第160衝 気晴の鑑連
「備中、あのくのいちの出所は判明したか」
「いえ、残念ながら何も」
直ちに内田へ処断命じた以上、明らかになるはずもなく、鑑連もそれは承知している様子である。戻ってきて事情を知った小野甥曰く、
「間者は例え拷問されても吐かないでしょう。まして、追い詰められた高橋勢や秋月勢から出た者であれば、金品でも動きますまい。彼らの動機は尽きせぬ憎悪なのですから」
「ほほう、ワカってるじゃないか」
鑑連はちょっと嬉しそうに小野甥を眺める。ということは、女間者の首を刎ねさせた事に、ちょっと速まったかなとの自省もあったのだろうか。
「備中殿も、戸次様のお陰で命拾いできて良かったですね」
「は、はぁ」
「おい貴様、ワシに感謝しているのだろうな」
「は、はい!もちろん、です、はい!もったいなきご配慮、身に余る光栄です!」
「うんうん、当然だな」
しばらくご機嫌の鑑連である。女とはいえ敵間者を始末出来た事に、良い兆しを感じているのかもしれない。いささか楽天的な備中の想像は当たり、由布と安東が戻ってくると、鑑連は幹部達に事象の所見を述べた。
「貴様は立花山の者か、諦めろ、もう落城は必至だぞ……のような事を内田が言った後、あの間者はこう言った。何も知らないのね、と」
その後、その女は命運を決したため息をふぅ……とついてしまったのだ。鑑連の前でため息は厳禁であることを知らなかった悲劇だ。
「落城を否定できる材料が、きっと何かあるのだろう。安芸勢の援軍か、高橋勢や秋月勢の攻勢か。しかし、他に思いつかないのだがな」
安東が発言する。
「あるいは豊前路から本国豊後を直撃する、などでしょうか」
「それも考えた。だが、豊後には田原常陸を始め残留組が残っている。兵はそれなりに整う故、まず大丈夫だ」
「……」
「……」
頭を捻る幹部連も他に思い浮かばず無言になる。確かに他に考え難い。
「考えても埒があかん。そこでワシは作戦を定めた。ここで城攻めをいよいよ盛んにする」
おお、と歓声を上げる戸次隊の面々。文系武士の備中はこれまでの激しさでも全力ではなかったのですね、と所在の無さを覚える。
「立花山城の包囲も二ヶ月を超えた。敵の兵糧物資も減っているだろう。これより城に攻め上る。備中」
「はっ」
「吉弘、臼杵、志賀の陣へも伝えさせろ。そして、この山登りには後詰で入っている橋爪隊、朽網隊も投入するぞ」
「戸次様、それでは間者がもたらした恐れ、高橋勢の起こり得る北上には我々で対処する、ということですね」
「そうだ」
備中は、小野甥が我々と述べ、それを鑑連が自然に受け入れた流れを見逃さなかった。とはいえ、これからはこの若いやり手の武者に心を寄せるのが最も安全かもしれない、などと考える始末の備中。
「どこが動くにせよ、どんな陰謀が企まれているにせよ、城を落とせばそんなものは意味がなくなる!機は熟したのだ!豊かな筑前に領地を得たいものはこの山を平らげてみろ!」
「はっ!」
こうして戸次隊幹部連に気合が充填された。この立花山城の陣は、指揮命令が鑑連に集約されている。故に、備中が伝える指令も、大友方の名だたる諸将らに受け入れられていく。
「大攻勢の機会到来と、戸次殿はみたか。吉弘隊、死ぬ思いで城に取り付いてみせる、と伝えてくれ」
「はっ」
吉弘の口調から、変わらず立花殿の命を救ってみせる、という武士の気概も感じた備中。今や貧相な容貌を忘れ、その高潔な人格に胸打たれるのであった。対して素っ気ないのが臼杵弟で、
「承知した」
とこれだけである。それでも、この人物はきっと情熱を秘めているはず、と備中は判断している。懸命に戦ってくれるだろう。
次いで、包囲陣の北へ向かった備中、陣の空気が変わったことを感じる。どことなくよそよそしいのだ。それもその筈、志賀隊の主戦力は肥後勢なのだ。志賀安房守曰く、
「ここだけの話、聞き分けのない肥後の連中も博多の周辺に土地を持てるのであれば、同郷らに先んじて頑張ると思う」
と、いたずらっぽく笑って教えてくれた。この志賀殿はあの性豪の父の息子の方で、父親ほどでは無いが洒脱で、どことなく温和な印象を与えてくれる。備中は好漢を胸に、戸次の陣へ戻り行く。
鑑連は強権を振るう事について、一切のためらいや遠慮を持たない。政治的にはまずいやり方に違いないだろうが、人間、己の姿勢を変える事など簡単にはできない。まして、鑑連はそのやり方で成功してきたのだから。
各隊全方位からの立花山城攻めが同時に始まった。立派な城郭を誇るこの城、山それ自体は人に優しい。故に城廓の入り口がある各場所で激戦が展開され、さすがの立花勢も劣勢を覆い隠すことができなくなってきている。安芸勢の援軍が居なければ、もう落城していたかもしれないが、この援軍は攻める側から見ても、士気を維持して良く戦っていた。鑑連もやきもきしながら日々城を睨む日々が続く。
そして鑑連は日に何回も、ある事で備中へ確認を行っていた。
「備中、南の様子は」
攻勢を強めた以上、背後の敵である高橋勢の動きがやはり気になるのである。鑑連は備中が扱える連絡兵に頻繁なる連絡を命じている。それによると、
「はっ!引き続き、宝満山城の高橋勢に動きなし!」
「よし、いいぞ」
「秋月も高橋も、殿を恐れるがあまり動けなくなっているのでしょう」
ごますりではなく、本心を伝える備中。鑑連も静かに頷いて曰く、
「用心に越したことは無い。だが案外それが事実なのかもしれんな」
「では、殿直下の部隊を最前線へ投入すれば、立花様の運命は……」
「すでにヤツの運命は窮まっている。遅いか早いか、それだけだ」
そこに安東隊の連絡兵が飛び込んできた。
「申し上げます!吉弘隊が城廓の門を突破し、ついに城内へ突入を開始しました!」
「吉弘様が!」
驚く備中に、
「あれは総大将より人に使われた方が役に立つ」
と鑑連は冷たく言い放ち、
「我が隊の動きは」
と連絡兵に尋ねるが、回答は先んじている吉弘隊の優位は崩せそうにないものであった。
「まあ、やむを得んか」
案外、鑑連は落ち着いている。城への一番乗りを旗させても、この戦いの功一等は自分であるという強固な自身が、鑑連の血潮を静やかにさせているのだろう。備中は、水を向けてみる。
「敵の追撃に備えて、連絡を行いますか」
「ふん」
と鼻を鳴らした鑑連だが、
「そうだな。そうするか。もはや背後からの襲撃はないだろう。分隊単位で分散させ、敵の逃走に備えさせろ」
「はっ」
命令を受け陣を出発する備中は考える。吉弘隊が城内へ突入したというのなら、もはや戦いの結末は見えている。鑑連もゆとりをもって、勝利の果実を確保する事に考えを巡らせ始めているようだ、とひとまずの安堵感を糧に、張り詰めた神経を緩めていた。
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