第236衝 酒席の鑑連

「明朝には総攻撃だ。皆で酒祝おう」

「困難な当世で出逢えたのも、縁でしょう」

「それもこれも宗麟様のお導きか」


 連歌の後の宴は親貞公の性格を反映して品良く進行した。無論、鑑連が威圧の余韻を引っ張り、誰もが羽目を外さないように注意をしているようだ。


 引き続き控えの陣に待機している備中。すでに日は落ち、安東が戻ってきた。手で作った猪口を備中に示して、


「殿はやっているな」

「はい」

「報告をしてくる。陣の周辺異常は無しだ」

「敵の奇襲についてですね」

「親貞公の配下が要所を抑えている。我らの出番はないな」

「おお……親貞公は軍務についてもご見識をお持ちなのですね」

「やることはやっているようだ。まあ、下の者の配慮かもしれんがね。」


 備中はふと、小野甥の顔を思い出した。



 安東が退出した後、宴会会場で歓声が起こった。鑑連がシメ上げた座の空気を盛り上げようとする無謀な人物が、どうやらいる様子だ。耳を澄ます備中。その人物とは意外にも、親貞公自身のようだ。


 会場の外を幾人かの武士が進み、宴会会場へ入った。親貞公の家臣の誰かが座の一同に曰く、


「申し上げます。肥後衆の方々をお呼びいたしました」

「ご苦労。方々、宗麟様はこの戦線に、肥後の大いに頼りになるあちらの武者を招かれた。よって明日の総攻撃の前に、ぜひ親睦を深めて頂きたい。では中へ」

「はい」


 二人の肥後の武者が自己紹介を始める。端無く風が吹いた。声が聞こえなかったものの、連歌会にはいなかった者たちで、彼らも酒宴に加わるようだ。


「肥後侍か……」


 備中は知る限りの肥後国とその侍を思い出す。自身も戦地へ赴いた肥後討伐戦はもう二十年近くも前のこと。阿蘇家のがさつな荒くれ武者は達者だろうか。


 備中の記憶はそれ以上進まない。思えば肥後の人のことを良く知らないためで、肥後人ではないが、討伐戦後の肥後統治を任されていた小原遠江を思い出す。鑑連が自身の栄達のためにその首を狙っていたこの人物は、謀反人とされ、同郷人に攻められて死んだのだった。攻め殺す役は高橋殿が務めた。


 その高橋殿も今や国歌大友の外に出た。叛逆者を討つための武士がまた反逆者になる。国歌大友はこの理不尽を繰り返してここまできたのだ。


 それを思った時、備中は自然と一つの確信に至る。義鎮公が親貞公を用いた動機について、それは善意から出ているに違いないということだ。呪いのようにつきまとう裏切りの連鎖を断ち切るために、敢えて追放者を呼び戻し、高位に据えたのだ。佐伯紀伊守の帰還も同じ意味を持っているのだろう。


 親貞公が率いる主力が豊後勢でなく、肥後や筑後の寄せ集めになっているのも、義鎮公の理想が体現したものなら、それは素晴らしいことではないか。


 そう言えば、親貞公の下に、義鎮公から肥後を預かっている志賀家の武士が来ていない。義鎮公はここで親貞公へ実績を与えて、肥後統治を委ねるつもりなのかもしれないな、などと漠然と思う備中であった。親貞公は豊後より肥後の縁者なのだから。



 主催者である親貞公の努力の甲斐があったのか、宴もいよいよたけなわか、というほどに宴会は盛り上がっている。鑑連へ報告に行った安東が戻ってこないのも、どうやら、親貞公が鑑連主従に酒を勧めているためのようであった。これでは安東も戻れまい。酒が苦手な備中は自身の幸運を神仏に感謝していると、本陣の武者がやってきて曰く、


「勝利の前祝いで飲酒の許可が出たぞ」


 拍手喝采が起こる。無礼講までは行かないが、陣の空気が賑やかになったようだ。この人気取りが親貞公なりのやり方なのだろうが、貴人からの気遣いは下郎には嬉しいもの。早速、愉快な武士らは酒を酌み交わし始める。どこぞの武士に土器を渡された備中も、軽く唇をつける。


「あるいは親貞公は英傑かもしれん」

「宗麟様の御墨付きだよ。きっとそうなのだろうさ。この滞陣も千秋楽が近いな」

「明日、佐嘉城が落ちればそうなるよ」


 妙なる雰囲気がそこにあった。戸次隊では感じることの少ないその火照り。当てられた森下備中は名も知らぬ武士同士で戦国の晩夏を寿ぎ合う。



 輪の中に小野甥がやって来た。用があるのか、飲みの座で初期位置を決して動かない備中の隣に腰を下ろす。


「あまり飲んでないようですね」

「と、得意ではないので。小野様は……の、飲んでいないんですね」


 ニッコリと微笑む小野甥。徳利を傾け、ほんの数滴、備中のお猪口へ滴する。雫が跳ねたところに、七色の光が見えた。驚いた備中、瞬きして見直すと、酒面に波紋が伸びているのみ。まさか、本の数舐で酔いが回ったのか。


 小野甥はまだ備中の隣に座っている。最近、話す機会も無かったため、備中はこれまでの存念を小野甥に問うてみたくなった。


「お、小野様」

「なんでしょう」

「夜須見山のあの大敗の後に、と、殿と吉弘様を結びつけるように動いたのは小野様でしょう」

「おや、それは備中殿のご主張だったはずでは?」

「考えてみれば私の力など及びませんから」

「さて、どうでしょう」


 その言葉が何をはぐらかしているのかはワカらないが否定もしていない。続けて曰く、


「それは、どちらかといえば戸次家のためなのですか。それとも」

「私は義鎮公の近習ですからね。何を為すのも国家大友の為ですよ」

「私は……」

「備中殿は戸次様の近習なのですから、戸次家のために考え行動する、それは何の問題もありません」

「しかし、小野様の方がより多くのために奉仕していると思うのです」

「成果が出れば、そうでしょうね」


 僅かに、小野甥の爽やかさが薄まった。この爽やか侍にも苦悩があるのだろうか。


「吉弘様のように、臼杵様と殿を結びつけることは叶いませんか」


 お猪口へ目線を落としたまま、小野甥曰く、


「成果は、でませんね」

「どちらに原因が?」

「さあ。ただ一つ言える事は、臼杵様は吉弘様では無い、ということだけです」


 小野甥は吉弘が鑑連へ歩み寄った、と言いたいのだろう。それが出来る吉弘は、戦場で不首尾が続いていたとしても、それを凌駕する美徳がある、ということか。


 備中は徳利を取ると、苦悩する小野甥へ、ほんの数滴のみ差した。目を上げた小野甥は、お天道様のような笑顔を見せる。


「どうも」

「い、いえ」


 爽やかなきらめきを前に思わず頬染める備中。小野甥はその酒を少し口につけた。彼もまた、あまり酒が得意では無いのかもしれない。


「佐嘉郡は米が良いから酒も良いそうです。それは、親貞公が辺りの杜氏から買った良品ですよ」

「なるほど」


 酒を飲まない備中には酒の味への関心は無い。それより親貞公が接収略奪をしていない様子に、感心する。


「親貞公は良いお方のようですね」


 どのような出自であれ、という言葉を備中は飲み込んだ。隣にいるのは鑑連ではない。


「そうですね。親貞公は」


 小野甥が語り始めたその時、手の中の徳利が破裂した。表情が固まった小野甥を前に、備中の耳は、夜に響く銃声を確かに捉えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る