第239衝 篝火の鑑連

 篝火だけを頼りにした戦いが続いている。親貞公の陣幕の中で事態の推移を見ているだけの備中には、この騒動が夢か現か、どこか不明瞭であった。さっきまで連歌が詠まれ、酒が酌み交わされていたのに、と。


 鑑連が戻ってくるとこれは紛れも無い現実だとの思いが戻ってくる。朧げな意識を打ち破るように、主人が近づいて曰く、


「佐嘉勢の夜襲などこんなもの。大したことないな」


 鑑連は顔に血飛沫を浴びている。これぞまさしく悪鬼面、などと思いながら備中は手ぬぐいを差し出す。受け取った鑑連は、妙に小さな声で指示を出してくる。


「おい」

「はっ、は!」

「裏切り者の特定は後でいいが、それが誰かは推理し続けろ」


 鑑連の下僕である備中にとっては言わずもがなのことである。その指示は既に遂行中であり、予想の外から出るものではなかったが、裏切り者の存在自は間違いないようだ。少なくとも鑑連はそう確信しているのだ。


「やはりいるのですね、そ、その……」

「陣の背後からの敵襲だぞ、いくらここの歩哨がマヌケでも、まず気がつく。裏切り以外にあるか?」


 改めて言われれば確かにその通りだ。が、その思考にまで到達している武士がどれほどいるか。歌と酒に酔った者には難しいのだろうが……とそこまで考えた備中。主人はどちらにも全く酔っていなかったのか、とその強固な意志力に感服する。しかし裏切り者となると、


「ひ、肥前の衆に内応者が?」

「証拠はないがな。例えば脊振の山奥に城を持つ者共だって今日来ていたりする」

「それは怪しいですね。し、しかし……」

「そうだ。敵は正面の佐嘉城から出てきているはずだ」


 この辺りは春からの戦いで多くの農村が劫掠の憂き目にあっている。兵が潜む余地はさほど無いはずだ。


「それに安東様おっしゃるには、周辺の要所は親貞公の兵が押さえているとのこと。あ、小野様も同じようなことを」

「すると、肥後勢も筑後勢も怪しい、ということになる。ヤツらが佐嘉勢を通したのかもしれん」

「ま、まさか」

「今更だが、親貞の援軍など無ければ、疑心暗鬼は生じなかったのかもしれない」


 それはそうなのかもしれない。しかし、と備中は思う。


「し、しかし、殿は当地における敵奇襲の危険について、当初より警鐘を鳴らしておいででした。その上でのかかる事態。以後、臼杵様も殿に対してより遠慮をなさるかもしれません」


 鼻で嗤う鑑連。


「さらにヤツはこの場に居ないからな。親貞を守る羽目になったのはワシだ。本当に戦場の勘というものが欠落している」


 鑑連がそう吐き捨てた時、陣幕の外で歓声が大きく上がった。なにか衝突があったようだ。陣幕の切れ目から覗いてみると、板に乗せられて運ばれていく橋爪殿が見えた。ふと、強い既視感に襲われた備中、困惑する。鑑連曰く、


「あれは違うぞ。裏切れるタマではない。他の連中は知らんがね」

「……」


 よく落ち着いていられる、と感心する備中、橋爪殿を慮りつつ、


「ほ、本国豊後の者に限ってそれは……」

「そういうつまらん常識は捨てろ。状況証拠しかないのだ。考え続けろ」

「は、はい」

「裏切り者がワカれば、直ちに捕らえる」


 主人の意外な温厚さに嬉しくなった備中は、思わず凛々しい表情になる。ここまでの実績と将来の徳行があれば偉大なる武士として歴史に名が残るのではないか。


「クックックッ、殺すのは全てが片付いてからだ。ワカるな」

「は、はい」


 ガックリする備中。やはり鑑連は聖人君子ではない。


「それからこの話は誰にも漏らすな。余計な混乱が広がるだけだからな」

「よ、吉弘様にも……」

「黙っていろ」


 鑑連はそう言うとまた陣の外に出た。武者たちの大歓声が起こる。戦局は好転しているようだし、これで鑑連の名声はさらに高まるだろう。



 そしてどうやら危機は去った。急拵えの守備隊に、世間話と笑声が帰ってきた。幾重の防御層に守られた親貞公が、慣れない声だが、者たちを慰労する。それも上下の境無く、である。


「皆、困難の中、よくやってくれた」

「そなたの主君が無事であることを神仏に祈る」

「怪我をしているな。その負傷に報いる褒美を考えておこう」


 守備隊は声を揃え威勢良く掛声を発する。副将の厚意に感謝を示したのだった。親貞公はさらに鑑連を向いて、


「戸次殿の采配には感服した。お陰で私も、宗麟様に対して責任を全うすることができそうだ。感謝する」


 上位者の礼辞を前に、鑑連は真っ直ぐに応えを返しはしない。素直でない上に、どうしようもない性格であるためだ。


「空が白みはじめるまで、油断しないことだ。敵からすれば、将の首を討つ以外にもはや道はないのだからな」


 頷いた親貞公。続けて曰く、


「では、戸次殿にはここに滞陣し続けてもらいたい」

「なんだと?」

「互いにとって、それが良いのでは?」


 互いにとって、とはこの二人の間では特に深い意味を持つ言葉である。


 親貞公を見る鑑連は睨んではいない。嗤ってもいない。値踏みをしているようではある。一方の親貞公は案を示しているようで、これ程良い考えはないでしょう、と目で伝えている。


 その目線に、他意は無いように備中には見えた。親貞公にとって、確かに鑑連は一族の仇なのだろうが、一族の菩提を弔う為にも運命を切り開かねばならないはずだ。義鎮公が、親貞公に道を示している今、過去の恨みに固執しなければならない理由は無いのではないか。


 鑑連の年齢は五十七。親貞公は年齢不詳だが、四十前後に見える。親貞公が鑑連に邪念を持たなければ、良い関係が築けるのではないか。向きあう二人を見て、備中はそう感じるに至った。


 陣地の混乱を収拾したのだろう。小野甥が戻ってきた。


「親貞様、陣の後背から敵の気配は消えました」

「そなたもご苦労だった」

「おい、後ろだけが周辺か?」

「左右正面も確認済みです。より信頼の置ける歩哨を再配置しましたし、数も増やしました」

「ふん」


 親貞公は、傍にて控えていた内田を向いて、親しさを込めてその肩に手を置いた。


「内田左衛門尉。此度の護衛痛み入る。そなたの主人のお陰で危険は去った。これより元どおり、戸次殿を守ることを許す」

「はっ!」

「内田、そのままついていろ」

「はっ!」

「いや、戸次殿はずっと指揮を執っていた。休息も必要だろう。私ばかり楽をするワケにもいくまい」

「はっ!」

「大将の仕事は死なないことだ。内田、ついていろ」

「はっ!」


 内田の蝙蝠ぶりが実に目障りな備中。唾を吐く。


「戸次殿がこの陣に居てくれるのならば、私も死ぬことはあるまい」

「まだ夜が明けたワケではない。油断は命取りになるぞ」


 傍から見る限り、親貞公のこの優しさは感動的である。それでも備中の頭の何処かは冷笑していた。つまり、公は義鎮公が付けてくれた武士らに気兼ねして、内田を排除したがっているのだ、と。


 事実、小野甥以外の側近達は和やかな陣内にあって、微妙な表情をしている。貴人の護衛という大きな名誉を奪われた失望が、彼らの心を暗くしているようだ。


「後は宗麟様子飼の彼らがやってくれる」


 と親貞公は遂に本音を述べた。ここに至れば、鑑連も下がるしか無い。


「内田」

「はっ」


 重ねて指示された内田は鑑連の背後に戻った。心なしか、元気が無く見えた。やはり腕に自信のある武士にとって、貴人の護衛は心踊るものなのだろう。鑑連は出口を向く。


「戸次殿」

「表の兵どもを再編する。明日の総攻撃の役に立つ程度にはしておこう」


 親貞公はにっこりと微笑んだ。


 そこに鑑連主従を押し退けて、伝令が飛び込んできた。


「申し上げます!またて、敵襲です!」

「なに、連中戻って来たのか?」

「こ、こ、こちらに向かっていた臼杵様の隊が襲われ」


 その刹那、これまでにない怒号悲鳴が爆発した。方角は陣地の左手か。そして確かな体感を伴う地響きとともに、敵味方混濁とした武者の群れが陣幕を押し裂いて、中になだれ込んできた。


 鑑連が何事かを叫ぶ。備中の体は反応しなかったが、いつの間にか抜刀していた内田が駆け出していた。


 凶刃と肉弾の激流を、肥後武士が、筑後武士が、肥前武士が、斎藤が、吉弘親子が、抜刀間に合わず身躱した。


 そして備中は見た。怒涛そのものの集塊に親貞公と家来たちが巻き込まれ、その姿が見えなくなる決定的な瞬間を。

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