第330衝 光芒の鑑連
「四万の軍勢を率いて手こずっているのだ。ワシが戦場に駆け付ければ、事態は激変する」
断言した。対して悪鬼お諌めにかかる幹部連。
「し、しかし義鎮公のお許しもない中、危険ではありませんか」
「こう考えるのだ。四万の軍勢を送り込んだまま、長期の滞在は国家大友の防備を軽視することになる。それを防ぐため、ワシは嫌々ながら兵とともに危地に飛び込むのだ」
「……」
鑑連の恐ろしさだけでなく、その発想の柔らかさに対して、一同反論ができない。ところで備中は、鑑連の積極政策を歓迎しているので、止める気は一切ないが、小野甥も同じく沈黙している。どのような心境なのか、表情を伺ってみると、
「……おお!」
爽やか侍は、真剣な眼差しで鑑連を見上げていた。鑑連問答は続く。
「あ、安芸勢出陣の不安は、未だ何一つ払拭されておりません!」
「確かに、軍勢を集結させているらしい安芸勢の動きは読めない。西と東、どちらへ進んでもおかしくないが、西進したとして、まず豊前の田北大和守がこれに当たるだろう。位置的に」
確かにそうだろうが、酷く無責任な政策に聞こえる。
「ち、筑前の防備は如何なさいますか」
「岩屋城に鎮理がいるだろうが」
「こ、この城がまず敵と当たることに」
「ワシが薩摩を攻めている間、この城は薦野、お前に委ねる」
「は、ははっ!ありがたき幸せにございます!」
薦野が平伏する。ついさっきまで困惑した表情をしていたくせに、この変わり身の早さに感心する備中。この辺りの要領の良さが、彼を好きになれない理由でもあったが。鑑連は文句あるまい、というしたり顔になっている。
「というわけで全員出陣の用意を怠るな!高城での会戦の結果が伝わり次第、出立する。目標は、薩摩は鹿児島郡内城である」
「お、お待ち下さい。さ、さ、薩摩に入るのですか。日向ではなく」
「戦線が膠着する日向に入って何をする。むしろ、薩摩勢の本隊が日向に入った今、ガラ空きの薩摩を直撃してやるのだ」
座が騒つく。鑑連らしいと言えばそれ以上の何ものでもない。
「ひょ、兵糧の準備など、すぐには困難です」
「貴様、武士の端くれなら、いつでも万事用意調達できるようにしておけ!それから、薩摩は貧しい土地柄だ。接収には期待するなよ」
「……!」
「どうしても出来ない者は致し方ない。道中通過する肥後で、ワシの領地からの蓄えを供出してやる。ありがたく思え」
「は、はは……」
「し、しかし、薦野殿を後詰めとするにしても、立花山城を空にはできません!兵を残していかねば。そ、そうなると我らの隊は兵三千にも足りないのではありませんか!無謀です!」
「肥後に展開する志賀隊を接収するつもりだ。それにこれは電撃作戦なのだ。大兵力で時間をかけては意味がない」
常識的な反論に落ち着いて逐一答える鑑連に、幹部連たちはついに口を噤まざるをえない。ややあって、彼らの視線が二つの方角を向いている事に気がつく備中。一つは小野甥である。沈黙を守っている小野甥に反駁してもらいたいのだろう。もう一つの方角が向かうは……
「……」
「……」
「……備中殿」
自分であった。この一連のお約束、流石に慣れてきた備中であった。だが、共通の思いを抱いていた二人は、ほぼ同時に発言して立った。
「さ、賛成します!」
「私は賛成です」
二人の声は交錯しつつも良く徹った。呆けた視線を泳がせる幹部連であったが、主人鑑連が命令であることを思い出し、みな大人しく平伏するに至った。二人の側近に対する喜びを隠して、鑑連が声を張り上げる。
「他に異見ある者は」
もはや反対する者は誰もいない。
「では家中一致の末、当家の方針をそのように定める……義鎮に対する再宗旨替えの説得は、薩摩入りした後にまず使者を立てて行うことに替えよう」
鑑連の中で、優先順位が入れ替わったようであった。やはり、主人鑑連は戦場を想ってこそ、輝きを増すのだ、とつくづく感じ入る森下備中であった。ふと、小野甥と目があった備中。二人は鑑連の遅すぎる出立を、吉兆の前触れとして目配せのみで寿ぎあった。
数日後、内田からの使者を今か今かと待つ立花山城に、意外な情報がもたらされた。
「殿」
「内田からの知らせが来たか」
「いいえ。左衛門ではなく、問註所様からの書状です」
「問註所……ああ、鎮連か。書状なら御台へ持っていってよい」
「いえ、殿宛の書状とのことです」
「ワシにか」
「お使者は、かなり焦っておいでのようで。客間にて、待機していますが」
「どれ」
備中から書状を受け取った鑑連、内田からの報告を待ちわびていたのだろう。つまらぬものを見る様子で、書を繰っていった。
「ふん」
「……」
「えっ」
「……?」
「なに」
「はっ」
「なんだと」
「殿?」
「何!」
書状に目が縫い付けられたように、それを凝視する鑑連の顔には、明らかならぬ感情が現れていた。見開かれた眼の黒目は揺れ、しかし闇を焦がすような力が込められていた。
「備中、広間に幹部全員を集めろ。大至急だ」
「ははっ!」
出陣の用意を行っていた幹部連が直ちに集められる。その場で、鑑連は簡潔に伝えた。
「薩摩攻めは中止する」
「と、殿」
「結論から述べる。日向に展開していた当方の軍が敗北した」
「は、敗北」
「情報を伝えてきたのは問註所家だ。それによると、高城の戦いで国家大友の軍は大敗し、逃走に移った後に薩摩勢の徹底した追撃を受け、壊滅した」
「なんと」
「それだけでなく、耳川を渡る際にも数多くの者が追い詰められ溺死した、と報告にある。その数、およそ五千人以上」
「五千……人」
「佐伯が死んだ」
「……!」
「他の老中の内二名、吉岡ジジイの倅と田北刑部も死んだ。確実だということだ」
「ご老中が三名も討ち死にとは!」
「筑前勢を率いていた臼杵鎮続も、ヤツが後見していたその甥も死んだ」
「ば、馬鹿な……ははは。何かの間違いでは」
「まだある。筑後勢を率いていた斎藤も、柳川の蒲池も死んだ。参加した筑後勢はほぼ全滅した」
「全……滅と」
「奈多のガキと鎮信は行方知れずだ」
「そ、それでは、本当に!本当のぜ、全滅ではありませんか!」
「全体をみればそうではない。何故なら、義鎮と伴天連は、一足先に豊後へ逃げ延びたとあるからだ」
「……」
沈鬱な沈黙に覆われた広間。どこかで鍋鶴の群れがクルルーンと啼いた時、近習の一人が思い出したように立ち上がった。
「う、内田は」
「ワカらん。だが、連絡は遅れている」
「内田……」
「尚、内田が形だけでも参加していた隊を率いていた石宗だが、ヤツも死んだそうだ」
「死んだ?あの、破戒僧が」
「なんと呆気ない」
「天道に見放されたのだろうか」
「内田については無事を祈るのみだ。話を続ける。問註所によると、すでに豊後勢大敗の知らせが各地に広まっているという」
「噂は少なくとも、筑後の入り口には到達したということですか」
「……いや、噂は凄まじい速さで千里すら駆けるというが」
「この知らせによると、問註所の分家筋が不審な動きをしている。秋月勢と組んでな」
「秋月!」
「ヤツら、こんな時に早速動き出すとは!」
「薩摩勢は後回しだ。国家大友の軍が壊滅した以上、ワシらは常住坐臥裏切り謀反と対峙することになる!この筑前、是が非でも守り切らねばならん!でなければワシら皆、豊後を見ることなく屍を晒すことになる!」
「はい!」
「長年維持した優位は忘れろ!謀反を当然のものと思え!臼杵勢が帰ってこなかった以上、一万にも足らぬ兵力で両筑を維持しつづけねばならん!裏切り者は皆殺しだ!」
「しょ、承知いたしました!」
「備中。すぐに使者を出せ。鎮理、小田部、大津留にこの事実を伝え、警戒を怠るなと伝えるのだ」
「はっ!」
あの、佐伯紀伊守が死んだ。その他多くの諸将たちも。立花山城の廊下を走りながらも、まだ実感のない思いを持て余す森下備中。筑前に吹く心地良い晩秋の風を、麻痺した心は感じる事ができないでいた。
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