第180衝 平野の鑑連
「はっはっはっ!これは戸次様!」
「よお、石宗殿」
進軍中の戸次隊に石宗がやってきた。不愉快な笑い声は相変わらずだ。
「ははっ、女難の相は当たったようですな」
「全く、そなたは大した者だ」
「はっはっはっ!それほどでも!」
見れば石宗の周囲には義鎮公の近習衆が護衛として付いている。それほどの信頼を得ているのか、と驚く備中だが、思えば石宗栄達のとっかかりは戸次家であり自分なのだ。あざなえる天道の霊験あらたかを認識せざるを得ない。
「今のワシはどうかね。なにか卦を感じるか」
「左様」
石宗が云々唸り始める。周囲がどよめきとともに怪僧と鑑連主従を包み込む。石宗の奇怪な悲鳴が響く。
「ひえっ、ひええっ!」
「……」
「出たっ……」
「なんと?」
「……山沢損、山沢損の卦が!」
何のことかわからぬ備中と野次馬衆は顔を見合わせるが、鑑連は知っているようで、何やら笑みを浮かべている。
「悪くない卦ではないか」
「その吉凶は戸次様次第でしょう」
「いやあ、良い卦だよ。石宗殿には感謝しなければな」
「ははっ、はっはっはっ!それほどでも!」
大高笑いの石宗に鑑連、顔を近づけて周囲には聞こえない声で小さく呟いた。曰く、
「義鎮めを操るなど、簡単だろう」
「ええ?」
「デカイ屋敷を建てるも良いし、郎党囲わせるのも良い。が、戦場では如何かな」
「はて、要領を得ませんが」
「そうかな」
鑑連、石宗の顔を深淵を眺めるが如く覗き込む。備中の目には、石宗が息を飲んだように見えた。が、一瞬である。すぐに常の不遜を取り戻した石宗曰く、
「ですが今やその名も懐かしい肥後戦役での日々を思い出しました」
「兵の指揮は事象の予測とは違う。よってそなたが戦場での振る舞いで新居を構えたければ、ワシに相談するのが近道、ということさ」
「……」
「……」
「はっはっはっ!さすがは戸次様ですな!」
耳の良い備中には全て聞こえていた。結果、鑑連の方が一枚も二枚も上手の怪物であると、思い直す。石宗は笑いながら義鎮公の陣へ戻った。
「と、殿。卦についてですが……」
「貴様は主人にものを尋ねるのか」
「あ、あの、その」
「あの卦の意味は、損して得とれ、ということだ」
「な、なるほど」
「無知な下郎の教育は主人にとって最も気が重い勤めだな」
そうではない、と首を振るい、再度鑑連に話しかける備中。
「と、殿。石宗殿は、我こそは殿の軍学の師だと触れ回っている、という噂があります。偽りに満ちたその行い、正さねばなりますまい」
「放っておけ」
「し、しかし」
「あの手の輩は死んでもたかりをやめないと相場が決まっている。そのうち吉弘、臼杵にとっても何か知識技能を施した、とのたまうかもしれん」
「す、すでにそんな噂も確かにあります」
「そうだろうが」
鑑連の見通しに感心する備中。
「なんといっても、ワシの軍事的名声はもはや確立している!どう尾ひれがつこうがこれは不動のものだ、クックックッ!」
「は、はっ」
「ま、石宗は程の良い二重の間者だ。前も言ったがな」
「覚えております、あれは使い方次第、と」
小さく鼻を鳴らした鑑連はもう石宗の話をする気が無くなったようだったが、方や備中は得体の知れない僧が義鎮公に日々接近していることに不安を拭い去れずにいた。
進軍を開始した鑑連に、引っ張られ、大友勢は前進を開始した。義鎮公から特別な命令が無かったことを思えば、主人鑑連は早速大友家督を引きずり回しているのかもしれない。大勢力が筑後川を越えて、肥前に侵入を開始した。
右手には高さが均く見える脊振の山々が並び立つが、正面には一面の平野が広がる。丘陵すら見えない。湿地帯や水路も広がっており、備中は生まれて初めてみる風景に感動し、並んで馬を進める内田に話しかける。
「筑後川のこちら側は見晴らしが良いね」
「山や丘が全くないな」
「水路があちこちにあるよ」
「川が溢れれば、簡単には水は引かないはず。住むのも難儀そうだな」
「でも、豊作なら石高は良いのでは」
「そうだな。それが佐嘉勢の力の源だよ」
内田は筑前で佐嘉勢の戦振りを見知っているはずであった。そこを尋ねてみる。曰く、
「強靭というよりも連携が巧みだったな。指揮者の命令が良く行き届いている印象で、その点が我々とは大きく異なっているよ」
「そんなに違うもの?」
「そりゃウチは戸次隊、吉弘隊、臼杵隊で連携が悪いもんな……佐嘉勢に比べれば」
「へえ、佐嘉勢の頭領は統率力があるのか」
「だが、国家大友の兵の多くが出陣すれば、敵ではないよ。数が違うものな……ん?」
「どうしたの?」
「おかしい。他の隊が我が隊に追いついている」
吉弘隊と臼杵隊が進軍を速めていることに、内田が気がついた。戸次隊の左右を進む両隊は、どんどん進軍速度を上げ、戸次隊の前に出た。顔を見合わせた内田と備中は鑑連の元へ行く。
「殿!」
「知っている」
鑑連は焦ってはいなかった。だが、新たな命令を出す様子でもない。
「義鎮公の指示でしょうか」
「さあな」
義鎮公本隊の方向を眺めてニヤリと嗤う鑑連。
「義鎮を引きずり回す役目は、ヤツらに任せよう。ワシらは様子見だ。それこそ義鎮の近くでな」
「こ、功一等はよろしいのですか」
「功一等を握る者は佐嘉勢の本丸を撃破した者さ」
鑑連は常々、吉弘や臼杵を相当の戦下手とこき下ろしているが、この油断から足を掬われることがなければいいけれど、と隠れて独り言ちる備中。情報連絡の己の役目を通して鑑連へ奉仕するため、気合いを入れ直すのであった。
かくして佐嘉勢討伐戦は口火を切った。吉弘隊及び臼杵隊は、佐嘉方の武将が籠城する勢福寺城へ向けて驀進していった。
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