第168衝 唖然の鑑連
「戸次様。今のご質問、全てお答えいたします」
相変わらず人を小馬鹿にしたような石宗の本性には変わりは無い様子。だが、どんなに無礼な石宗でも、鑑連への礼儀は守っていたはず。今、それが失われているようにも見える。激昂し震え、悪鬼と化した鑑連、なにやら額のあたりから放光のようなものまで見えるが如し。この鑑連を前に、一向に動じずに自説を述べて止まない。曰く、
「まず、好機、ということについて。これはまさしくその通り、秋月は宗麟様の威光に平伏して、以後国家大友の一翼として生きると申しています。好機には違いありません」
鑑連は石宗を指差して、その言葉を指弾する。指先は怒りでブルブル震え、備中目の錯覚か、指先に青光が立つのを感じた。
「誰がそれを信じるか!」
「はっはっはっ!もちろん、宗麟様ですとも!」
「なに……」
鑑連の悪鬼面は一層進行する。恐ろしいほどに。
「続けます。筑前平定の好機!でしたかな。簡単です。秋月が降伏すれば、筑前平定に一歩も二歩も近づくではありませんか。赤子でもワカる理屈です」
「謀反を起こした輩は処断しなければならん!許す、ということはその行いの一部を容認することにもなるだろうが!」
「いいえ。そんなことにはならないでしょう。仮にそうなる恐れがあるとしても、宗麟様がしかと帰参の条件を精査されるでしょう」
「貴様……本当にそう思っているのか」
「ふふふ、続けましょう」
悪戯っぽく嗤った石宗の表情は自信に満ち溢れていた。きっと石宗は、本件に関して義鎮公から全権を委ねられているに違いない、と予測する備中。それ故の自信傲岸だろう。
「これを失って、どうして筑前を大友のものにできるというのか!……でしたな。これ、とは筑前平定の好機のことですね。秋月を許すことは好機逸失にはなりません。よって、それがしは戸次様のご見解に異議を申し立てまるものです。ははっ!」
「……」
鑑連は石宗をぐっと睨んでいる。きっと、石宗の本性を改めて再確認しているのだろう。
「戸次様は仰られた!戸次家一同は秋月家に大いなる恨みがあると。おや、一文字一句この通りではなかったかな?はっはっは!」
この時、さすがに安東を筆頭に戸次武士達は騒然とした。それでもニコニコ顔の石宗である。笑顔すぎて、目玉が見えない程だ。
「ですが戸次様、それは秋月家も同じですし、なにも戸次家が特別と言うことではありません。吉弘家や臼杵家にだって、命落とした武者はいるはず。お互い様ということで、国家大友のためにも忘れ去らねばなりません」
「貴様は知らんのか夜須見山での出来事を……」
「それともなんですか!」
鑑連の声を、石宗は声を覆いかぶせて掻き消してしまう。こ、これは妖術の類ではないか、と瞠目してしまう備中。
「ははっ!……それともなんですか。戸次家だけは特別、とでも仰るのですか。安芸勢との戦いにおいて、豊後の武者は多かれ少なかれ誰もが親族を失っている。このことは紛れも無い事実。ですがこの辛い現実にことの軽重をくっつけるべきではないのです、よって!」
石宗の腹の底から響く声が陣内にこだまする。こだまと言えば山。やまびこは我が心の親友、と宣ったのは誰だったかと頭を捻る備中、声に痺れて沈黙している一同を見る。
「よって、国家大友の明日を慮る場合、それを晴らさせないとは如何なる考えによってか!などという考えはあってはならないのです。言ってしまえば不遜……仇は我ら一丸となって安芸勢とぶつかることで晴らせばよろしい」
「貴様、一体全体……」
鑑連の血圧と電圧が上昇している。
「一体全体、臼杵の城では何が起こっている!愚問愚問!」
一際の大音声であった。人差し指を立て小気味よく左右に振りまくる石宗の道化の如き姿から、もう誰もが目を離せない様子であった。
「臼杵の城では、大友宗麟様の偉大なる統治が展開されておるのです!それがしはそれによってここにおります、はぃぃ!」
奇天烈な掛け声とともにいきなり筮竹を繰り始めた石宗、どうやら易をたてているようだ。
「この弱腰、天下が見るぞ!大丈夫です!現在天下の目は京の将軍の地位を巡る争いに向けられています!そもそも裏切り者の一人立花鑑載は死にました!誰が弱腰と言うだろうか!そうでしょう!そうすれば安芸勢は今度こそ全軍をあげて筑前に侵入してくる!それはあり得ることでしょう!大いにあるはず!宗麟様もそれを気にしておられる!」
じゃらじゃら騒がしく易を立てながら陣中を飛んだり跳ねたり周り続けてよくもまあこれだけ喋れるものだ、と石宗の饒舌に舌を巻く備中。その間の鑑連はといえば、反論の機会を幾度も勢いで流されてしまい、不愉快極まったなんとも言えない不思議な悪鬼面となっている。
「高橋が裏切った!秋月が裏切った!立花が裏切った!ここでワシが軍配を振るだけで、裏切り者は残る一人だけになる!そうでしょうとも!そうでしょうとも!しかし安芸勢の大攻勢の前では一人が二人でも大した違いは無い。それよりも、味方を一人でも多く拵えておいた方が絶対に良いのです!天道もそう仰せです!それを義鎮は理解しているのか!当然ですとも!」
さっきからこのペテン師は鑑連の言葉を鸚鵡返しし続けている。しかしそれにしても、石宗はなんと楽しそうに反駁しているのだろうか。権力者にすり寄ってばかりのこの男は、一方で権力者を叩きのめすことにも至福を感じるのかもしれなかった。
あ、と備中は思い出す。先程鑑連はあともう一つ、何かを口にしていた。まだあるはずだ。すると、石宗は急に立ち止まり、一拍間を外すや、これまでで最大の声を振り絞って絶叫した。
「義鎮は何を考えている!」
幕がビリビリと振動する。もはや誰も、目の前で展開される異常事態を前に、思考を奪われているようだった。ゆっくりと鑑連を振り返ってニヤリと笑みを浮かべた石宗は、懐から書状を取り出した。
「……戸次様。宗麟様からの感状でございます。えー、こちら要約します。立花山城攻略、よくやった、感動した!さすがは儂の重臣!頼れる老中だッ!」
石宗の狂乱振りは続く。に、もはや誰一人口を開こうとする武士はいなくなっていたおり、怖いもの知らずの鑑連でさえ、もう言葉を発する気すら失せてしまっているようだ。
「……以上です。戸次様、宗麟様へ御礼の言葉がありましたら、どうぞ、それがし承ります」
「……」
「ははっ、どうぞ」
石宗、人を小馬鹿にした表情で言葉を待つ。が、鑑連はもはや口を開かない。
「……」
「さあさあ!」
「……」
「いけませんなあ、鑑連殿」
この茶番に付き合うつもりのない鑑連を見据え、大仰にそう嘆いてみせる石宗。
「宗麟様は国家大友の最高統治者です。言ってはなんですが、鑑連殿はその膝下に侍る大将の一人でしかないはず。礼を欠いてはなりませんぞ」
「……」
それでも鑑連には何かを伝える気は無さそうである。そしてこの際、それが正解です、と備中は鑑連の振る舞いを不思議なまでの納得感とともに認めていた。
「宗麟様への御礼は……無いのですね。では仕方ありません。改めて申し伝える」
陣内の武士達みなビクりとした。石宗の口調が変わったのである。この怪僧からたまに垣間見る凶悪さが、この時は明白に全身から放たれていた。こちらが本性のはずだ、とその威圧感に何度か被害にあった備中、確信していた。
「戸次伯耆守鑑連、此度の働きに宗麟様は満足している。だが、安芸勢の脅威は未だ去っていない。よって特に命ずる。引き続き筑後に駐留しその秩序維持に努めるべし。ただし、宗麟様が特に求めた場合は速やかに豊後臼杵または宗麟様が指定した場所へ集合すること」
それは君主が家臣へ言い渡す時の口調そのものであった。石宗は義鎮公の意を、余すところなく体現してみせたのだった。これは石宗を用いた、義鎮公親政の意思表示に違いなかった。ここでようやく、鑑連は口を開いた。
「石宗、一つ答えろ」
「おお、答えてやるとも。なんだね」
もはや不遜は改めない石宗へ鑑連曰く、
「秋月の降伏を斡旋したのは誰だ」
「田原常陸介殿。まあ交換条件ということだな」
「交換条件」
「そうだ」
「……」
「なるほど」
備中にはワカらなかったが、鑑連には得心が言ったようであった。
「ではそれがしはこれで失礼する。宗麟様は鑑連殿の活躍を心から期待している。あ、それから……」
石宗は思い出したように、鑑連に伝える。
「今さっき、鑑連殿には天風姤の卦が出た」
「天風姤?」
「人相見の観点からは女難の相も出ているようだがね」
「このワシが?何かの間違いだろう」
天風姤の意味がワカらない備中でも、女難については主人と同感であった。鑑連はその方面では極めて清廉であった。
「はっはっはっ!忠告はしたぞ、ではさらばだ」
石宗が勢いよく陣中を出て行く。道を空けようと急いで端による備中だが、小石を蹴飛ばすが如く石宗に体当たりされ、堪らず倒れてしまう備中。その力と圧は恐ろしいほどで、なにより石宗の捨て台詞、
「おや備中、見えなかったよ。前は確かに貴様から光った、天道のご加護がな」
に著しい心的衝撃を受けてしまった。
石宗が去り沈黙一色の陣中で、備中は先の捨て台詞が、ハッタリか否か、雑念の海から考え続けるのであった。
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