対 肥前佐嘉勢

第174衝 受令の鑑連

 筑前国、柑子岳城(現福岡市西区)


「結局、その女間者を斬ることができなかったって聞いたぜ」

「まあ、その……」

「敵であっても、女子供は斬ることができないってか」

「そ、そんなんじゃないけれど……」


 備中は鑑連の命令を遂行できず、功に早った別の武者が女間者の首を斬り落とした。その時に鑑連が示した軽蔑の眼差しを、備中は忘れることができずにいた。そしてこの話は瞬く間に広がり、志摩郡にいる内田の耳にも入った、ということだった。


「実は、私はまだ人を斬ったことがなくて……」

「知ってるよ。武士にあるまじきことだ」


 にべもなく言い放つ内田だが、


「まあ、別の形で殿のご機嫌をとり結ぶことだな。なんなら、私が稽古をつけてやってもいいよ」

「え、遠慮します」


 鼻を軽く鳴らした内田、鑑連の再婚話を始める。これがしたくて仕方がなかったようでもある。


「しかし、今回のご再婚、全く殿らしいな」

「そうね」

「思えば、信頼の置けない秋月を監視するに問註所殿ほど適当な方はいない」

「位置かな、それとも信頼かな」

「どちらも。で、その問註所御前を仲介した武士だが、我々の強力な競争相手になるかもしれん。なんて言ったっけ」


 そんな内田との会話をぼんやりいなしながら、臼杵家の城を見る森下備中。武士や兵たちに元気なく、鑑連が入る筑後の諸城とは印象が大きく異なる。


「なんだか、城全体が暗いね」

「最近、臼杵様も病気がちだからな。それでいて今回私を筑後へ引き上げるのだろう。くさくさもするさ」

「病気……あっ、臼杵様の兄君も、戦場で倒れてたけれど」


 数年前の門司の合戦を思い出す二人。


「不吉なこと言うなよ。でも血筋に同じ病気が出ることは良くあるからな。気にはしていると思うよ」


 人は誰しも永久に健康ではいられないという当たり前の事を思い出した備中。思えば老中筆頭吉岡も耄碌したとか言われているが、本当に老いが重くのしかかっているのかもしれなかった。鑑連も見かけは若いが、いつまでも元気ではないのだ。ふと、急ぎ戻りたくなった備中。


「じゃあ、これで戻る」

「なんだ、忙しないヤツだな」

「志摩郡には安芸勢の長い手も伸びてきていないようだしね。左衛門も元気そうだし、殿に良い報告ができそうだ」

「それよりも、次は敵を一人ぐらい斬り倒して見せろ」

「あはは……問本城で待っているよ」

「正月前には合流する。みなによろしくな」



 筑後国、問本城(現久留米市)


 鑑連が中央に座する広間には、由布、安東らを筆頭に幹部連が集まっている。家臣ではない、小野甥も来ていた。


「森下備中戻りました」

「……ご苦労、臼杵隊の様子はどうだったかな」


 備中、由布に答えて曰く、


「士気が低下している様子です。さらに左衛門隊の異動が決まって、一層暗い顔をしていました」

「……無理もないな」

「しかし、義鎮公の戦略が動き出せば、筑前の西でもいくらかやり易くなるのでしょう」


 元気の良い安東の言葉に水を引っ掛けたのは、主人鑑連であった。


「その戦略が確かに動き出せば、の話だ。まだその確証はない」


 師走に入り、義鎮公は一つの戦略を筑前筑後に駐留する武将たちに打診してきた。すなわち、大軍を持って蠢動する肥前の佐嘉勢を打ち破り、返す刀で宝満山城を力攻めにする、というものだ。


 鑑連に殴り飛ばされた後に哀れ首を打たれた女間者は佐嘉勢の手の者かもしれない、という推測が広まる中、この戦略自体に鑑連は異存無いようであった。だが、


「重要な点は、誰が総大将を務めるか、だ」


 国家大友はここ何年も、この問題で常に躓いている。結果が示している通りだ。


「複数の目標を定めるということは、大将の統率力が絶対的に問われることになる」

「人選は、限られてきます」

「だがな、ワシが総大将を務めることはまずない、とだけは宣言しておこう」


 幹部連、稀なる洒脱な鑑連の言葉を受けて一斉に苦笑し、広間が賑やかになる。


「義鎮公は何をお考えかな」

「殿を総大将に任じないことについては、田原民部様がご希望なのでしょうが」

「ではまた吉弘様かな」


 由布が口を開く。皆、練達の武将が言葉を待ち望み、一瞬、静かになる。曰く、


「……吉弘様は高橋勢を抑えねばならない。よって、この方面へは動きようがないだろう」

「同感だな」


 鑑連も由布に同調する。


「しかしそれでは、殿しかおりませんね。まさか臼杵様ということはないでしょう」


 そう言って首を捻る安東は、小野甥を見る。そちらの情報を求めたのだが


「今回の佐嘉攻めについて、我ら近習は何も知らされておりません」

「信じがたいな」

「戸次様、本当のことにございます。さらに言えば、田原民部様も、主導的な立場ではないようです」

「なんだと。では誰が立案者だ」

「不明です。話そのものは義鎮公の近習衆が上からの話として伝えて回っているものです」


 誰もが国家大友の実力者たちの顔を思い浮かべ始めるが、


「吉岡様では……」

「色々あって気落ちされた吉岡様は、登城の機会も減っているとのことです」

「田原常陸様……は無いか」


 豊前の真の実力者田原常陸が、義鎮公と緊張関係にあることは、もはや知らぬ者のいないことである。


「妖しげな石宗殿や吉利支丹の僧らは?」

「吉岡や田原常陸に比べたら、まだありえる話だ」


 論を逞しくする鑑連とその家臣らの活気を感じ、備中は喜ばしい気持ちになる。筑前筑後の才能野心豊かな武士らが、鑑連の旗の下に集まり始めていた。夜須見山での損害は痛いが、筑州に独自勢力の扶植を勧めた張本人として、主人鑑連は天道の流れに沿って歩んでいると信じることができた。


 感慨を胸に広間を見渡していると、どうしても異なる存在として目につく人物が、前にせり出ていた。


「戸次様、私見を述べてもよろしいでしょうか」


 ややかしこまった小野甥に、鑑連は声を掛けず、手を挙げてそれを許した。


「私が思うに、今回の佐嘉攻めは、義鎮公ご自身の立案です」

「……」

「……」


 沈黙が広がる。その考えを述べた者どころか、考えた者すら戸次家中には存在しなかった。また主君鑑連の影響下にある武士らは、仰ぎ見るほど身分が高い大友家督を主君に倣い軽視する傾向もあった。


 誰もがその意見に対して否定的な思いを胸に抱いたが、二の句を継ぐ者が現れる前に、小野甥は静かに自説を述べ始める。それを聞く備中は、戦略面での鑑連の知恵袋となれる人物は、この若武者を置いて他にいない、と嫉妬に焼ける微かな焦燥感とともに確信せざるを得ないのであった。

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