第173衝 仲涼の鑑連

 祝言は無事終わった。男も女も再婚同士ということもあり、特別に華やかなことは何もなく、豊後の常勝大将の名声には似つかわしくない静かさの中に、儀式は終わった。


 それを見守る備中は、張り切って諸事に臨む自分の後任者を前に、複雑な気持ちになる。後任は鑑連への忠誠心十分な人物だが、何も知らされていないのだから。


 事の容易ならざるを知るのは、夫婦となった男女に御付きの僧侶、そして自分だけ。


 何食わぬ顔で式に臨む四名について、みな天道から何らかの咎めがあってもおかしくはない。ふと、もはや天道から遠い、と宣った石宗の言葉を思い出し、嫌な汗をかく森下備中。


 見ないようにしていた新婦の顔がチラリと見えた。落ち着いた顔をした控えめな女だった。それでも秘密を孕んだまま戸次家に嫁いできたのだ。ふと己の妻を思い出し、頭から嫌な考えを振り払った。息子は自分にそっくりだと、妻は言っている。親族も皆、そう言ってくれているのだ。


 齢五十代半ばの、いくらか老いが滲み始めている主人鑑連は、変わらず堂々としている。他の同年代の大物らと比べ、一切の緊張と無縁であり、凛々しい我が主人はこのような場面では良く男映えする。行き場のない母子を救った、と考えれば、これ以上の男振りは無いのだ。備中はそれを誇りに思い、この件について考えるのはやめた。その後、儀式の全ては滞りなく落着した。



 翌日、備中の前に現れた鑑連は、実に落ち着いていた。余りの穏やかさに、桐の葉が落ちる音を聞いた気がした備中。


「ご機嫌うるわしく……」

「思う仲は涼しい、という。ワシの継室としては申し分無い」


 静穏、という言葉がこれほど似合う鑑連を生涯初めて見た備中。人間ワカらないものだった。この様子なら、鑑連の人格も陶冶されていくかもしれない、と別の方面の期待さえできる。広間から秋空を見上げた鑑連曰く、


「静かだな」

「はい……」


 この悪鬼も人の子か、との思いを悟られないよう答える備中だが、


「ふ……安芸勢の動く音しか聞こえんな」


とすぐに切り替えしがきた。もう一度主人の顔を見直してみると、明らかにいつもの鑑連に戻っている。備中は残念に思いつつも、ちょっと安心するのであった。姿勢を正し、情勢の報告を行う。


「高橋鑑種が宝満山城、守りが堅く、事態は一向に変わりません」


 鑑連の命令もある。高橋殿への敬称を取りやめた備中に、鑑連は喜色を込めて言う。


「あの山城は立花山城とは違う。だが、攻める吉弘にはそれを覆す発想が浮かばない。指摘はしたのだがな」

「他方、良い報告もあります。宗像郡で戦う薦野隊、善戦を続けています」

「クックックッ、良い若者を拾ったものだ」

「十時様が去った穴を埋めてくれるかもしれませんね」

「それ以上の逸材かもしれん。大切にせんとな」


 その高評価に驚き動揺を隠す備中。


「が、如何せん兵力が少ない。今回宗像郡を制覇するまでには至るまい。そう考えれば、この方面も現状維持が精一杯だ。志摩郡の様子はどうか」

「芳しくありません。味方を気取る佐嘉勢の調略激しく、臼杵隊は苦境の打開には至っておりません」

「本当に臼杵家の連中は戦が下手クソで笑えるよ」


 返事に困る備中、確かに臼杵兄弟からは輝かしい勝利の話は聞かないが、義鎮公は臼杵家の地に根拠を移した程だ。大いなる信頼と安心があるのだろう。


「佐嘉勢は表立っては国家大友には逆らっていない。だが、裏では毛利元就と繋がっている。土豪らはみなそれを知っていて、知らぬは義鎮のみ、といったところか。もはや臼杵隊独力では解決は不可能だな」

「それからつい先程来た知らせですが、安芸勢がついに伊予を制しました」

「土佐勢は引いたのか」

「はい。もはや伊予に、土佐勢に与する勢力は皆無です」

「伊予での戦いを管轄していたのは無論」

「は、はい。吉岡様です」

「あのジジイも最後は大したことなかったな。酷い耄碌ぶりだ」


 そんな口振りとは異なり、少し寂しげな様子でもあった鑑連。


「あとは、なんだ。都の将軍家の争いに当座のケリがついたらしいが、それが安芸勢に何か及ぼすか、探ってみろ」

「はっ」

「もはや頼りになる好敵手が家中にいないというのも物足りんな」

「は、はっ」

「義鎮は自分で統治をやるつもりのようだが、ワシに引退の花道を歩かせることもできなかった。良い知恵袋がいないためさ」

「そ、そのよ、義鎮公からの馬代が届いています」

「ほう、物はなんだ」

「鷹狩り道具一式です。餌掛け、口餌籠、竹笛、その他匠の逸品が……相当に高価なのではないでしょうか」


 義鎮公からの引出物を手で繰りながら鑑連は呆れた様子だ。


「馬代に鷹狩り道具ねえ。やはりさっさと引退してくれ、ということではないかな」

「いや、その……そうなのかもしれませんが」

「なんだ」

「た、例えば一緒に鷹狩りでもいかが、というお誘いなのでは」

「貴様。よく聞こえなかったぞ。もう一度言え」

「い、いえ。申し訳ありません……」

「備中!」


 鑑連がいきなり振りかぶった。咄嗟に伏せて、そんなに怒ることか、やっぱり恐怖の主人は永遠に変わらない、と嘆き節の備中。が、鷹狩り道具は、いつの間にか廊下にいた侍女に向かい飛んでいき、当たった。


「うっ!」

「出会え!曲者を捕らえろ!」

「チッ、ばれたか!」


 その侍女、恐らく間者、草の者なのだろう、逃走を開始する。が、素早く飛び出てきた武者達によって庭の隅に追い詰められた。


「殺すなよ、捕らえて誰に送り込まれたか、吐かせるのだ」

「はっ!」


 武士達が刀を峰打ちの向きに持ち変えて襲いかかっていった。が、草の者は巧みに攻撃を躱し、その場にいた武士の一人に近づき、関節技を決めてみせる。森下備中であった。


「いたたたた!」

「みんな動きんしゃんな。こいつば殺すぞ」


 なにやら方言のキツイ女だった。片腕を捻り上げられて、激痛に涙を浮かべる備中。


「ああ、クソ馬鹿」


 激痛の中でも鑑連のつぶやきが聞こえてしまった備中は、不用意に修羅場へ接近したことを大いに反省する。鑑連再婚問題で備中の後任となっていた武士が出てきて曰く、


「これは……殿。お輿入れの時に、このような侍女はおりませんでした!貴様、何者か!」

「逃げられやしないぞ!」


 不敵な笑みを浮かべる草の者。先程からの身体能力、きっとこの場から逃げきる自信があるのだろう。腕を強く捻られ、激痛に悶えた備中、うっかりを発言してしまう。


「あたたた。どこのお方かは知りませんが、ち、筑前の戦いももう先が見えてきています。あんたも無理をする事はない……いて、いててて!命だけは勘弁してください!」


 備中の命乞いに、その場にいた武士たち全員が呆れ返るが、女間者には愉快さを与えたようだった。


 そして、あーたは何も知らんのやなあ、と心底呆れた様子で、ふぅ、とため息をつき、今まさに城外へ逃げようとした。それは一瞬の間隙であったと言えよう。刹那、稲光の如く疾った鑑連の右腕が女の顎を強烈に掴んだ。


「貴様ため息をつくか!」

「ごあっ!」

「ワシはため息をつく輩が許せんのだ。能力も実力も劣る地べたを這う虫けらの如きくせして、何がえらそうにふうだ。が、我慢ならん!」

「ひぃぃーっ!」

「こやつの首を切れ!」

「……」

「備中!」

「は、はっ!」

「処置せよ」

「ええっ!わ、私が!」

「二度は言わせるなよ」

「……」

「そがん馬鹿な!なしてわたしが!」

「か、観念してください、抵抗は無意味ですから」

「い、いやだぁぉー!」


 筑後国は問本城に哀れ女の悲鳴が轟き、西の霊峰高良山までこだまする。方言のキツイこの女間者が佐嘉勢の手の者だとすれば、戦場は肥前にまで広がるのだろう。新たなる敵、新たなる難問、主人鑑連の真価が問われる時が来る、と備中は感じていた。

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