耳川以後(1579〜)
対 天正七年の危機(1579)
第333衝 抱負の鑑連
国家大友にとって、領域拡大の希望と、宗論と分裂による苦悩と、茫然自失たる絶望に彩られた天正六年が終わった。
天正七年。筑前国、立花山城、松の内。
博多人の目を惹く山と、密なる樹々に覆われたその頂きに聳えるこの拠点は、戦時には大変堅牢であるため、今や反乱軍に追われた大友方人員の避難所となっていた。筑前のあちこちから、反乱謀反に追われた人々が逃げ込んでくる。国家大友を構成する高位の地位を持つ人も含まれており、そんな彼らも同席する戸次家が行う年始の挨拶にて、鑑連は堂々たる威風で勝利を報告する。
「昨年末の混乱において、秋月勢と筑紫勢の急襲をまずは凌ぐ事ができた。来年は連中を生かしてはおかん」
だが、この場に筑前の主だった城主たち自身はいない。治安の悪化に伴い、城主留守が許されなくなったのだ。みな、岩屋城を筆頭に、代理人を送ってきており、彼らはどことなく華が無い。
「また、ワシらが秋月らと戦っている隙をついて、この城の周囲で起きた宇美衆、矢野衆、神武衆の謀反についても鎮圧できた。これは薦野増時の活躍が大であった」
この騒動を短期間出鎮圧した薦野は、無言で頭を下げる。この方面はお任せを、という強い自負を示していた。
「謀反者どもを唆したのは佐嘉の龍造寺隆信である。この筑前に対してはまだ、表立って動いてはいないが、筑後へは兵を進め、すでに幾人もの城主が敵方に降った。こちらに来るのも時間の問題だろう。内田」
「はっ」
耳川の敗戦で地獄を見たという内田は年末にボロボロの態で帰還した。その心的外傷は癒えていないようで、顔色はすこぶる良くない。だが、国家大友の危機を前に、体に鞭打ってあちこちを飛び回っている。それも、治安が極度に悪化した筑前。襲撃を受けることも一度や二度ではないという。
「佐賀勢の頭領、龍造寺隆信、今や肥前の多くに恐怖をまき散らすこと、隠す気も無くなったようです。筑後攻めの他、筑紫勢に物資を与えている証拠を得て、これを豊後に送っています」
つまり、内田は本国豊後へ援軍要請を行ったのだが、
「反応は」
「ありません」
「小野」
「はい」
「臼杵の状況について、手に入れた情報を皆に話せ」
「ではまず、日向における大敗後、大方の予想に反して、義鎮公は吉利支丹宗門を遠ざけるどころか、さらに肩入れしている状態です」
動揺、狼狽し、憤慨する大友武士たち。
「信じられん」
「一体全体どうなっている。誰も諫言しないのか」
「田原民部殿はどうしているのか。まだ寝ているのか」
耳川の戦いで一時行方不明となっていた田原民部は、その後豊後へ帰還したという。最後の最後に豊後へ引き上げたということで、薩摩勢相手に総大将自ら血刀振るい、疲労困憊と負傷により、現在は府内の邸宅で療養中である。が、
「生きて帰ったのだ。大した怪我とは思えない」
「そうだ。批判を恐れて、仮病決め込んでいるのではないか」
「そも大敗北の責任者ではないか。大勢の者を死なせて一人生きて帰るなど、恥知らずも良いところだ」
戸次武士たちは大概、田原民部に手厳しい批判を加えている。が、鑑連はそれには乗らない。大敗の責任は置いて、敗勢覆し難い状況でも奮闘したことを評価しているのだろうか。無言の鑑連を見て、小野甥も続ける。
「現在、義鎮公に招かれた田原常陸様が急遽、臼杵に招かれ、政務の指揮を執っています。老中筆頭として」
一同どよめく中、
「備中」
「は、ははっ」
鑑連に促され、巻物を広げる備中。皆覗き込んで、やはりうめき声が漏れる。
田原親宏 筆頭、義鎮公全権代理
田原親賢 前筆頭、義統公後見担当
朽網鑑康 筑後、肥後担当
橋爪鑑実 穴埋め担当
木付鎮秀 穴埋め担当
空席
「この度、佐伯紀伊守、吉弘鎮信、吉岡鑑興、田北刑部の四名の老中が消えた」
「……」
田原民部と同じく行方不明であった鎮信は、ついに帰ってこなかった。その討ち死にを伝える使者を迎えた時、鑑連は言葉を何も発しなかった。主人の事を良く承知している備中にはその無言が、鎮信の死が痛恨事であることの証明であるように見えた。その好意と協力を期待できなくなる以上に、鑑連にとっては擬制的な親子関係がそこにはあったからだ。
「橋爪は田原常陸の信奉者であり、木付は田原民部の協力者である。よって、これより両者の綱引きが始まるぞ。なお、義鎮が引きこもっている以上、朽網の事は忘れて構わん」
それでも、鑑連に悲しんでいる暇は無い。筑前に秩序を取り戻さねばならないのだ。そのためには、戦時下の権限が必要だ。
「今、臼杵で執務を握っているのは、田原常陸様です」
一度老中から放逐された人物が老中筆頭として復帰するなど、前代未聞であろう。だが、田原常陸の陽性な顔と凄みを秘めた声を思い出す備中、あの方はあの方なりに国家大友へ忠誠を誓っているはずだ、と戦場を共にした過ぎし日を思い出す。
「義鎮も、随分思い切ったことをしたものだ」
「同感ですが、田原常陸様は殿との間に紛争を生じさせておりません。それに、筑前の安定は、豊前の安定のためにも欠かせないはず。権限委譲を要求してみるべきです。少なくとも、小田部、大津留、高橋、木付の四将を殿が統率せねば、佐嘉勢と対峙することすら適いません」
「ヤツは承知するかな」
「必ず。利害の一致というのは、こういうことを言うのです」
「よし。では臼杵へ急ぎ使者を送れ」
すると、使者が飛び込んで来た。高橋武士であり、この場に参列していた代理人が驚いた声を上げる。
「秋月勢が、また攻めてきたか」
「はい!申し上げます!秋月勢、筑紫勢。岩屋城に展開を開始しました」
「馬鹿な!松の内というのに、は、速すぎるぞ!」
「共同して、行動をしているとのことです。我が主鎮種、急ぎ戸次様に救援を乞うとのことです!」
「由布」
「……はっ」
「昼過ぎには出るぞ。兵には正月の楽しみは後にとっておけと命じろ」
「……承知しました」
由布が退出してしばらくすると、また使者が飛び込んで来た。今度は小田部武士である。嫌な予感がするのだろう、動揺隠せない小田部殿代理は、目を剥いている。
「ど、ど、どうした!」
「申し上げます!高祖城より原田勢が出て、柑子岳城を攻め始めました!」
「木付殿はどうした!」
「籠城の構えにて!しかし、急な事であるため守りの体制弱く、明らかに不利です!我が主小田部鎮元、戸次様に急ぎお伝えせよ、とのことです!」
広間の全員が例外なく不安な表情で鑑連を見る。が、鑑連は一切の動揺を見せずに、全員を睥睨して述べる。曰く、
「敵の狙いは明白である。ワシらを二分するということだ。しかし、ここは敵の狙いには乗らん」
鑑連、高橋武士を向いて曰く、
「戸次隊はこれより柑子岳城の救援に向かう。全兵力を持ってな。よって、岩屋城の救援には行けない」
「そ、そんな!」
「泣き言を吐かすな。岩屋城が危なければ宝満城へ引け。守りはより固く、兵の数も多い。鎮種殿ならば、しかと守り切ってくれるものと信じている。では解散」
「へ、戸次様」
歎願を無慈悲に切り捨てて退室する鑑連。ふと振り返り、挙動不審を続ける一同に向かって、冷笑的に抱負を述べた。曰く、
「諸君。例年、この城に挨拶に来ていた者共は、今年は誰も来ないだろう。秋月、筑紫、原田、他の連中もな。時代は変わったのだ。呑気に上下礼服で正月を祝うのは、敵を始末した後にするべきである。ただし、敵に殺されてしまえば、そんな機会も永久に訪れない。無益を避けろ。徒労に甘んずるな。最善の道を瞬時に判断せよ。そして、本国豊後からの援軍について……軒並み日向で全滅した以上、ほぼ期待できないものと覚悟せよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます