第156衝 布石の鑑連

 立花山城包囲中。臼杵の陣から出た森下備中と内田左衛門。肩を並べて歩きながら、相変わらずひそひそ話しを行う。


「おい備中」

「うん」

「さっきのあれはなんだ」

「で、でも、上位者からの諮問があったワケだし」

「だからって色々喋りすぎだろ。殿に虐待されたから、次は臼杵様に尻尾を振るのかよ」

「そ、そんなことは」

「お前が殿に虐待されるなんて常の事だろうが。忍耐はどうした忍耐は」


 同僚の心無い発言に備中は微笑んだ。


「でも臼杵様は悪いお方ではないと思うよ、多分、良く知らないけど」

「確かに臼杵家と戸次家と同じ大友血筋の名門だし親戚でもあるがね、競争相手でもあるはずだ」

「あ、左衛門も今、臼杵家を最初に口にしたぜ。こちらにいて、戸次家への忠節を無くしたの?」

「んなワケあるか!」

「あはは、あははは」

「何を笑っていやがる」

「いや、左衛門が元気そうで良かったよ」

「……」

「……」

「ちっ、殿には黙っててやる。ほら本陣へ戻れよ」



 同僚とほのぼのとした時間を過ごした備中。勇んで戸次隊の陣に向かう。緊張し、大きく息を吸い込んで、一歩踏み出そうとしたその時、主人鑑連の不敵な笑い声が飛んできた。


「クックックッ!そうか、薦野というのは貴様か」

「はっ」

「賢く、力強い戦いぶりだった」

「恐れ多い事にございます」

「先の奇襲戦も、貴様が指揮を執っていたら立花めに負けなかったかもしれんな」

「いいえ。怒留湯主水様のご采配が無ければ全滅していたでしょう」

「貴様の父は」

「はっ、あの時に無念ながら……」

「……」

「……」

「生き残った旧怒留湯隊の面々とワシらに味方する筑前衆を貴様に任せる。だから存分に仇討ちをしてこい」

「戸次様!ありがたき幸せ、この薦野、死ぬ気で頑張ってまいります!」

「ならば、皆に挨拶するとよい」

「はっ。皆さま、薦野にございます。以後どうぞ宜しくお願い致します」

「……由布だ。先の見事な戦法、私も感心した」

「由布様、お会いできて光栄です」

「いやあ、これは大変な競争相手が現れたな。安東だ。よろしく」

「安東様、企救郡での小早川勢相手の勝ち戦、こちらでも知らぬ者はおりません」

「そうか……ありがとう!私の隣にいる爽やかな若者は小野殿だ。世代は同じなのかな」

「宗麟様の近習を務めている小野です。今は戸次様のお許しを得て、こちらに所属しています」

「ああ、先ほどの戦闘でお姿を拝見しましたよ。小野殿はお強いのですね」

「フン、ワシから言わせればまだまだだがな」

「さすがは戸次様、手厳しいですね!」

「クックックッ!」

「ああ、この薦野増時、名だたる方々と肩を並べることができて、本当に名誉なことです!」

「実は私も、この歴史的最前線に留まる事ができて、これは名誉な事だと日々感動しているのです」

「優秀な若武者が集まってくる。私も嬉しいよ!」


 幹部連の明るい笑い声に包まれる戸次の本陣。そこに自分の居場所は無いように思えた森下備中だが、


「……新しい有能な人材がどんどん活躍をしていく。殿、良かったですね。私も安心できます。みんな頑張って!」


 しかしそれは悲しい嘘だった。備中は心の奥底で身の置き場のない自分自身を哀れみ、慟哭していたのだ。小走りに戸次の陣から離れる備中。自然と苦笑いに涙に独言が溢れでる。


「殿……殿……!」

「ううう……」

「私は一体どうすれば!」


 走る備中。走れる所まで走ろう。天にそう誓った備中を呼び止める者がいた。


「備中」

「あ……はっ」

「森下備中」


 吉弘が話しかけてきた。気がつけば吉弘の陣まで走ってきていたようだ。


「そんなに急いで、何か急報かな」

「い、いえ。ただの通りがかりです」

「そうか」

「……」

「……」

「私の陣で、白湯でもいかがかね」

「め、めっそうも」

「そう言わず、聞きたい事もあるのだ」


 半ば強引に吉弘の陣へ連れて行かれる備中。力なくついていくが、もしかしたら半ば狂気じみた自身の様子に気を使われたのかも、と申し訳ない気分になる。


 陣で吉弘が合図をすると、吉弘のお付きは白湯を用意するや姿を消した。おや、これは臼杵の陣でも同じようなことがあったが、と訝しむ備中。


「備中。私は門司城で共に死線に立ったそなたに親しみを感じている」

「お、恐れ入ります」

「故に教えてもらいたいことがある」


 ほら出た。このお方も臼杵様と同じかな。


「主人鑑連の事でしょうか」

「その通り」


 微かに微笑んだ吉弘。貧相な顔つきだと思っていたが、今やその顔には重厚感が漂っている。経験が人を成長させたのだろうか。


「実は同じようなご質問を臼杵様からも頂きました」

「これは先を越されたか」


 吉弘はさらに微笑んだ。


「まあそうだろうな。私と臼杵殿、互いに関心ごとは共通している」


 戸次家で忘れ去られている自分が、他家の当主達から目をかけてもらえる。主人鑑連は激怒するだろうが、それは慈雨にも等しく、備中の傷だらけの心は救われるのであった。


「何を聞かれたかは訊ねないが、臼杵殿の求めには応じたのかね」

「も、もちろんでございます」

「ならば私にも答えてくれると期待している」

「は、ははっ」


 といっても吉弘の質問も同じようなものであった。鑑連がこの攻城戦をどう処するつもりでいるのか、立花殿排除後の城をどうするのか。臼杵弟の時と同じように、赤裸々に語る備中に、吉弘はいささか驚いた様子であった。


 最後に、臼杵弟からは無かった質問があった。


「立花殿のお命を、戸次殿は救うつもりでいる、と私は思うのだが、どうだろうか」

「そ、それは……」


 ある意味で考えた事もなかった内容だ。命を助けるとすれば降伏をするか、大友方に復帰した時ではないだろうか。


「立花殿も大友血筋の武士。これは高橋殿もそうだが、宗麟様はもうこれ以上、同族の血を流すべきではない、と私は確信している」


 この質問が意味するところは、義鎮公は目下、立花殿の死を避けようとしており、そういう指示が吉弘に出ているのかもしれない。


「きっと、戸次殿も同様に考えていると」

「……」

「どうかね」

「しょ、少々お待ちください」


 吉弘の前で熟考を始める備中。主人鑑連と立花殿を脳裏に呼び起こし、未来の中で融合させてみる。しかしどう考えても、立花殿の姿を思い描けない。鑑連から離れ、立花家についても良い、と思ったほどなのに。


 そして鑑連の意見も想像し得た。こちらは実に容易に、主人は立花殿の命など歯牙にもかけないだろう。


「お、恐れながら」

「うん」

「主人鑑連の意思よりも、立花様の側に降伏や復帰のお考えがない、と存じます」

「そうか」


 不思議と素っ気ない返事をする吉弘に備中は拍子抜けするが、解説を続ける。


「私の知る立花様は筑前の民を思う気持ちが強く、戦略を知るお方でした。安芸勢を居城へ引き入れ、包囲戦が始まった今も対決する姿勢を崩していません。かくなる上は、潔い最期を迎えられるのではないでしょうか」

「……」

「……」

「……そうか」


 吉弘のその声にいくらかの諦念がこもっていたように感じた備中。だから吉弘がなおもこの件について会話を続けてきたことに驚いた。


「今、立花山城に入っている安芸勢は大した勢力ではない。聞けば安芸勢は伊予の戦いに本腰を入れているし、山陰山陽でも情勢は確定していない。立花殿がそこまでのお覚悟を決めていなければ、助かる見込みもあるのではないか」

「それをするためには、吉弘様が立花様を捕らえねばならないと……」

「つまり、戸次殿にはそのつもりは無いと」

「……」

「そうか」


 短くもはっきりとしたその言葉に、備中は気圧された。事情の末に鑑連の指揮下に入ったとはいえ、自分の力の及ぶ範囲で救えるものは救ってみせる、という決意が込められていたからだ。吉弘殿は誠に血筋が良い、と備中は感じるのであった。

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