第172衝 境界の鑑連

「ええっ!?」

「しー!」


 悲鳴をあげた備中が口を押さえに掛かる増吟。


「ななな、なんということを」

「仕方ないでしょうが」

「なんという……ことを」

「ほんと、笑っちゃいますよ」

「ど、どうするつもりですか」

「……」

「……」

「それが全く良い案が浮かばない」

「あ、当たり前でしょうが」

「こ、このままでは拙僧は首打たれるやも」

「それも当たり前でしょう」

「もはや森下様におすがりするしかなく……」

「なぜ私にすがるのですか!」

「しー、しー!」


 再度、備中の悲鳴を押さえに掛かる増吟。備中、顔を振って手を解いて曰く、


「す、すがるなら、私の後任者に、でしょうが」

「聞けば、あなたは戸次様秘蔵の懐刀とのこと。これまでにも多くの功績を立ててきているのでしょ、名案が浮かぶのではと」

「だ、誰がそんなことを」

「問註所様がです」

「し、知らないよそんなこと」


 普段は称えられれば嬉しいはずだが、今は全く嬉しくない。


「ん?ということは、問註所様はそのことを……」

「ご存知ですとも」

「……お坊は良くその時点で首を打たれずに済みましたね」

「誰に?」

「問註所様に」

「妹思いな方で本当に良かった」


 そのふてぶてしさに、問註所殿の弱みを何か握っているのか、と訝しむ備中。


「つまり、このまま事態の推移を見守ると?」

「問註所様は。妹愛しの一念で」

「問註所様はお坊には何と?」

「だから森下様と打ち合わせてくるようにと。哀れな妹の幸福のために」

「と、当家の名誉には配慮しないのか」

「そういうワケではないでしょうが。ご令嬢は良い女性ですよ」

「そりゃそうでしょうよ」


 備中にしては珍しく毒を吐いてしまう。


「あ、あんたはどうするつもりだ」

「……」

「……」

「ダメだ!どうすれば良いか、全く浮かばない!」


 改めて錯乱の増吟。こんな時、仏の教えは全く役に立たない様子であった。


「と、とりあえず、殿にお伝えするしかあるまいよね」


 信じられないという顔をする増吟。


「ま、待ってください。それでは拙僧、首を打たれてしまうかもしれません」

「しょうがないでしょうが、あ、あんた!私だって危ないんだぞ!あんたの首だけじゃないんだぞ!」

「しーってば!」


 三度、備中の口を塞ぐ増吟。


「……」

「……」

「もう祝言の日は近い」

「ええ」

「式を取り止めにするしかない」

「そんなことをすれば、妹思いの問註所様があなた方の敵に回りますよ」

「あ、あんたねえ」

「しかし、そうでしょうが」

「あ、あんたの首一つで全て解決するんじゃないのか」


 首を押さえて悲鳴をこらえる増吟、沈んだ様子で惨めな表情を極めて魅せてくる。


「きっと、ご令嬢が悲しみます」

「そうですかね、厄介ごとが消え去ってむしろ喜ぶのでは」

「父無し子を誰が喜ぶというんです」

「……」

「でしょう」

「あ、前夫との間の子、という形にはなりませんか。ご令嬢をそう説得すれば」

「ダメダメ、十月十日にはどうしても計算が合わない」

「……」

「……」


 この坊主只者ではなく、石宗に勝るとも劣らない悪い害虫に取り憑かれた、と自身の不運を嘆く森下備中。ふと、その石宗から聞いた話を思い出す。


「あ、あれはどうですか。古の秦王朝の話にある」

「どの話ですかね」

「始皇帝の本当の父親が仲父だったという。あれは秘術で誕生を遅らせたのでしょう」

「あんた、あれは俗説ですよ」

「でも、な、なんか秘術は無いんですか」

「子が長く母に留まっていると、母が危ないものです」


 それで消えてもらった方がどれだけ心が楽だろう。ひたすら楽になりたかった備中。意を決して曰く、


「それならもう、取るべき方法は一つ」

「おっと、それ以上は言わないでください」

「はい?」

「私は仏に仕える身ですから」

「……」

「森下様、あんた鬼ですか」

「こ、この……」


 増吟の指摘に怒りが爆発しそうになるが、医師を探して処置してもらうという考えに至ってしまった己を、思わず恥じてしまう備中。


 しかし八方塞がりとはまさにこのこと。もはやこれまで、と備中立ち上がって退出しようとするが、増吟がしがみついてくる。


「どこ行くんです」

「私は全て聞かなかったことにします。それでは」

「ねえ、本当にそれでいいんですかい」

「は、離してくださいよ」

「拙僧が首を打たれるようなことがあれば、全心全力を持って、あんたを道連れにするぞ」

「たっぷり仲介料を渡したろう。それでなんとかしてよ」

「銀で命が救えますか!」


 恨みがましく嗤う増吟の声を聞いて、備中は悲鳴をあげる。


「それでも僧侶か!」

「知らんのか。僧侶とはこういうものだ。恐ろしいだろう」

「は、離せ!」

「仏罰!死に行く者を救わなかった仏罰だ!」

「ぶ、仏罰を恐れて戸次家の家臣が勤まるか!」

「恐ろしいのだぞ!」

「私はもっと恐ろしいお方に二十年近く仕えているのだ!」

「これはもはや拙僧と令嬢の間の問題ではない。当代一の名将戸次伯耆守と問註所家の戦争に発展するかもしれん。それを招いた森下備中、あんたの名前は奸臣のそれとして永久に汚辱に塗れるのだ!」

「こ、この私とことを構える気か!」

「考えるのだ!頭使えよ!」

「無茶苦茶言うな!全てはあんたが蒔いた種だろうが!」

「そうとも!拙僧が蒔いた種からの収穫!誰かが刈り取らねばならん!」

「果実熟せば労せず落ちる!私は関係ない!」

「あんたが拙僧に話しかけてきたからこうなったんだ!相手が戸次伯耆守と知っていれば、もっと慎重にしたさ!」

「あれ?」


 頭の中で増吟と出会った日とその他の日を計算してみる。


「こうなったのは私と出会った前ですか、後ですか」

「ええと」

「……」

「……」

「離せ!」

「死んでも離さん!」


 二人が綱引きを展開していると、ガラッと勢い良く襖が開き、とある人物が入ってきた。


「ああっ」

「ひぃっ」


 戸次鑑連その人であった。即座に潰れた蛙のように平伏する備中。対して、姿勢を正して正座する増吟。先ほどまでの見苦しい振る舞いはどこへ行ったのか、問いただしたい気持ちの備中。


「と、殿」

「戸次様、ご機嫌麗しゅうございます。拙僧は肥前の僧、増吟と申しまして問註所様と親しく」

「いつ頃だ」

「へっ」

「ご令嬢のお産だよ」


 なんと鑑連は全てを聞いていたようで、恐怖に歪んだ顔を見合わせる備中と増吟。観念したとばかりに僧侶が勇気を振り絞ったように声を震わせするがハッキリと曰く、


「桐月の頃かと」


 つまり播種の頃は、と心の中で諳んじてみせる備中より速く結論を出してしまう戸次鑑連。


「きわどいところだが、まあ問題はあるまい」


 日数の辻褄なら合う、ということだろうが、その言葉で一気に血色が良くなった様子の増吟とは反対に、血の気が引いていく備中。近習としての自分の役割を思い出し、諫止する。


「と、殿!いけません!」

「備中、ここでは静かに口を開け」

「文信侯呂不韋の故実に思いを致して下さい……!」

「これは失敬な、拙僧は僧侶ですぞ」

「備中」


 穏やかで控えめな声を出す鑑連。こんな主人をついぞ見たことのない備中。


「戸次家の家督は誰だ」

「あ……」

「言ってみろ」

「げ、現伯耆守様です」


 鑑連の陰に隠れて影の薄い、戸次弟の子を思い出す備中。主人鑑連の甥兼養子でもあるこの人物が、戸次家の正式な後継者である。


「ワシは何者だ?」

「こ、国家大友の老中にして」

「ふむ」

「不埒な安芸勢から筑州を擁護する守護者です」


 辛うじて絞り出した美辞麗句である。備中は増吟すら他国人であることを思い出して、頭を冷やすことができた。


「殿は殿です。唯一無二の」

「そういうことだな」


 鑑連は満足気に頷く。つまり、産まれてくる子が何であれ、今更戸次家に悪しき影響を及ぼすこと無い、という判断なのだろう。それで良いのだろうか、との疑念が消えない備中だが、結婚するのは鑑連であり問註所のご令嬢なのだ。確かに当事者たちがそれでよいのなら、何の問題もないのかもしれない。


「増吟」

「はっ」

「貴様の致命的な罪を、ワシは握った。そしてそれを許す」

「ありがたき幸せ」

「だからこそ以後、ワシの為に働くのだ。裏切りは許さん。取るに足らない坊主の命だが、刈り取り如何はワシの胸三寸となった」

「肝に銘じます」

「また、そこな森下備中が懸念についてだが、お坊が楚の李園にならんと僅かでも思ってみろ。必ずその首を刎ねてみせる。逃げ出しても、地の果てまで追い詰めてな」

「はい」

「では問註所殿の元へ戻られよ。戸次鑑連は全てを承知の上で、全て予定通り、とな」

「はい!この増吟、運命を愛する戸次様に感服いたしました!」


 備中の目からみた増吟は、命が助かって心から安堵したのだろう、調子の良い言葉が溢れているようだった。


「以後、あなた様のためにも、努めて励みます」

「ワシのために、も、か。クックックッ」



 退出した増吟の温度が無くなる頃、鑑連は静かに備中に語りかける。


「どうやらワシは父になるらしい」

「よ、よろしいのですか」

「この歳まで……」

「……」

「いや、なんでもない」


 備中には主人鑑連の心中が理解できた。入田の方を離縁した後、直ちに再婚しなかったように、鑑連は自分の子孫を持つことに執着が無い。


 子沢山でも病弱で政治的には無力であった父親への格別な思いがあるためなのか、あるいは戦争と政略に多忙な過ぎたのか。


 それでも鑑連の配下には彼を畏れ敬う若者が後を絶たない。第二世代となる家臣の子らは、常勝大将である鑑連を自身の立身の最短距離と考えているはずであるためだ。


 親と子の情愛と、主従の信頼。良くも悪くもその境目は曖昧だが、鑑連がその境界に心囚われることがないように、と複雑な運命を前にした主人の平穏を、心から祈る備中であった。

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