第161衝 克服の鑑連

 立花山の頂上では悲惨が繰り広げられている。名声を求めて刀を振るい敵を殺傷し、戦功の証とばかりに首を切断していくのは勝利者の側のみだ。敗北の側に追いやられた者達は常に殷然たるものであるが、勝敗のいずれかを分ける線は曖昧なものだ。


「明日にはこちらがああなるかもしれない」


 そう思いながら吉弘隊の陣を通りかかると、我らが大将が一番乗りを果たしたと、吉弘の武者達は大喜びであった。目下最新の情報は彼らが握っており、曰く、


「安芸勢は逃走を開始したという。もう決まりだ!」

「敵総大将の首を上げれば、我らが殿が功一等になるかもしれんぞ!我々も行こう!」

「山に登り、敵の逃走を許すな!この包囲網からは逃げられん!殿を功一等にするぞ!」


 吉弘武士の主君を思う気持ちに熱く胸打たれた備中。では我も、と腰の得物を握るが、激戦に敗れ負傷して山を降ろされた武士らを見た瞬間、気合いが萎えてしまう。


「よそう……人には向き不向きあって然るべきだし」


 連絡兵の報告によると、吉弘隊を先頭に、臼杵隊、志賀隊、安東隊、橋爪隊、朽網隊の順番に本丸に近づいている。一方で、戸次本隊は最も遠い。背後の敵襲に備えたこともあるし、総大将として最前線に立つことを控えたという事情もある。よって、城を脱出したと仮定して敵を追撃を行うには理想的な態勢にある。


 鑑連の指示により由布や他の戸次の将士の分散配置はすでに完了している。鑑連は網に幸運を捕らえる事ができるかどうか。日頃の行いがものを言うだろう、つまり勢いに乗る吉弘が道徳の力を背景にそれを掴むはず、と独り言ちながら戦場を巡り眺める備中。すでに鑑連の網が稼働を開始し、暇を持て余している。兵の様子を確かめる振りをしながらの巡回中、立花山の東で戦場を眺める森下備中。



 ふと、谷の奥に気配を感じた。周囲の兵は誰も気がついていない。何事かと近づいてみると、複数人の武士が周囲の様子を伺いながら歩んでいた。護衛されながら進むその武士の顔を、備中は知っていた。戦場の危険も忘れ、備中は駆け出して、その武者の前で片膝をついた。


「立花様!」

「何者!」


 自分に向けて刀を振り上げた武士。それは紛う事なき立花殿であった。どうやら抜け穴により立花山城から脱出してきた様子であった。


「た、立花様」

「そなたは……私を討ちにきた……のではないのか」


 備中の立ち振る舞いからそれを確信したらしい立花殿。臨戦の構えを解き、手勢にもそれを命じた。それでも、立花殿が連れている数少ない手勢は備中への警戒を解いていない。


「……」

「……」


 立花殿と備中の間には無言があるだけであった。だが、無言の行を続ける時がない事は、どちらも承知していた。備中から口を開く。


「た、立花様。猶予がありませんので要件を申し上げます」

「要件」

「この山田口には多少の兵しかおりません」

「……」

「い、いないのです。ここが最も手薄な場所で、その他諸将の主力はまだ城から降りてきていません」

「そなた……」

「この先の青柳・原上方面には多数の兵が待ち構えており、西の海岸も同様です。ですがこの山田口からならば、東の山に身を隠し、宗像様の土地まで進む事ができるはずです」

「ふふ……」

「……」

「備中殿。そなたが私に逃げろ、というのは、きっと個人的な思いによるものなのだろう。ありがたい、と素直に思う」

「それでは」

「私は……誰にも恥じない生き方をしてきたつもりだ。だからこそ、今も胸を張れるやり方を貫徹しなければいかん、と確信する。だから堂々と、宗像領まで落ち延びてみせる。そうしなければならない」

「……」

「堂々とそこまで行けば、何とかなる。安芸勢との約束もあるしな」

「無謀……です。今、南の高橋様も動けずにいます。生き延びて何かをなす為には、まず身を隠すべきです。あるいは……」


 備中は、吉弘が立花殿助命を決心している事を、伝えるべきだろうか悩んだ。それを伝える事で、目の前で燃え盛る武士の矜持を汚してしまうような気がしたためだ。


「……」

「……」

「高橋殿が……」

「えっ」

「高橋鑑種が謀叛した、と毛利元就は言いふらしていた」

「それは……」

「執拗にな。噂が効果と説得力を持つように繰り返し。だが、毛利元就の苦労の甲斐は無かった。大友方はこれを容易に信じてしまったのだからね」

「……」

「心底失望したからこそ、高橋殿は噂に従って、大友を裏切ったのだ」

「……」

「確かに彼は、田原民部殿の老中就任に不満を持ってはいたのだろう。なぜ自分ではない者が老中に?これから功績も多少の縁故人事の老中の指示を仰がねばならないのか?その上での流言騒ぎ。すでに兄を殺され、主人を見捨てる事を強いられ、それでもなお忠誠心を捨てなかった高橋殿を、国家大友は疑いの目で見た。彼はこれにより国家大友での己の未来に見切りをつけたのだ」

「立花様は何故……」

「私か」


 備中の考えでは、高橋殿に同調しただけではないはずで、もっと高貴な苦悩が存在しているはずだった。備中が立花殿にそれを尋ねるには今をおいて他に無い。


「何故……」

「私はそれは……今、この時……今!」


 誇り高き武士は顔を上げ、確信と自信に満ち溢れた表情になった。


「この時は今しかないからだ!先のことなんてワカりゃしない!己の野心を試す好機はここにしかないのだ!」


 立花殿がそう叫んだ瞬間、備中の心には深い悲しみが広がった。悲痛な声から、全てに得心が行ったのだ。


 すなわち、高橋殿の反乱は、毛利元就の調略によるもの。恩知らずにもそれを信じた国家大友の汚れた手で誅戮されるよりは、戦って生き延びる道を、彼は選んだ。それからは明確な意志により筑前筑後を毛利に献上しようとしているのだろう。


 対して立花殿は、義憤で立ったのである。筑前の民を守る為だが、事実上は高橋殿と状況に引き込まれたも同然だった。そんな立花殿を容赦無く攻撃した鑑連だが、圧倒的不利の中で立花殿は武士の魂を取り戻したのだ。一連の行動は己の野心によると、自分自身に言い聞かせることによって。その言葉を信じこむことでこの先、立花殿は満足して死んでいけるに違いない、と備中は感じていた。


 もはや一切の助言は不要であった。備中は顔を下げ、淀みなく本心を伝えた。


「立花様、どうぞお達者で」

「この時に至り、そなたと話したお陰でこの鑑載が魂は満たされた……と感じる。今までありがとう」


 二人は真剣に言葉を交わし合った。それは自分の魂を、他者に伝え得る、尊い行いであった。


「ではさらばだ」


 僅かな手勢も立花殿に従い山を去っていく。その後ろ姿に、誇り高き豊後武者の矜持を備中は感じた。


「……」


 備中は今になって、吉弘の考えが本当の意味で腑に落ちた。立花殿は同じ同国人ではないか。その人物を今、大友は殺す。豊後人が豊後人を殺すのだ。同国人殺しをやめられない祖国に、明日はあるのだろうか。



 立花殿と遭遇した事を鑑連に報告しない、と決意した備中。本陣へ戻ってもその心は揺るがなかった。そこでは、どうやら内応によって城廓への突破を果たしたらしい吉弘の戦術について、鑑連が悪態を吐いていた。


「全く似合わない事をする、そう思わんか備中」

「はっ」


 返答をする事すら苦痛であったが、次に鑑連が述べた言葉は、備中には衝撃的であった。


「おお、貴様には伝えておこう。すでに由布が立花を捕捉した」


 立花殿がもう捕捉されてしまったか、と心臓がズキンと痛んだ備中。決意は揺るがなかったが、そんな備中へ鑑連は残酷なまでの笑顔を見せつけてきた。酷い悪寒を与えられた。


「備中」

「はっ」

「良くやった。貴様には褒美をはずんでやる」

「え……は……」


 すぐには主人のその言葉の真の意味を理解できなかった備中。だが、由布の連絡兵が戻りて、


「申し上げます。由布隊、古子の砦で敵勢を撃破、目標は西の海岸へ逃げ、目下追跡中です」


と報告をした時、それを聞いて内臓が滑り落ちるような吐き気とともに、遅まきながら全てを理解した。


「海岸へ行ったか。よし、これで立花は逃げられん。安芸勢はまだ姿も見せておらん。由布にはこう伝えろ。落ち着いて、他の隊に気づかれる前に始末するように」

「はっ」


 極秘情報なのだろう。静かな声でそう述べたのは、由布の下で働く端っこい斥候兵であった。気分が悪くなった備中、片膝ついたフリをして腹を抑える。


「備中、もう一度言おう。貴様には褒美を与えてやるからな」


 余裕綽々の程でそう言い放った鑑連。この恐るべき主人は、備中が立花殿と遭遇した事をどうやってか知っている様子であった。全てを承知した上で、備中へ声をかけている鑑連。それは死に直結する恐怖を、備中に与えた。


「鑑連にバレてしまった。立花殿を特別視していた事を、あれ程咎められたのに」

「褒美を与えると言って、処断するのではないか」

「残酷な鑑連のことだ。それくらい平気でやるのではないか」


 自問自答する備中の心が恐怖で塗りつぶされそうとしていた。心的衝撃で目の前が暗転する。嫌な汗が流れ、呼吸も乱れてきた。


「クックックッ!」


 鑑連の圧倒的な笑いが備中の脳裏を打つ。意識が消え入りそうになる中、暗黒の一筋の光を、森下備中は見出した。


 それは最後に見た、立花殿の凛々しい姿だ。その姿の記憶が、多くの光を放つ。吉弘の思いやり、死んだ十時の言葉、これも亡き戸次叔父の甥を大切に思う心、田原常陸の笑顔、かつての老中筆頭田北が犠牲となった後姿、今や記憶すら懐かしい佐伯紀伊守との別れ。夫鑑連より一方的に離縁され、他国に去りゆく入田の方の寂しい笑顔。


 自分はそれらの記憶の生き証人である。その確信が、備中四肢に力を与えてくれた。恐ろしげな強迫の気を放つ鑑連の背後で、備中はそのために気を失う事なく、片膝をついていることができた。


「ふ……」


 失神しない備中の姿を見て、鑑連は軽い笑声を放った。備中の胸には、この主人に負けてたまるか、との闘志が湧いてきていた。その念が、鑑連に伝わっていたかもしれないが、鑑連は上機嫌に体を揺するだけで、備中をそれ以上どうにかしようとはしなかった。



 由布の伝令が立花殿を見事討ち取った旨を伝えにきたのは、それからしばらくした後のことであった。

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