第157衝 順調の鑑連

 立花山城の戦いは継続中である。この戦役の総大将と見られている鑑連は、すでに万全の包囲陣を形成し終えている。


「西の博多の町には臼杵勢分隊が入っており、南の宝満山城には斎藤隊が付いている。北東の宗像勢相手の戦いは、新参者の薦野隊の活躍目覚ましく、玄界灘に接する海岸の多くを奪取している……」


 立花山城を見上げる備中。この山城に、立花殿は籠城をしている。かつて鑑連が攻略は容易とした通り、その作戦は着々と進行している。すでに包囲から一月が経過した。日一日と追い詰められているのは、籠城側だ。


「この状況を、立花様はご承知だろうか。早く降伏すれば、命だけは安堵されるかもしれないというのに」


 筑前筑後で強権を振るう鑑連の力は、一年前の秋に夜須見山で敗北を喫した人とは思えないほどに、強力なものになっていた。吉弘隊、臼杵隊も影響下に入れ、つまりはそれらの隊の傘下にある橋爪隊、朽網隊、斎藤隊も駆使しているのだ。噂を収集するため耳に力を入れる備中。


「今回の包囲戦は統率力がすごいな。隙がまるで無い」

「やはり戸次伯耆守は只者ではない。立派な総大将だ」

「最初から全部戸次隊に任せればよかったのになあ」


 このように徐々に豊前筑前の武将らの間にも、戦局大友方に有利、という噂も広まっていた。一方で、立花山城もまだ負けてはいない。


「しかし立花勢に降伏の気配は無い」

「きっと、安芸勢の増員があるのだろう。問題はそれがいつになるかだが……」

「そう遠くはないんじゃないか」


 大友方には警戒を解く事も許されない、まさに真剣勝負であった。鑑連の肩にのしかかる負担も大きいはず。よって、吉弘が述べた件について、備中は否定的な見通しを持っていた。


「吉弘様がいかに立花様を助命なさりたくとも、殿は切っ先を鈍らせるわけにもいかないのだろうなあ」



 戸次の陣へはまだ帰参できない備中だが、諸将の陣を通りかかると、頻繁に声をかけられた。臼杵弟、吉弘だけでない。志賀、橋爪、朽網といった諸将も備中を陣に招く。そして鑑連の心について質問をしてくる。


 この皮肉な有様に苦笑しながら、備中は手慰みに書いた地図を懐から取り出す。


           宗像方面

玄界灘 海      薦野隊

 海海海

海         志賀隊 山

海    吉弘隊     山

海       立花   山  犬鳴峠

        山城   山  方面

     臼杵隊  戸次隊 山


      朽網隊 橋爪隊


博多の町      宝満山方面


 隊の配置は変わる事もあるとは言え、磐石の布陣と言える。これを突き崩すため、安芸勢はどこに兵を向けてくるだろうか。


「先発隊と同じく海か、山か、それとも宗像の地を進んでくるか……」


 自分のような下郎がこんな事を考えてもどうしようもないかもしれない。だが、鑑連の下にいて、諸事考える習慣が付いていた。戸次隊に戻りにくい今、これを誰かのために活かしたいものだった。


 例えばその相手が立花殿ではどうか。備中的に、相手にとって不足はない。すでに包囲が完成しているとは言え、立花山城に入城できないワケではない。戦いに紛れて向こうの武士に降伏すれば、入れるかもしれない。


「行ってみるのも良い……かな」



 楠の香りが漂う山の森。あちこちで号令や剣戟、悲鳴や銃声が聞こえる。恐ろしい場所に立ち入ってしまった事を後悔する備中で、いくら豊満山や古処山程では無いにせよ、文系武士の備中に登り切るのは難しすぎた。


「や、やはり帰ろう」


 その時、正面に気配を感じた備中。立花山城の兵士が迎撃に出てきているようだった。急いで山道を駆け下りる備中。しかし、追撃されているような気がする。命が縮まるようだ。駆け足を速めて山を降りる。


 踏み込みを強めた時、足元で何かが破裂した。そして砂や小石が顔に雨のように当たった。


「ぐあ!」


 姿勢を崩して山を転げ落ちる備中。銃声もしたから、背後から狙撃されたのかもしれない。足は大丈夫だろうか、失明していないだろうか、そんな事を考えながらひたすら落ちていく備中。鉢金を装備した頭が木に当たり、気を失った。



「……備中殿!備中殿!」


 誰かが体を揺さぶっている。


「みな止まれ!木を盾にして待機!……備中殿!」

「備中は生きているか?全身汚れているな」

「細かい傷はありますが、重傷ではありません。心の臓も動いています。皮膚も温かく、汗もかいています」

「この上で襲われて、落ちたのかもしれん。この道は大丈夫かと思っていたが、警戒して進もう、おい備中!しっかりせよ」


 また体を揺さぶられる。聞き慣れた声だった。意識が朦朧とする中、なんとか声を絞り出す。


「安東様……」

「生きていたか。上で何があった」

「じゅ、銃撃され、落ちました」

「どこか撃たれたか」

「あ、足元を……」

「足か。見せてみろ」

「か、かすっただけかもしれません」

「……銃創はないな。運の強いヤツめ」


 そう嬉しそうに言う安東に、胸が熱くなる備中。小野甥の声も聞こえてくる。


「安東殿。上に敵勢がいます。ここの斜面は厳しい。進撃路を変えましょう」

「そうだな。それがいい。備中、そなたのお陰で深入りせずに済みそうだ。よく知らせてくれた」

「い、いえ……」


 そんなつもりは全くなかったが、否定する度胸もなかったため、流れに身を任せる事にした備中。兵らに手足を持たれて、戸次隊と共に山を降りていった。


「安東様はやはりお優しいし、小野甥も新参者だが私を気にかけてくれている。やっぱり住み慣れたこちらに着いた方がいいな」


 自身の軽挙を反省し、二度と妄動はすまいと天地神明に誓う備中であったが、


「貴様……勝手に戦場に出たな!このワシがいつ許したか!」


 鑑連の怒鳴り声で体に気合が入る。負傷していたのに、素早く平伏してしまう備中。


「も、申し訳ありません!」

「しかも貴様、臼杵や吉弘に勝手に会って、何かほざいていたようだな」

「……は、はっ。御下問がありました故」

「貴様にワシが何を考えているかについて、回答を許可した覚えはない!」


 烈火の如く怒り、罵声を放雷する鑑連に、安東と小野甥が寛恕を求める。


「殿、恐れながら、備中は殿のため有益な情報を求め、戦場に出ていたのです。どうか、お許しくださいますよう」

「なに?」

「はい。備中殿の懐に付近の地図等もありました。それがどのようなものか。ほら、備中殿。ご報告なさいませ」

「有益な情報ね……」


 同僚が浮かべてくれた助け舟。これを活かせないようでは、数限りない鑑連の恐怖を乗り越えてきた森下備中では無い。言葉を選びながら、情熱を込めて、戸次の陣へ復帰できた喜びを織り交ぜながら、訥々と報告をする備中であった。

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