第159衝 投擲の鑑連

 立花山包囲陣は楽観的な空気に包まれている。大友方諸将による包囲が効率を持って機能し、兵糧差が顕著になるや、山林での小競り合いに攻撃側が押し勝つ流れが常態となる。人間勝利が見えてくると余裕ができるもので、戦後の恩賞話が流れ始める。


「降伏してくる兵も増えてきた。このまま行けば、戸次様の功一等は確実だな」

「今回ばかりはな。吉弘様も臼杵様も、残念なことだ」

「ならば、この城には戸次様が入るのかな」


 噂話を収集、交換し合う武士たち。いい加減なものも多く流れる中、なかなか的を得ていると評価できるものもある。毎度の事だが、備中もそんな噂をせっせこ仕入れる。何故かと言えば、主人鑑連こそが噂に敏感な武士であるためだ。


「豊後では田原民部様が京のお公家から養子を貰ったというぜ」

「戦争中のこちらの事はお構いなし、やんごとなき世界へってことか」

「だがね、これで田原家の棟梁は民部様に決まりじゃないかね」


 発言者の口調は冷笑的であり、


「田原民部様は戦場の武士たちに嫌われてしまったな」


 それも無理ないことか、と腕を組む備中。秋月勢に喫した大敗北の直前、田原民部が田原常陸を弾劾した、という噂から、全ての不運が始まった、と考えている生き残りが多くいた。真っ当に戦えば勝てたのに、誰かが背後で足を引っ張った、と責任転嫁をしたがるものなのだろう。


 これでまた田原民部関係の噂が流れるのは不吉の前触れだろうか、と独り言ちながら陣に戻った備中。鑑連へ報告を行う。


「田原民部のその話、橋爪からワシも聞いた」

「橋爪様ですか」

「あれも微妙に憤っていた。クックックッ、あれは前に田原常陸に命を救われたことで心酔しきっているようなのでな。だが、橋爪如き義鎮のイヌには何も変えられん」

「な、なるほど」

「ワシらが知らされていないだけで、田原常陸の問責は決まってしまったのかもしれんな」

「夜須見山の戦いの前に流れた話ですね。では、田原民部様ではなく、田原常陸様は養子縁組を破談にするのでしょうか」

「貴様はどう思うか?」

「はっ、は。ええと」


 鑑連のこの諮問に対して、備中は直感で答えを出す。田原常陸ならこうする、という固まった考えがあったためだ。


「養子縁組を維持されるはずです」

「何故か」

「豊前を平らげ国家大友に捧げたのは田原常陸様。自ら望んだ養子縁組を放棄すれば、豊前の衆を侮辱した事になります」

「そうだな。ただではすまんだろうな」

「逆に、大友家督の反対を押し切った場合、豊前衆は田原常陸様に強く心を寄せるのではないでしょうか」

「クックックッ、田原常陸にぞっこんの貴様がそう思ったという事は、まあ、そういうことなのだろう」


 ギクリとした備中。また鑑連に虐待されるのだろうか、と戦慄するが、幸いそれはなかった。


「現在、田原常陸自身は臼杵にいて、豊前には田北大和守が駐留している」


 田北兄弟の兄貴の方だ。


「戦上手な御仁とのお話でした」

「ふん……まあ豊前の防衛体制は、なんとか維持できた。体面もな。そこで田原民部が一歩先んじるため、公家を養子に迎えた、という話は大いにあり得る。将軍家との繋がりを得ることにもなる」


 備中、仕入れた情報を思い出す。


「将軍家についてですが、後継者争いが激しくなっているようです。これは博多からの情報です」

「備中。その情報は立花に親しい者からだろ」


 備中は悲しげな表情が出ないよう、俯いて答える。


「……はっ」

「博多の衆も、立花を見限り始めたようだな。クックックッ、機を見るに敏とは、まさしくこのこと」


 立花殿の事情を深く理解しているつもりの備中は、彼を取り巻く状況が日を追うごとに悪化していくことに、胸を痛めていた。一方、立花殿を認めてもいた鑑連だが、気持ちを切り替えてもいるようで、


「ワシらも博多の衆に裏切られるようになれば終わりだな。そのためにも、立花をこの山から追い払わねばならず……無論、生死を問うものではない」

「さ、佐伯紀伊守様のように、立花様も他国へ去るしかないのでしょうか」


 備中、話の軌道を逸らすが、すぐに修正されてしまう。


「忘れたか。小原遠江は肥後で死んだぞ」


 小原の始末は鑑連が始めたことではなかったか、と備中は鑑連へ湿っぽい視線を向け、これでは吉弘が抱く立花殿助命の希望など一顧だにされないだろうな、と独り言ちる。が、鑑連はまだこの話題を続ける。


「備中、他国へ去るとはあの見栄っ張りせむし野郎が立花山城を捨てるということか」

「いや、あの、その」

「貴様は立花を理解しているつもりのようだが甘い。貴様がのたまった筑前の民の為に立ち上がった、という感傷が事実ならば、戦場と化した祖国そのままに他国へ去ることなどできるはずがないだろうが」


 改めて言われてみれば、確かにその通りで、備中の中で、吉弘が希望はどんどんしぼんでいく。とそこに、臼杵の陣へ派遣されている内田が、定期報告のため、戸次の陣へやって来た。


「殿、失礼いたします」

「うん。臼杵の陣はどうだ」

「それが急な慌ただしさの中にあります」

「キツイ敵襲でもあったか」

「いえ、包囲陣の外に原因があります。ここより西の怡土志摩両郡において、騒動が容易ならざる事態に発展しているとのことです」


 興味深そうに身を乗り出す鑑連。


「謀反した原田勢が押しているのか」

「いえ、逆です。謀反勢の抑えを申し出た佐嘉勢が、当地で急速に影響力を広げています。結果、大友方の代官たちが次々に立場や居場所を失ったり、服属を強制されているとのこと」

「ほう」


 備中の情報量では、肥前の佐嘉勢の動きを認識できないが、さすがの鑑連はそうではない様子で、


「では後日、臼杵隊を西へ送り込むか。その時はすでに立花はこの世の者ではないだろうがな!クックックッ!」

「はっ!」

「……」


 おぞましく嗤って見せる鑑連。そんな主人が、嗤いながら自然な動きで懐に手を入れた瞬間、寒気が走った備中は反射的に伏せた。鑑連はすでに鉄扇を放り投げていた。


「うわっ!」

「おっ!」


 すんでの所でそれを躱す備中と内田。チュイーン!と鉄扇が何かにかすり、鉄扇は鑑連の手には戻らず轟音とともに木の柱に突き刺さった。


「曲者だ!」


 陣幕の陰から間者が現れた。腕に自信のある内田がその退路を塞ぐ。腕がからっきしの備中はおろおろうろたえる。


 その様子を見た間者は身のこなし軽やかに後方倒立回転して備中の背後へ回ると、文系武士の頼りない首に刃物を突きつけてきた。


「うっ!」


 抜刀直前で動きが止まる内田。鑑連も動きを止めた。


「方々お静かに」


 間者のその声を聞いて驚いた備中、刀を構える内田と顔を見合わせる。それは女の声であった。動揺しながらも内田は威嚇して曰く、


「女!得物を捨てろ!」


 だが、その間者は無言で備中を盾に陣外へ出ようとする。沈、と空気が鎮まる中での出来事だ。生きるか死ぬかを意識するよりも、何故誰も陣中へ駆けつけないのか、そちらが不思議な備中を他所に、内田が抜刀の機会を狙いつつ問答を始める。


「立花山城の手の者か!」

「……」

「ひっく」


 間者は無言の摺り足で出口を目指す。首を強く掴まれた備中、しゃっくりをあげる。無論、驚愕のあまり自分で脱出など不可能であった。


「どうせこの山は落ちる!宝満山も古処山も同じ!大人しくそいつを解放した方が身のためだぞ!」


 だがその女間者は、


「何も知らないのね」


と心底呆れた様子で、ふぅ、とため息をついて、今まさに陣外へ逃げようとした。それは一瞬の油断であったと言えよう。刹那、稲妻の如く伸びた鑑連の右腕が女間者の顎を強烈に掴んだ。


「貴様ため息をつくな!」

「ふごっ!」


 得物を落とした女間者は後頭部から地面へ叩きつけられた。鑑連落雷の如き大喝で曰く、


「ワシはふうとため息をつく輩が許せんのだ。能力も実力も劣る地べたを這う虫けらの如きくせして、何がえらそうにふうだ。が、我慢ならん!」

「ふぐーっ!」

「この場でこやつの首を切れ」

「……」

「内田!」

「は、はっ!」

「処置せよ」

「……はっ?」

「二度言わせる気か?」

「はっ、はっ!」


 慌ててもう一度抜刀する内田。


「そんな馬鹿な!なぜわたしが!」

「な、なぜって……か、観念してください」

「い、いやだぁぉー!」


 無傷で助かった備中は、その始末を驚愕の眼で呆然と眺めるのみであった。

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