第175衝 鼻先の鑑連

「はや三年目に突入しているこの筑前の戦役において、義鎮公は政治的な躓きを経験されました」

「躓き?」

「あの夜須見山での敗戦です」


 あの嵐の夜に斃された仲間を思い、一様に暗い顔になる幹部連一同。戸次家中において、今でもあの戦いは悪夢となっている。


「安芸勢来襲の仄聞により吉弘臼杵両隊を下げ、その他不幸が重なった末の悲惨ですが、ことの発端は義鎮公です。そう言った類の噂も流れました」

「動かぬ事実だろうが」

「それが公の誇りを傷つけているのです」

「自覚があったのだな」

「はい。公の近習小姓にて知らぬ者はおりません」


 広間は静まった。国家大友の最高位が心を痛めていると知って、総領に対する好漢度が微妙に上昇していた。が、それに気がついた鑑連はすかさず妨害に出る。


「もしや、傷がついた己の誇りを癒すための陣頭志望か」

「はい」


 断言する小野甥に爆笑の鑑連。


「クックックッ!悪夢だな!」


 これには好漢度を下げざるを得ない幹部連。いつの世も、現場は素人の口出しを嫌う。さらに悪しき前例もある。幹部連の心中で一致した意見は、また夜須見山の時と同じ結果になるのでは、であった。


 殿お見事也、とその印象操作術に独り感嘆する備中。


「また、国家大友の精鋭による筑州駐留が、つまりこの対陣が財政上の大きな出費にもなっています。義鎮公はその費用を取り戻したがっています。隣接する佐嘉勢が所領の接収は、財政問題の解決策にもなります」

「この作戦は失敗するな。貴様もそう思うのだろうが」


と鉄扇で指された小野甥は、主君義鎮公をコケにされても、正論を通してくる。曰く、


「そうさせないためにも、確たる副将を定めねばなりません。つまり、この際副将が事実上の総大将というワケですね」

「ふん、貴様はその為に何かできるのか」


 鑑連のけんもほろろな塩言葉には、義鎮公は老中らの話を聞き入れない、という前提がある。それを汲み取った小野甥の提案は、


「本国豊後に残る近習衆に公の説得を指示します」

「効果があるとは思えんがな」


 小野甥がふと備中を見た。その目が言わんとしていることは、鑑連とて近習備中の言葉に従って物事を判断しているのにね、という余裕が込められていた。小野甥の大胆な振る舞いにドキドキものの備中。小野甥が続ける。


「場合によっては、田原民部様が副将でも、ことは首尾良く進むと考えます」


 田原民部の名前が出て愉快な顔でない鑑連。


「ヤツには総大将の経験はない」

「それでも幾つかの厳しい戦闘をご経験です。それに意外かもしれませんが、他者の意見を聞く、という美点をお持ちです」

「美点、ね」


 小野甥の意見から、門司で田原民部と会話した記憶を思い出した備中、思わず頷いていた。鑑連がそれをギロリと睨むと、首を引っ込めてしまう備中だが、そのやり取りを幹部連全員が注視している。田原民部は人の話を聞き入れることがある、という印象が、全員に共有された。


「いかがでしょうか。心証悪しき戸次様を総大将には決して任命なさらない公も、田原民部様ならば受け入れてくれるのではないかと。これは国家大友の破滅を避けるために必要です」


 美点か欠点か、本当に小野甥ははっきりとものを述べる。それが鑑連自身も可笑しかったのだろう、大笑いである。


「クックックッ!貴様義鎮の近習なのに、あれの戦の感性の欠如は文句なしに認めるのか!いいだろう、動いてみろ」

「はい」

「クックックッ!できるものならな!」

「……殿」

「うん」


 珍しく、由布が戦略向きの話に提言をする。


「……小野殿の動きはそれとして、義鎮公へご老中衆としてのご助言を、行うべきと存じます。と申しますのも、吉岡様の動きがご活発でない以上ことがどう動いたとしても、その責任の向かう先の一つは殿になるからです」


 これも珍しい、鑑連への忠告じみた意見であった。少し考えた鑑連だが、これをあっさりと流してしまう。


「義鎮のことだ。ワシに反発するだけさ」


 備中は主人のその声に、若干の諦念を感じたのは自分だけではないのだろう。大友戸次の主従は、以後やっていけるのだろうか、と切なくなるのであった。



 このやるせ無い空気の中、新たな年が明けた。永禄の時代も十二年目を迎えていた。


 筑前豊前を巡る争いが激化したり、国家大友に裏切謀反が相次いだり、多くの仲間が討ち死にしたり、京の都で将軍が殺されたり、ついでに鑑連が奇妙な再婚を果たしたりと忙しいことばかりの永禄はまだ続く。きっといろいろまだまだあるのだろうなあ、と周囲に鑑連がいないことを確認して溜息を吐く備中。


 とはいえ新年を生きて迎えることができたのはやはりめでたいもの。静謐のなか筑後の正月を味わっていると、驚きの事実が飛び込んでくる。その情報を携えて、鑑連の部屋へ飛び込んでいく備中、鉄扇をお手入れ中の主人に怯えつつ、報告を行う。


「ととと、殿!義鎮公がご出陣されました!」

「こっちに来ているのか」

「はい!すでに臼杵を出発されたとのこと!軍勢を糾合しながら、集結地はこの筑後、高良山です!」


 驚愕した表情のまま固まった備中に対し、鑑連は笑いでも驚きでも感情を示さなかった。代わりに、


「小野の若造の言う通りになったが、副将選びの話も真面目に考えてみるか」


と似合わぬ熟考を始めるのであった。

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