第179衝 尤禍の鑑連

 吉弘の陣。規律が維持された兵らが並んでいるが、それを蹴散らすが如く歩みで、鑑連主従が現れた。その圧倒的威圧感の前では、吉弘武士らも道を開くしかなかった。


「戸次殿」

「最近顔色が悪いようだからな。様子を見に来た」

「お気遣い頂き感謝します」

「最近、土気色のまま変わらんな」

「は……」

「なに、戦場に立てないようであれば豊後へお引き取り願うつもりでいたのさ。兵どもは置いてな」

「……」


 鑑連のこの性格は死んでも治らないのだろうな、と備中独り言ちず。


「ご心配をおかけしています」

「貴様の心配などこのワシがするか。要件はこれだ」


 吉弘の膝の上に書状を投げる鑑連。この振る舞い実は親愛の情だったりしたならば、と備中妄想を逞しくする。


「この書状は……佐嘉勢から筑後勢に宛てたものですか」

「降伏の仲介を願うものだ。この書状の愉快なところはほら、ここだ」

「……」

「最初そなたに仲介を依頼したが拒否された、とある」

「そのようですな」

「事実かね」

「事実です」


 体調も優れないというのに立ち上がった吉弘を差し置いてどかりと座る鑑連。楽しげな様子に見えなくもない。陽気な声で続ける。


「なぜ拒否したのかね。敵が容易に降伏すれば、それこそ義鎮の望み通りになると思うが」

「それについて」

「それとも、功名心に駆られたか」

「いやそうではなく」

「清廉が売りの貴様に似合わんな」

「戸次殿」


 吉弘が強めの声を出して、鑑連の止まらぬ喋りを抑える。


「戸次殿、深読みが過ぎます。今回の出陣は宗麟様のお考えによります。であれば、私が仲介できることなどあるはずもない。全ての戦略は宗麟様の心の中にあるのみ」

「そうか。まあ、それは良しとしよう」


 この件はどうやら挨拶代りだったようだ。


「本題だ。義鎮の事実上の副将たるそなたがどう佐嘉勢を蹂躙するのかを聞いておきたい」


 土気色をした顔で、吉弘は首を振って曰く、


「繰り返しますが、この度の戦は宗麟様の望むところです。正式な副将の地位も無い私にそれを尋ねることに何の意味が」

「あるさ」


 ズイと悪鬼面を吉弘へ近づける。なんだか今日の鑑連はいつも以上に鑑連しており、ハラハラが止まらぬ森下備中。


「義鎮が今何を考えていようと、そのうち必ず貴様を頼る」

「あ……」

「義鎮はそうせずにはいられん者だ」

「……」

「その時に備えて、ワシも尋ねるのだ」


 静寂が広がる。まるで義鎮公の心について、両者間に同意が存在するかの如く。ややあって、吉弘が口を開く。


「秋月勢だろうが佐嘉勢だろうが、攻撃は数ある選択の一つにすぎません」

「佐嘉勢を叩けば筑前が落ち着く。戦略の意義は他に無い。肥前のクソ田舎など、本来義鎮がさしたる関心を持つはずがない」

「注意すべきはどこまでいっても安芸勢です」

「そう言い続けてはや十年以上が過ぎたな」


 安芸勢との戦いは、それほど長く続いている。だが、国家大友の誰も、戦争を終結に持って行けていない。その責任を最も負うのは義鎮公だが、吉岡、吉弘、そして我らが戸次鑑連も免責されるワケではない、という批判があるとすれば備中すらも同意するだろう。


 そして、鑑連にも吉弘にもその自覚があるようだ。両者はこの認識では同じ場所にいるはず。なのに両者の関係は上手く行かない。備中は天道に無常を見る。


「クックックッ、義鎮はいつまでこの茶番を続けるのだろうな。ワシらも無駄に歳を重ねている」

「その諦めを知らない安芸勢は、佐嘉勢と繋がっています」

「そんなことみな知っているはずだがね。博多からの情報ではその後の安芸勢に動きは見られない、というのが義鎮の主張ではないのかね」

「しかし、連中動く時は速いでしょう」

「同感だが、果たしてそれが無下に交渉を却下する理由になるかね」


 なんと。急に佐嘉勢降伏の話に戻った。備中が見るところ、吉弘はこの急展開に付いて行こうとしており、その誠実な人柄に、胸打たれるのであった。


「私の考えでは」

「ほう、そんなものがあるのか」


 もう雑言が効かない様子の吉弘。恐らく聞き流しているのだろう。


「土豪らは国家大友への叛逆行為に何ら呵責を覚えない。故に裏切謀反が頻発する。連中を従えるには力を見せねばならないのです。前後の事情がどうであれ、ここに大軍が集まった。それはきっと、好機です」

「故に、和睦など以ての外……」

「和睦だけでなく降伏も許してはなりません」


 沈黙が広がった。発言を割られ、さすがの鑑連も面食らっている様子であったが、


「鑑理、一皮剥けたな」


と態勢を持ち直す言葉を発した。


「立花山城で何があった」

「別に……」


 二人は真剣な眼差しを交わし合っている。


「いえ、大友血筋の者らの散華に比べたら、肥前の田舎侍一人始末するのに躊躇は無用だということ」


 まるで鑑連のような言い振りだ。しかし、吉弘のかさついた表情には虚無感が漂っており、備中は今は亡き立花殿を思い出すのであった。


「それだけのことです」



「備中、どう見た」


 吉弘の陣を出て、足早に帰陣する戸次主従。早歩きの会話は大変である。


「あ、あの、その」

「構わん」

「かか、変わられたという印象が」

「同感だ。何があったかは知らんがな。それで」


 備中は鑑連の速度に懸命について行く。


「よ、吉弘様の強硬さに義鎮公すら面食らっているためこの滞陣の長さとなり、よ、義鎮公は臼杵様のご判断を仰ぐおつもりなのではないでしょうか」

「それも同感だ。ならばワシのやるべきことは一つだな。ワカるか」

「え、えーと、その。ふ、副将選びは取り敢えず成り行きに任せて、義鎮公を一日も早く戦場へ向けさせること……」

「そうだ、義鎮の尻を叩くぞ。全員でな」


 何やら楽しげな鑑連の歩みに、備中もワクワクしてくるのである。


「内田」

「はっ!」


 陣に戻るや否や、命令を発する。まずは内田。


「すぐに臼杵の下へ使者として向かえ。戦場に不慣れな義鎮は吉弘の進軍案にたじろいでいるため、滞陣が長引いている。それを伝えるだけで良い」

「つ、伝えるだけですか」

「臼杵は佐嘉勢に渾身の恨みがある。志摩郡で散々な目に合っているのだからな。臼杵一族全体が反佐嘉になっているのだ。だから義鎮が好戦策に躊躇しているとなれば、必ず後押しするはず」

「なるほど!」

「ワシの言葉は義鎮にとっては逆効果だからな……ワシは行動で示すぞ。備中!」

「は、はは!」


 急なご指名に、頭がついて行くか心配な備中。


「東にいる安東に使者を送り、星野勢への総攻撃を伝えろ。それに必要な手勢には……同じ筑後の戦いだ。筑後勢を幾らかすぐに送ると言え」

「はっ!」

「由布」

「……はっ」

「進軍の準備だ。いつでも出陣が出来るように」


 寡黙な由布にとってもこの長い滞陣には思うところがあったのだろう。無言だが武者の闘志を発散させながら、陣を出て行った。


 大切なことを思い出した備中。


「お、それながら」

「なんだ」

「さ、佐嘉勢の降伏の申し出は、却下、ということですね」

「当然だな。佐嘉勢の首領には気の毒だが、消えてもらう」


 鑑連の言葉に嬉しくなる備中。何だかんだで主人鑑連が抱く国家大友への思いの強さを信じる気になれたのだが、


「義鎮の手綱をワシ、吉弘、臼杵で引きちぎれば、あれの面目丸つぶれだな。クックックッ!未熟者のくせに、ふざけた真似をするからこうなるのだ!この戦い、功一等を狙うぞ!以後義鎮めに愚かも愚かな生意気を許さんためにもな!」


 すぐにその感動を取り下げるしかない備中であった。

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