第125衝 力点の鑑連
秋月勢からの使者引見、義鎮公からの使者対応を終え、戸次隊は出発を開始しようとしていた。
鑑連の勘気に触れ、寄る辺なく斥候隊に身を置くしかなかった備中だが、斥候隊の統率者の一人、由布の配慮があったらしく、丁重なもてなしを受けた。すなわち、左遷された先で理不尽なイジメを受ける事は無かったのだ。また、文系武士とはいえ備中のある意味地味な活躍は、戸次隊の下級兵らの間でも認知されていた。
とりあえずホッとする事は出来た備中だが、乗る馬がない事に気がついた。斥候隊なのだから止むなしか、と以後の徒歩移動を思い暗然としていると、
「備中殿、聞きましたよ」
と近づいてくる義鎮公からの使者。何事かと一歩二歩後ろに退きながら警戒する備中だが、小野甥は構わず話し続ける。颯爽と。
「戸次様に高橋様攻撃についてのご猶予を、と申し上げられたとか」
「あの、その。い、いえ、そこまでは。考え直す余地もあるのでは、というところでして……」
森下備中、自分よりも若い武士に謙ってしまうのは、相手の体格が自分よりも優れて立派であるからだろうか、と黙って独り言ちる。
「戸次様の勘気はそのためでしょう?何故、そんな提案を?」
「いや、その……」
「高橋様が無実だから、と?」
「わ、我が殿もそう思っているはずなのです。謀反の噂は、安芸勢の謀略で間違いない、と」
「しかし、高橋様は流言を打ち消す努力を、例えば弁解、謝罪、取次などか、怠っています。これは罪ありだ、として、今この隊は筑前へ向かっているのでしょう?」
備中は目の前の若造について、なんかうるさいヤツだなあ、と思いつつ、
「ぞ、存念が一つ」
「どうぞ」
主人鑑連には酷い仕打ちを受けた事だし、この際全て、この大友宗家の使者にブチまけてしまえ、という気に備中は至った。曰く、
「た、高橋様のご兄弟は、我が殿が討ち果たしました。十数年前」
「その時私はまだ子供でしたが、府内が燃えた事は覚えています」
「高橋様がそ、その補佐に任じられた義鎮公の弟君は、義鎮公か吉岡様か、あるいはウチの殿もか、かか、関わっているのか、周防の地に見捨てられました」
「安芸勢との戦乱の発端ですね。その時の密約を、毛利元就は全て破り捨てたという。今は亡き田北様、臼杵様も、辛かったでしょう」
小野甥はスラスラ述べる。さすがは義鎮公の家臣、公の周辺ではきっとこんな話題も頻繁に話されているのだろう……老中らの力不足と位置付けられて。
「そ、そして今、古よりのよすがを伝える、かの太宰府の地から、高橋様を追い払おうとしている……これまでの功績の一切を無視して」
「しかし、命を奪うつもりまではないのでは」
「殺されなくたって、そんな扱いをされたら私みたいな力の無い者だって、簡単には引き下がらないでしょう」
「……ふむ」
「弁解の余地なく殺された兄たちの無念、主君を捨てられた部下の悲しみと運命が定まっていた人物に付けられた屈辱、そしてどれだけ我慢し、尽くしても永遠に信頼されない絶望」
「……」
「高橋様の立場になって考えてみれば、その胸に怨念以外のなにものが宿るでしょうか。よって高橋様は、簡単には降伏しないでしょう」
「……」
「……い、以上です」
高橋殿の無念を思うと、他家の事とは言え、備中も胸が痛む。目の前の男はどう考えているのだろうか。義鎮公の直臣であれば、同じ感情を手に主君へ衷心に及ぶのだろうか……自分のように。
少し考えていた小野甥は、だが続けての質問を投げかけてくる。
「なるほどですが、では、今回の戦役を回避したとして、どうすれば事が収まりえる、とお考えですか」
そんな事を自分みたいな陪臣に聞くなよ、とは思わなかった備中。人が話を聞いてくれる高揚とともに続ける。
「た、高橋様を義鎮公と吉岡様それぞれがお認めになり、その、老中衆に引き入れるしかないでしょう」
「老中衆に!」
「それを何よりお望みのはずです」
「しかし何故?」
「高橋殿ご出身の一万田一門にかけられた汚名を雪ぐためです」
「……」
出発前に言葉を交わした橋爪殿も、一万田の名乗りは出来ないでいる。この家系の名は汚れたままなのだ。高橋殿に限らず、そんな不名誉に耐え続けているのだろう。
「よくワカりました」
「えっ?」
「あなたが妙に一目置かれている理由が」
「……そ、そんなことは」
褒められると照れてしまう陰鬱落ちこぼれ的な備中に、清涼優秀的な小野甥は一段上の笑顔を向ける。
「備中殿、ありがとうございます。私もこれで役目を全うできそうです」
「そ、それは良かったです」
正直笑顔ばかりが目立つこの人物の爽やかさから離れたい気持ちの備中。ふと、自分は汚れているのかな、と自問する。と、話題が変わった。
「ところでその後、発散していますか?」
「発散?な、何をですか?」
「発散ですよ、イラつきの。多分してないでしょ」
「?」
首をひねる備中に、小野甥は確信的な情報を与えてくれる。声が抑えられていたが、確かな清涼さを伴い。
「背後から妖しげな咒師を斬れば、備中殿の心の靄も晴れたかも」
「あ」
昨年の冬を思い出す備中。田原民部が豊前高尾城を襲った頃、その件で提案に出向いた田原常陸邸を出た後、確かに出会っている。石宗を背後から斬り殺そうと企んだ所をたまたま目撃されていた。誤魔化したものの、看破されていただろう。
「ああ!」
「あはは、お久しぶりでしたね」
大友宗家の家臣であるこの人物に、いまさらなんて言えばいいだろうか?備中は恐る恐る近づいて曰く、
「な、何かの復讐も兼ねて来られたとかですか?」
が、清涼な表情と口調は陽を描いた。
「あはは、まさか」
「そ、そうですか」
「ご安心を。私は妖しげなる者の使い等ではありませんよ」
それを聞いてホッとした自分はお人好しなだけなのだろうか。今度はそう自答する備中に、
「私は宗麟様の命により、しばし戸次様の下に滞在します。今後ともどうぞよろしく」
と小野甥は爽やかな笑顔を見せた。備中の疲労で濁った目に、白い歯が眩しく輝いて見えた。
ふと、備中は視線を感じた。背筋にクる物があったため、視線の主は主人鑑連で間違い無いはずだが、周囲には姿は見えない。
「な、なんだろう」
咎め無く降格を言い渡されてから鑑連に話しかけてはいないはずであった。何か別の懸念を、主人は持ったと言うのだろうか。
「か、会話さえできれば……くっ!」
もうしらねえ、どうでもいいや、と独り芝居でカッコつけてみせる備中の荒んだ姿がそこにはあった。そんな己を客観的に見て、自分は主人の愛に飢えているのだろうなあ、と情けなさに自責の思いを増し、落ち込みながら斥候隊の陣に向かう備中であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます