鑑連らしく無いこの陰謀について、備中も不安となる。よって、小野甥がそれを是とするはずがない。
「貴様は、成功しないと?」
「成功しても、豊前に与える損害が大きすぎます」
「豊前には田北大和がいるだろうが」
「そういう問題ではなく、秩序の話をしているのですが」
「貴様如きの考え、ワシが知らんとでも?だが、考えてみろ。田原常陸は謀反人どもと血で繋がっているのだぞ。秋月次男坊、高橋に加え、ヤツが養子にとったのも謀反人の倅だろう」
備中は、豊前で馬ヶ岳城で大友方が人質にとった少年と話をする田原常陸の姿を思い出した。もう、十二、三年前の事だった。あの頃の少年も、元服を済ませ、青年武士となっているはずだ。
「だからこそ、田原常陸様を通して、彼らに矛を収めさせるのです」
「突き出して、血に塗れた矛を、連中が今更引っ込めると思うのかね?」
「交渉次第では?」
「ほう、貴様にそれができるのかね?」
「権威に不足する私では無理でしょう。ですが、殿ならば」
「馬鹿め」
「備中殿はどうですか?」
「はい……」
備中は田原常陸という人物の事を考え続けていた。大友血筋の武士であり、有力な家柄で、宗家に恐れられ亡命を強いられた経験もあり、戦場では勇敢で、慈悲を知り、侮辱に耐え今に至っている。鑑連と同じように、今の国家大友に忠誠心など存在しないだろう。しかも、鑑連と同じ世代の男だった。
「無理、だと考えます」
「ほう!」
「備中殿」
珍しく欣喜とする鑑連に対して、小野甥は納得していない。
「備中殿、何故ですか」
「と、殿のご指摘の事柄を前提に、田原常陸様は養子御を大切にしていると聞きます。田原家の力を取り戻すことはもはや目前であるならば、その流れに逆らわず、力ある家を養子御に継がせたいとお考えなのだと思います」
「しかし、田原常陸様は、大友家に帰参してからただの一度も裏切った事は無かった。それが今回に限り裏切ると?」
「はい」
「それは何故ですか?」
備中は小野甥の真摯な眼から視線を逸らした。そうでもしなければ、とてもでは無いが言えない事を言うのだから。
「こ、こ、こ」
「備中殿」
「こ、国家大友はもはや信頼ならない、とお考えなのだと思います!」
つい声が大きくなった。ふと見ると、鑑連はニヤニヤしている。最悪だ。だが、それでも国家大友を第一に考える小野甥は追いすがってくる。
「軍事的にはともかく、政においてはまだ」
「軍事で破れれば、政は立たないのだと、お、思います」
「だからこそ、だからこそ殿が動く必要があるのではありませんか」
「し、しかし……」
備中が良く知る主人鑑連には、その気は無いはずであった。備中は主人を見る。やはりまだニヤついている。小野甥も鑑連を見た。刹那、爽やか侍も備中の言わんとしている事を理解したようであった。
なぜなら、小野甥の顔に浮かぶのは、失望の一色であったのだから。
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