第237衝 督励の鑑連

「今の、銃声だ」

「酔っぱらったマヌケが祝砲でも撃ってるのかな。誰か止めてこいよ」


 既にかなり酒が入っており、何とも呑気なものである。が、酔っていない小野甥と備中はこれを異常だと捉えていた。


「お、小野様!手が」


 小野甥の右手が血に塗れていた。先ほどの銃声はこれが飛んできたもののはずだ。が、いつ何時でも冷静な小野甥の精神力はここでも発揮される。


「いや、徳利の破片が当たっただけです。刀は握れます。それよりも……」


 すくりと立ち上がった小野甥、普段らしからぬ声で周囲を一喝する。


「これは敵襲だ!」


 流石にその場の酔っぱらい全員の動きが止まる。小野甥さらに続けて、


「敵は陣の背後、山側にいる!全員、酔いを覚ませ!頭を切り替えろ!死にたくなければ、武器を取って迎撃するのだ!」


 呆然たる武士たち。さらなる銃声と着弾とともに、この控えの陣に居た武士たちの多くは目を覚ましたようだ。


「諸君らはツイている!ここは親貞公の眼前である!武勲を上げろ!手柄を示せ!褒美は思いのままだ!」


 備中の目からみて、小野甥はこの様な時の言葉を的確に心得ていた。武士たちは千鳥足ではあっても、ともかく陣を出た。すぐに怒号や撃剣音が轟く。戦いが始まった。


「備中殿!宴会の陣へ!」

「は、ははっ!」


 走る備中と疾る小野甥。とても速さについていけない備中は、月明りがまるで無い今、篝火を頼りに走るしかない。その中を先行する小野甥は、刀を抜いて陣に入り込んだ敵を斬り伏せる。ここで追いついた森下備中、思わず叫んでしまう。


「て、敵はこんなところまで!」

「いけない!敵の狙いは親貞公だ!公の首を上げるつもりなのだ!」

「え!」

「大将が倒れれば、我らは負けです!」


 次いで左から武者が現れた。槍が突き出され、腰を抜かした備中、幸運にも身躱し、小野甥の刀が武者の首を深く裂いた。血を撒き散らし倒れた武者の荷物に日足紋があった。佐嘉勢の印である。


 もはや何も語らずに疾りだす小野甥、震える足を手でしばきながら、備中も何とかついて行く。



 宴会の陣に飛び込んだ備中。小野甥は親貞公へ既に報告をしている。備中は自分の主人を探す。居た。諸将が右往左往している中で、一人堂々と酒を飲んでいる。


「と、と、殿!」

「備中か」

「て、て、て、敵襲!敵襲です!」


 慌てて声が先走った備中に、鑑連は徳利を投げてよこす。


「落ち着け」

「……」


 まるで動じていない主人鑑連。さすがにこの姿を見ると、慌てふためく己が恥ずかしくなる。


「大丈夫だ。この夜襲、敵の狙いはほら。あれだからな」


 そう言って、親貞公を顎で指す鑑連。小野甥を筆頭に側近たちと打ち合わせをしている。義鎮公が付けた近習が集まっており、見れば見覚えのある顔もあった。


「だから落ち着け。敵はワシらのことなど眼中にないさ」

「は、はあ」


 鑑連が親貞公を認めていないだろうことは感じていたが、といってそれでよいのだろうか。などと備中が考えていると、鑑連はいきなり小筒を取り出して、親貞公らへ向けてぶっ放した。轟音が響く。


 その場の全員が唖然とするなか、一人の武者が崩れ落ちた。親貞公含め、周囲の武者たちは血飛沫を浴びている。鑑連は立ち上がり、そのうつ伏せに倒れた武者を足蹴にする。弾丸が通り抜けて崩れたその表情に、備中は吐きそうになる。


「この者に見覚えがあるヤツはいるか?」


 誰も名乗り出ない。見れば、武者の手は刀を半分ほど抜きかけていた。


「小野、親貞公を手にかけられた無様な護衛、等と言う汚名を被りたくなければ、気合いを入れ直せ」

「はっ」


 鑑連はそう言うと、まだ煙を上げている小筒に弾を込め直しつつ、酒を飲み始める。


「戸次殿」


 そんな鑑連へ話しかけるのは親貞公。


「この敵襲は、私の命を狙ったもの、ということか」

「敵は寡勢なのだ。他にあると思うのか?」


 これは目上の人物に対する話し方ではない。だが、この非常時にはこの無頼こそ頼り甲斐がある。親貞公は明るい表情で曰く、


「では、私が命を守りきれば、この戦は勝ちだ」


 前向きな発言であった。恐らく、親貞公は鑑連を自分の仇であると認識している。その上で、鑑連に話しかけている。鑑連は今度こそ、親貞公の目を見て口を開く。


「ワシの家臣が陣の周辺を確認している。守るべき箇所に、そこの小野は兵を配置している。それでいてこの事態だ」


 鑑連は責める口調ではない。小野甥は目を伏せたままだ。振り返って小野甥を見た親貞公、丁寧な口調で鑑連へ曰く、


「歩哨の兵には酒を許してはいない」

「当然だろ。こういう時、酒を飲めない補償は別に贖うものだ」

「ワカらない。では、戸次殿は兵の練度を問うているのか?」

「いいや、違う」

「?」


 鑑連は立ち上がって親貞公の耳元に顔を近づけた。他の武将らには聞こえないように。備中は、主人の唇を凝視してそれを読む。


「想定するべきは裏切りだ」

「なに」


 ここまで善意だけを振りまいてきた親貞公の動きが止まる。が、今や戦いが始まっているのだ。悠長なことはできない。親貞公は他の将を話して鑑連だけを残して質問する。備中はさり気なくにじり進み、鑑連の声を拾える態勢を確保する。密やかに話をする両名。


「誰が裏切りを?」

「知らん」

「知らないのに裏切りがあると?」

「勘定を逆算してみろ。商人どものように」

「……それは?」

「夜襲があったのだ。敵の包囲は万全なのに、義鎮が付けた武士どもが歩哨を置いている、ワシの家来も陣の周囲を改めたのに」

「手引きする者がいると?」

「他に考えられるか」

「しかし何故」

「裏切りの理由など考えても仕方がない。ある者にとってはどうでもいい些細なことが、別の者にとっては覚悟を決めることだってある」

「ということは戸次殿も信頼が置けないということになる」


 親貞公は声を潜めると鋭い調子になる。対して鑑連は手刀を己が首に当てるしぐさを添えて、深々と嗤う。


「ワシが裏切っているのなら、もう事は済んでいるよ。クックックッ!」


 嘲笑が陣内に響く中、鑑連の無礼に親貞公はむしろ納得を得たようだった。


「暗闇の中、無闇に動くのは愚策だ。ここで敵を迎撃する」

「しかし、敵は私の命を狙っている。この本陣を目指して来るに違いない」

「宴会場であるこの陣は味方からも目立つ。よってここが本丸だ。本丸を捨てればそれで終わりだな」

「……なるほどとも思うが、どうにも不安が拭えない」

「ならこれでどうだ。これはワシが夜須見山で確信を得た教訓なのだ」

「……ワカった。戸次殿の戦術を取ろう」

「安心しろ。一度殺した者を二度殺しはしない。クックックッ!」


 篝火の間で屹立する鑑連。その影が巨人のようである。じゃっと指揮杖を取り出して曰く、


「諸君、この場の防衛について親貞公からこのワシが任された。いいかね、このワシ、戸次鑑連が任されたのだ」


 その場の全員を勢いよく睥睨しながら、獣の咆哮のような声で命令を下す。


「敵はこの陣を目印にやって来る。寄ってくる敵は皆殺しだ!敵か味方かワカらない者も躊躇なく殺せ!ワカったか!」


 波を打ったようになる陣。鑑連はそれも予期していたようだ。悪鬼面を示すと小筒を取り出して、豊後勢、非豊後勢区別なく銃口を向ける。


「返事が無い者も敵とみなす。ワシが的にしてくれるわ」

「は、はい!」

「まだ返事をしない者がいる」

「承知しました!」

「ここは親貞公の本丸だ!命をかけて本丸を守るか!」

「はい!」

「とっとと出入り口を固めろ!進め!」

「はい!」


 気がつけば殺されてはたまらぬと自分も返事をしていたことに気がついた森下備中。さらに見ると、悪鬼の後ろに立つ親貞公が鑑連へ向ける視線には、確かな信頼が漲っているようだった。

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