第331衝 一閃の鑑連

 鑑連の檄が行われた後、小野甥が備中に声をかけた。


「備中殿。大変な事態になりましたね」

「小野様……」

「殿の言う通り、日向で苦戦することは予想していました。しかし、潰滅的大敗を喫するとは、考えていませんでした」

「……」

「多くの重臣達が亡くなった以上、国家大友の統治体制も変化を余儀なくされるでしょう。特に、老中が六名中三名戦死したのです。この体制に注視しなければなりますまい。それに、後の二名も行方不明ということでは」

「……」


 備中は頭の中で老中の序列を思い浮かべて、加筆を加えていく。


 田原親賢 行方不明

 佐伯惟教 戦死

 朽網鑑康 肥後滞陣

 吉弘鎮信 行方不明

 吉岡鑑興 戦死

 田北鎮周 戦死


 義鎮公の親政が始まって以降、老中衆の力は相対的に低下しているのは間違いない。それでも、いざと言う時は強い指導力を発揮する体制であった。


「まさか、さ、佐伯様が亡くなられるとは……」


 備中にとっては佐伯紀伊守の死は大いなる衝撃であった。考えるだけで胸が痛み、去りしかつての日々の思い出が強く蘇ってくる。


 そして、何度か対面した田原民部、安芸勢との厳しい戦いを乗り越えてきた鎮信の行方不明は、足に震えが来るほどの落胆だ。


 震える備中の肩に、小野甥が手を添えてくれた。若いのに大したものである。正真正銘国家大友は危機にあるが、この若者がいれば乗り越えることができるのではないか、そう思わせる何かを感じる備中であった。といって震えが治ることもないのだが。小野甥曰く、


「無事、日向を脱出したという義鎮公ですが、まだ声明を出していません。それがいつになるかは不明ですが、その前に、問註所家の使者が伝えてきたように、筑前と筑後では戦がおこります」

「や、やはり」

「必定です」

「ど、どうしても」

「ただでさえ安芸勢出陣の噂があるのです。西か東かは不明ですが、これが国家大友動揺を誘います。殿の力によって服従させられた者どもは、必ず立ち上がるでしょう」

「何故、でしょうか」

「えっ?」

「一度ならず戦い、我らが勝利し、服従を約束した敵が、何故また」


 自分でもマヌケな質問あるいは愚痴だとは自覚していたが、昨日までの安寧の日々が去ったことを、時間が過ぎるたびに感じる森下備中であった。対して小野甥の答えは、陳腐であった。


「武士という者は、すべからくそういうものです」



 岩屋城の鎮理から早馬が来た。


「申し上げます!秋月勢、国家大友の代官を殺し、その死体を筑後川に流したとのこと!また、太宰府方面に向け、兵が集結しています!」

「早速来たな」

「殿」


 幹部連の目は不安に彩られている。特に、次世代を担うはずの安東や十時の若者たちに、その色彩が強い。無理もない。薩摩に攻めいるはずが、急転直下の暗転劇だ。だが、恐怖を払うに、鑑連ほど適した武将がいるだろうか。


「秋月を追い払いに行くぞ」

「はっ!」


 鑑連の堂々たる声に、みな力付けられるのだ。この人物についていけば、間違いない。そう思わせる鉄壁感が、鑑連には備わっている。


「宗像勢の動きは」


 薦野が答えて曰く、


「不審なものはありません」

「では薦野隊も出陣だ。存分にやると良い」

「はい!」


 薦野の力強い返事である。


「この一戦で派手に敵を打ち破り、義鎮がつけた泥を雪ぐ。行くぞ!」


 薩摩攻めを想定しての準備が整っていたので、立花山を出撃した戸次隊は、すぐに岩屋城に達した。元亀元年以来、鑑連実に八年ぶりの戦場である。



 筑前国、岩屋城。


 電撃的な出撃で岩屋城に到達した戸次隊を見て、城に接近していた秋月勢はその歩みを止めた。やはり、戸次鑑連の名は伊達ではないのだろう。だが、鑑連は吼えた。


「安須見山の一件もある。秋月は強気に出てくるぞ。ヤツは奇襲で逃げ惑う相手にしか勝てないのだと、教えてやろう!騎馬隊!」


 代替わりした安東、十時ら若い武者で構成された騎馬隊が馬の体一つ前に出た。横から見ると整然とした騎列は美しい。


「汚らわしき裏切り者どもを皆殺しにする!続け!」


 槍を振り回しながら、凄まじい速さで馬を走らせた鑑連、それに遅れまじと、少し固さの残る騎馬隊が前進していった。岩屋城前の平野に取り残されてしまった備中だが、自分はもう若くはないし、と思い直し、由布の統率により展開を始めた分隊の動きと鑑連本隊の突入を交互に眺めていた。


 鑑連の電撃的な突撃により、三つ撫子の旗が右往左往している様が良く見える。戦から遠ざかっているか、これが初陣に近い若い武者たちを奮い立たせるために、槍をぶんぶん振り回す鑑連の姿が良く見える。秋月勢はさほどの数ではないようで、この勝負は簡単に決着がつきそうだ、と安心していると、


「高橋隊。前へ!」


と背後より号令がかかった。いつの間にか、城から出てきた高橋隊が備中の横を通過していった。鎮理の姿も見えた。兄を亡くしたばかりで、さぞ気落ちしているだろう、と生前の吉弘鎮信の想い出を噛みしめていると、小野甥が急行の態で近づいてきた。


「備中殿!」

「お、小野様」

「一緒に殿の所へ来てください!」

「えっ?と、殿は今前線で」


 大車輪の活躍をしている。だが、小野甥は確かな口調で言った。


「勝尾城の筑紫勢が、もうそこまで来ています!」

「おお、援軍ですか」


 筑紫殿と言えば、やはり耳川で死んだ斎藤殿の妹婿である。若者を思い出した備中に、小野甥、意外な事実を伝える。


「そう。秋月勢への援軍です!」

「ええっ!」


 そう言えば、その若者は、恒例である年始の挨拶で鑑連に侮蔑的な扱いを受けていた、という事も思い出した森下備中。血縁を越えた恨みが、国家大友の危機を好機と爆発したというのか。であれば、確実に鑑連の責任である。


「ま、まさか」

「殿が言った常住坐臥、裏切り謀反は早くも始まりました。ともかく、筑紫勢が近づいているということは、殿があそこで戦っている秋月勢は陽動でしょう。伏兵は他にもいるかもしれない。引かねば、こんな場所で命を落とすことになる!」

「か、仮に殿が倒れれば」

「国家大友はおしまいです」


 小野甥の言葉に突き動かされた備中、不得手な馬の操縦を思い出しながら、全速で走らせた。

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