第178衝 軽難の鑑連

 高良山の麓に広がる大友の陣に、いくらか温もりを帯びた風が吹く。真冬からの駐屯組である武士らはみな、冬が明けるを感じ始めていた。備中もすっかり情報交換をする仲になった門番と、今日も世間話を交わす。


「いくらか暖かくなってきたね」

「そうですね。冬の長丁場なんてごめんでしたから、良かったです。戦の季節の到来でしょうか」

「そうかもね。で、戸次隊はいつ出発?」

「それがさっぱりワカらずです。義鎮公の近習隊はまだ先でしょうし」

「戸次隊が動かないのなら、誰が筑後川を最初に渡るのかな」

「……」

「……」

「門番殿、本当は知ってるくせに」

「知らないよ……本当」

「私の目を見てください」

「い、嫌だ。でも本当だよ。私の殿もご存知ないのだから」

「そうですか……残念」



「と、吉岡家ご嫡男も知らされていないということは、本国豊後からの連絡でも不詳の可能性が大きいのでは、と」


 展開の無い戦場に身を置いて、日々不機嫌さを募らせる鑑連、備中の報告に舌打ちを返す。


「チッ、義鎮め」


 鑑連だけではない。大将以下の武将らも無為な筑後逗留に嫌気が差し始めている。


「しかし、義鎮公はいつまでこの陣で油を売るおつもりでしょうか」

「……筑前より臼杵隊が南下中とのこと。合流を待って、行動を起こすおつもりでは」


 内田と由布が鑑連を宥めるような口調で対応するが、鑑連の舌打ちは止まらない。バチン、バチンと空気を打つ音が響く。蔓延した嫌な空気を払うため、備中、内田に軽口を叩く。


「それにしても、内田が陣にいると門司の戦いを思い出しますね。また一緒に戦えるとは、感嘆の極みだとは思いま」

「貴様がその言葉をこの陣で何度吐いたか、ワシは数えているぞ」


と備中が言葉を割り、睨み、両手の指を解放した鑑連に、備中は平伏する。備中の失敗を、由布の業務連絡が労ってくれる。


「……内田、臼杵隊からその後の連絡は」

「ございません。平野部をゆっくり南下中とのことなので、数日後には到着するはずです」

「……脊振の山に棲みつく佐嘉勢胞を挟み撃ちにするでもなく、無駄の多い行軍です」


 珍しく、由布が厳しい言葉を漏らす。嗤った鑑連曰く、


「義鎮にとって、戦争と物見遊山は同じ扱いのようだな」

「殿!物見遊山なればこそ、もっとしっかりやるべきでしょう。この戦役、余りに手抜かりが多い気がします」

「諸事統括する者を置いていないからな」

「……吉弘様が副将を務めるというわけでも無し」


 さらに由布の指摘。


「そう言えば吉弘様御着陣から日が経ちますが、事態は余り変わりがないですね」

「あれも体調が万全ではないようだからな。常より義鎮に諫言するなど夢だな」


 由布も内田も驚いたが備中もである。そんな話をさらりと言ってのける鑑連は平然たるもの。


「ご、ご病気なのですか」

「土色の皮膚に虚ろな目、あれは過労と心労が原因だ」

「く、医師などには……」

「知らん」


 いつもの鑑連に、思わず笑顔になってしまう備中。


「が、あのクソまじめのことだ。誰にも悟られないように医師を呼ぶなど、しないだろうよ」

「義鎮公はご存知なのでしょうか」


 吉弘は義鎮公が最も信頼を置く武将のはずだが、


「クックックッ、義鎮がそれを気にかけるはずがあるまい。まあ、体調がイマイチそうだとは気がついているかもしれんが」

「しかし、辻褄は合います。いざという時に頼りにすべき臼杵隊の到着を誰が主張しているかはともかく、そういうことなのでは……」

「ふむ」

「……」

「……」

「……」


 由布も内田も備中も沈黙した。彼らの心中には、この大切な時でさえ、義鎮公は主人鑑連に頼らないのか、という哀しみが均く広がっていたが、


「副将不在で義鎮がどこまでやれるか、見物だぞ」


と嗤って止まない当の鑑連には無縁の心境であった。



 吉弘の病気について耳にして落ち着かない森下備中は、消化不良を持て余すことができず、この陣における話し相手の門番に相談する。それによると、


「一部ではその噂は流れているらしいけど……戸次様がそう仰ったのか。なら真実なのかもしれないな」

「よ、義鎮公のお耳には入っていないのですか」

「多分」

「な、なぜ」

「そりゃ宗麟様は吉弘様としょっちゅう会っているはずだし」

「気がついていないのか」

「あるいは吉弘様が努めて気丈に振る舞っているか」

「……」

「……」

「それだな」

「ど、同感です」


 吉弘は地味だが堅実な武将だ。主君に迷惑をかけない、ということに重きを置いているとは十分に想像できる。


「だが、それなら尚のこと、我々下々にできることなど何も無いよ」

「何かあるとすれば……」

「あるとすれば?」

「た、例えば戦争に勝つとか。それで気分が安定する」

「うーん」


 門番は難しげに目を瞑るが、備中にもその気持ちはよくワカる。一現場指揮官としてならともかく、大将としての吉弘は良い成績を修めているとは言い難いからだ。


 得るものなく戸次の陣へ戻る備中。思い切って知らぬ顔でも無い吉弘へ直接会って見ようか、とも思う。これまで極めて私的かつ公的な諮問を受けた身でもある。鑑連との橋渡しが出来るかもしれない。


 ふと、 そう言えば最近小野甥と話をする機会が少ないことを思い出す。義鎮公の近習だが不思議な活動をしているあの若者であれば、こんな時格好の相談相手になるのに。


 しかし、動きのない滞陣の中で、ついに事が動き始めると、備中の関心もそちらへ惹きつけられてしまう。自分でも苦笑するしかないが、その内容は、


「佐嘉勢の首魁が降伏を申し入れてきたぞ」

「こ、降伏ですか」

「そうだ」

「……」

「……」

「誰にですか」


 良くぞ聞いたと言わんばかりに鑑連は凶悪な悪鬼面でニンマリ喜悦を創ると、


「このワシにだ!」


と仰天する幹部連を前に景気の良い大声を張り上げた。

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