第238衝 急場の鑑連
連歌宴会の陣が親貞公の本丸となってから、まだそれほどの時間は経っていない。副将に早変わりした鑑連は内田を呼び、
「親貞公に近づく連中は片っ端から斬れ」
内田は目を光らせて曰く、
「躊躇は不要ですか?」
「不要だ。ワシが許す」
「はっ!」
と、嬉しそうな顔で、親貞公の後ろに控えるのであった。親貞公にチラチラ見られたこの護衛役は、満面の笑みを浮かべた。内田を親貞公に付けるとは、ここまで鑑連がその剣術の腕を買っていることに意外な思いの備中がぼにゃりとしていると、鑑連は次いで小野甥に近く。
「貴様らは外の隊だ」
「はい。親貞公を頼みます」
小野甥を先頭に、親貞公付きの幹部の幾名かが陣を退出した。危機の中、率先して役割分担を申し出たのは鑑連だった。備中の目には主人鑑連の顔から溢れる生気が見える。この状況を愉しんでいるようだ。
場の主導権を握るや、幕の切れ目から戦場と成り果てた陣地を睨む鑑連。すでに安東はその命令で戦場の闇に溶けていた。何をするつもりなのか、と衆目が固唾を飲んで見守っていると鑑連、右往左往する武士を猫を捕らえるように掴む。
「おい貴様」
「はい!」
「この陣の入り口を守れ」
「……」
「守れ」
「で、ですが我が主君が……おらず……」
「そいつが見つかったら行っていい。それまでは貴様の主君のそのまた主君である親貞公の陣を守っていろ」
「……」
「ワシが誰だか知ってるか?」
「は、はい!もちろんです!」
「よーし、配置につけ」
この調子でたちまち手勢をまとめ、守りを固める。悲鳴をあげながら逃げ惑う武士にも同じようにする。
「うわあ!ひぃ!」
「黙れ、止まれ、何があった」
「は、はい!一緒に酒を呑んでいた者ども、全員死にました!う、討ち死にです!」
「そうかそうか、貴様は命が助かって良かったな。だからこの陣を死守しろ」
「し、しかし!」
「なんだ」
「て、敵の勢い激しく、こ、こ、殺される!」
「ワシが誰だか知ってるよな?」
「……は、はい。へ、へつぎほほうきのか」
「貴様の配置はここだ。死守しろ」
あっという間に防御体制が整っていく。陣の内側でそれを見て感心する高級幹部の諸君。
「混乱を収拾すると同時に兵数を増やすとは、さすがだな」
「強引だが、凄い豪腕だ」
「この陣にいれば、我らも殺されずに済むかも」
その時、幾人かの武将が声を出す。
「我が隊が心配です。直ちに陣へ戻り、援軍を持って駆けつけます」
「何、夜襲と言え、佐嘉勢はすでに寡勢。簡単に打ち破ってご覧に入れます」
「親貞様、お任せください」
親貞公に本陣退出を願っているのは西と南の肥前の衆だ。困った顔で回答に窮する親貞公だが、凄まじい駆け足で陣中央へ戻ってきた鑑連、その内の一人のこめかみに小筒を突きつける。曰く、
「許さん」
あまりのことに驚き声が出ず、口をパクパクさせる肥前衆。その様子から、備中は息子が飼っている魚をふと思い出す。あの魚はまだ生きているだろうか。
「我らを裏切るのなら、ここで消えろ」
「へ、戸次殿お待ちください……」
「裏切りではありません!我らここに僅かな供しか連れてきていないのです」
言い訳を聞いた鑑連、微笑みを浮かべて銃口をゴリッと押し衝ける。肥前武士は悲鳴とともに片膝を着いてしまう。
「戸次殿、だと?」
「へ、戸次……様……」
「ち、親貞様!」
仲間の肥前武士が親貞公へさらなる申し開きを試みる。備中が見るに、親貞公はそれまで、と言おうとしたが、鑑連はそれすらも制する。
「一切の問答は無用だ。この陣は親貞公の命令で、ワシが指揮を執っている。ワシの声は公の声だ。そのワシの指示に従わないのなら、時間もない。ここで消えてもらう」
「ひぃ!」
「この場を直ちに守ることができない者は、敵だ。全員覚えておけ!」
鑑連は陣の外で指揮に戻った。崩れ落ちる肥前武士を放置して。仲間の手にすがりながら何とか立ち上がる顔面蒼白の肥前武士。彼らも故郷では一城の主だろうに、鑑連の前では形無しである。それよりも備中は、屈強な武士どもでさえ鑑連の前では自分と似たような悲鳴をあげるという愉快な事実に、心を躍らせていた。
改めて陣を見直す備中。
親貞公は内田に守護されている。さらにその二人の盾として、これまで置物の役しか果たせていない吉弘親子、橋爪、斎藤等の高級幹部が立ち、その前を泣きじゃくる肥前武士やまだ被害を受けていないその他他国の武士が固める。出入り口は鑑連自らが固めている。突入して来る敵は悉く迎撃されていた。この隙に、小野甥が親貞隊の態勢を立て直せば、危機を脱することになる。
と、いきなり橋爪殿がえいと叫んだ。
「これが田原常陸殿が賞賛する戸次殿の尚武か。私も出る。闇を切り裂くように、逆徒を成敗するぞ。者共かかれ」
橋爪主従は陣幕の外に飛び出して行った。興味深いことに、続く他の主従はいなかった。
それよりも備中が気になることは、裏切り者の存在だ。鑑連がああも言うのだ。佐嘉勢を招き寄せた者がいるに違いないのだ。主人を信じ、陣幕の武者たちを疑惑の視線で見定める森下備中であった。
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