第177衝 排習の鑑連

 筑後国、高良山吉見岳城(現久留米市)


 由布と並んで大友軍の軍容を眺め、感嘆する備中。


「いやいや、すごい……大軍ですね」

「……そうだな」

「さすが大友家督のご出陣。これなら安芸勢との戦いでも、義鎮公が出てきてくれていれば良かったのに」

「……苦労せずに済んだ、ということか」

「はい」

「……戦場に出れば討ち死にの危険もある。仮に義鎮公が討たれれば、豊後は大混乱になる。それを危惧してのことかもしれない」

「なるほど」

「……また数が多いとは言え、暇を持て余した雑兵も多い。むしろ動きが取りにくいということもある。油断するなよ」

「はっ!」


 戸次隊を統率する由布と離れ、先行した鑑連へ報告を行うため本陣へ向かう備中は改めて大友軍の規模の大きさに瞠目する。田原、田北、橋爪、朽網と義鎮公に近い面々の旗指物の背後には、あちこちの土豪らが付き従っている。怪しげな装いの兵どもの姿もチラチラ見える。筑後に集結しているから当然だが、筑後勢の数も豊後のそれに負けない位に多い。さらには肥後勢を指揮する志賀隊の姿もあった。


「これに吉弘隊が加われば、万どころか二万をも超える大軍団になる。これは佐嘉勢もおしまいだな」


 景気良く独り言ち歩いていると、見知った顔と出会う。


「備中殿」

「あ、門番殿」


 吉岡家の門番がいた。


「戦場でお会いするのは門司以来」

「お元気そうで。吉岡様もこちらへ?」

「ご嫡男が宗麟様に付いて来ているんだ」

「ご嫡男……」


 老中筆頭の嫡男を思い出そうとするが、妖怪ジジイと毒づく鑑連の声に消され、全く思い出せない備中。その様子を見ていた門番は察したように苦笑する。


「宗麟様の近習衆として一隊を指揮するんだよ」

「へえ」

「地味だと思ったんだろ」

「ま、まあ。門番殿のお役目は?」

「足軽組頭だ」

「えっ、すごいじゃないですか」


 伝令をやったり組頭だったりする門番は順調に出世しているのかもしれない。


「名前だけさ。今回は雑兵の統率係だし」

「この大軍ですもんね」

「数だけは多いんだが、暇な冬の時期に興味本位で来ているだけの奴もいる。扱い難いよ……ところで戸次様はお元気ですかい?再婚されたともっぱらの噂だけど」


 目を左右に走らせ悪鬼に警戒する門番。


「全くもって相変わらずです」

「では、溜息はつけないんだね?」


 女間者の件を思い出した備中、鑑連の被害者でもある門番のその言葉に思わず破顔。爆笑する二人。よじれた腹をさすっていると、自然と仕事を思い出した備中、


「ところで、主人につきましてどんな噂が本国では流れているんですか。老いても猶お盛んとかですか?」

「それもあるね。あとは自分のせいで追放された女を引き取ってご立派だとか」

「おお、殿が聞けば喜びます」

「道徳の方面でも武名を上げられたな」

「もっとこう、悪い噂は」

「ないよ」

「……」

「ないない」

「……」

「な、ないってば」


 門番は向かって斜め左上に目を逸らす。石宗の教えによれば、これは嘘つきの証拠である。備中、周囲を確認後、嘆息して曰く、


「ふぅ、どうして嘘つくんですか」

「え!?」

「我らは国家大友の陪臣同士ではないですか。本当のところを教えてくださらんと」

「な、なんだって」

「大丈夫、情報元の秘匿は約束します故」

「いや、その」

「八幡大菩薩に誓います」

「……」

「あ、吉利支丹の神にも誓います」

「……な、なら。これは家中で、つまり限られた所で聞いた噂だけど」

「は、はい」


 緊張する備中。


「戸次様は種無しじゃあなかったんだな、と」

「……」

「内緒にしてくれよ、戸次様のお耳に入れば殺されてしまう」

「は、はい」


 余りに粗末なオチにがっかりする備中。これは鑑連へ報告する必要のない情報だろう。


「しかしなぜ、私が全てを話していないとワカったの?」

「ああ、それは……」


 石宗の知識を披露する備中。とたんに嫌悪を示した門番曰く


「あんた、あんな怪しげなのと付き合わない方が良いと思うがね」

「最近はご無沙汰ですが、何かあったのですか」

「いや別に。ただ宗麟様がご老中衆と上手くいっていない原因があの坊主ではないか、という気もするのでね」

「そう言えば、石宗殿は今回こちらへ?」

「来ているはずだ。宗麟様の近くに行けば、あの不愉快な笑い声を耳にするさ」


 そう言った門番は、胸で例の如く吉利支丹の作法で手を動かして、去っていった。


 本陣に戻り備中この話を鑑連に報告すると、


「寵愛争いだな」

「寵愛ですか」

「怪僧石宗と怪僧南蛮衆とのな」


 どっちもどっちということなのだろうが、


「備中、貴様はどちらがより害悪だと思うか」

「が、害悪ですか」

「そうだ、ワカらんとはヌカさんよな」


 脅しをかけてくる鑑連には、即効性が必要だ。備中、選ぶべき言葉を決意して曰く、


「ど、ど、どちらも害が大きいでしょうが、石宗殿の方が害悪かと」

「なぜだ」

「今や殿のお味方とも思えないからです……」

「貴様のその臭いおべんちゃらの他には?」


 阿諛が見抜かれて心臓が高鳴った備中。さらに付け加える。


「ここ、今回、戦場に石宗殿も出て来ています。差し出がましいことを控えてくれればと思いますが、かの人物の性格からすると……」

「それはあり得る」


 無言で少し考えた鑑連は、


「石宗にはワシが釘を刺しておく」


 正解を当ててホッとした備中に鑑連曰く、


「ワシら武士はどこまでいっても戦場に生きる者だ。石宗に限らず、遠い異国から来た南蛮の僧と言えども、賢しげに戦場のことにまで口を出せば、ワシは黙っているつもりはない。南蛮坊主は来ているのか?」

「あ、いや、それはどうでしょうか……」

「クックックッ」


 いきなり嗤いをこぼす鑑連をぼにゃりと眺める備中。


「実務経験の無い男が生涯初めて大軍を率いるも副将も置かず、側には怪しげな僧が立ち隠然たる影響力を行使する」

「……」

「どうだ備中、この肥前の戦いがどう展開するか、楽しみではないか、クックックッ!」


 鑑連の皮肉な嗤いは長く続いた。主人は義鎮公をどこまで突き放すつもりでいるのか、それとも危機には手を差し伸べることがあるのか、備中には良い未来を想像することがどうしてもできない。


 翌日、吉弘隊が高良山の陣に入ったとの知らせが来た。筑後川を渡り肥前に攻め込む日が近づいていると、誰もが噂し合っている。

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