第124衝 顕没の鑑連

「さて、困ったぞ」

「?」


 近習を解雇された以上、直接鑑連に掛け合う権限は剥奪されたものと見なければならない。備中はとりあえず、戸次叔父に隣の若い使者を託そうと決め、その陣幕を訪ねる。


「親繁様、お、お願いがあって参りました」

「備中か」


 神妙な顔で備中を出迎える戸次叔父。


「先ほどは不運だったな。高橋殿を本当に攻めて良いのか、私も悩んではいるのだ。だからそなたがああ言ってくれて、胸の閊えが少し……酷くなったよ」

「は、はっ」


 この爺さん、そこはスッとしたと言わなければならないところでしょ、と返事の陰で声なき声により抗議する備中。


「機会があれば、私からもご再考の余地について殿に言上する……もう手遅れかもしれんがな」

「いえ、そんな事は無いでしょう」


 備中の後ろから発言する小野という名の若い使者。


「小野鎮幸と申します」

「小野……おお、小野信幸殿の甥御か」

「はい」


 それを聞いてびっくりする備中。


「お、お、小野様の?あ、あの」

「はい、十年前、すぐそこの古処山で名誉の戦死を遂げたのは、私の叔父です」


 備中の脳裏に、割れたスイカのように頭部が吹き飛んだ小野の最期の光景がいきなり蘇り、その衝撃で足の力が抜け、腰を抜かしてしまう。そんな備中を無視して、戸次叔父と小野は続ける。


「立派な若武者になったな。義鎮公……ああもとい宗麟様の近習として頭角を現していると、我らも聞いたことがある。小野信幸殿も草葉の陰でお喜びだろう」

「恐れ入ります」


 うんうん頷き感慨深げな戸次叔父。


「しかし、どうしてまた戸次の陣に?」

「はい。宗麟様と吉岡様より、戸次様への書状を届けに参りました。直接お渡しする必要があるのです」

「宗麟様、そして吉岡様か……ワカった。急ぎ取り次ごう。備中、そこで何を座っている」

「こ、こ、腰が……」

「腰が痛いのか。まだ老いは遠いくせに、情けないヤツだな。私を見習え」

「ささ、備中殿」


 手を差し伸べてくれた小野にしがみ付き、足をガクガクさせながらも何とか立ち上がる備中。十年前に負った心の傷の深さに自分で驚きながらも、高橋殿の事を考えてひと踏ん張りする気になる。


「お、お、小野様。もしや義鎮公もとい宗麟様からの書状とは、高橋殿攻撃に猶予を持たせるようなものではありませんか」

「……さて、それはワカりかねますが」

「いや、きっとそうに違いない。義鎮公もとい宗麟様が今更書状で他に何を伝えてくるでしょうか。間違いない」

「……」

「おいおい備中、落ち着け」

「親繁様、急ぎ殿にお知らせして、ご判断の材料といたさねば」

「今のそなたは駄目だぞ……ワカってるな」

「は、はい」

「小野殿、私が案内しよう……ああ、そう言えば、何か話をしていたっけ。なんだったかな」

「備中殿が何か大それたことをしたかして、もう手遅れかもしれない、という……」

「ああ……」

「まあ、大丈夫ですよ」


 微妙に勘違いをしている小野に薄い感謝をしておく備中。小野は爽やかに続ける。


「私が備中殿の人相を見る限りでは多分、大丈夫ですよ」

「小野鎮幸」

「あ、戸次様」


 片膝付く小野。そこには何故か鑑連がいた。その使者が備中を慰めてくれるかのような話はまた中座して、今度こそ陣幕を出て行った。


「と、殿」

「ぃっ!」


 下手をすれば斬られてしまう。逃げるべきか、隠れるべきかで右往左往混乱する森下備中。そんな下郎を無視して、鑑連は使者に話しかける。


「小野鎮幸。そなたが持ってきたのは義鎮の意か、それとも吉岡の策か。述べよ」


 いきなり話に踏み込んでくる鑑連に、


「はっ。宗麟様の意を反映させた吉岡様の策にございます」


と、小野は落ち着き払って書状を差し出した。鑑連の前で全く動揺しない若者の無鉄砲さに呆れる備中。一方、書状を無作法に鷲掴みにした鑑連、読む前から辛辣に曰く、


「フン、半端な出来損ないか」


と毒を吐くや凄まじい速さで書状に目を通していく。眼球が不思議な動きをしているように見え、本当に読んでいるのだろうか、と心配になる備中。


 顔を上げた鑑連、厳しい口調で小野に問う。


「小野鎮幸、文書にある吉良という人物は今どのあたりに来ているか」

「今頃、日田に入った頃のはずです」

「この吉良という人物が、高橋を説得できると、誰が考えているのか」

「宗麟様はそのお方に望みを抱いている、というのが現実です。またこの御仁は、三河吉良家に関わる身分高き確かな方と聞いております」

「そのような者がなぜ豊後にいるのか」

「源氏の貴い血縁により、と聞いております」

「後続の諸将の動きはどうなっているか」

「まだ出発してはおりませんが、吉弘様を中心に軍勢は整い始めています」

「田原民部は」

「臼杵にて、宗麟様のご相談にお乗りです」

「ほう、吉岡ジジイはどうした」

「府内に入られてます」


 戸次叔父が間に入る。


「吉岡様は府内で指揮を執られているのか……田原民部様は臼杵にいて、か」

「叔父上、吉岡ジジイの影響力が落ち続けているのですよ。高橋が謀反を起こせば、安芸勢の動きばかりが気になってしまう。その後下手をすれば和睦は霧散し、その主導者たる老中筆頭吉岡ジジイは義鎮から非難されずにはおれんでしょうな」

「あの吉岡様がそのような惨めな事になるとは、時代の移り変わりに哀しいものを感じます」

「今頃高橋も必至に情報収集に励んでいるだろうが、叔父上が感じたような哀愁をあの者も感じているとするならば、高橋はどちらへ転ぶかな。ワシの前に平伏して免責を求めてくるか、それとも義鎮が送り出した吉良とかいう者に仲介を依頼するか。実に楽しみだ、クックックッ」


 高笑いを続ける義鎮だが、それを見る者たちの心は様々であった。高橋討伐を思い直すよう伝える気持ちが諦めに変わった戸次叔父に、免責は自分にこそ与えてもらいたいと切望する森下備中、そして笑顔で鑑連に相対しても、口数の少ない使者小野甥。


 鑑連は笑いながら戸次叔父の陣幕から去って行った。小野甥も、その後をついて出て行ってた。まだ何か、連絡事項があるのかもしれなかった。そして、戸次叔父の陣にいる間、鑑連は徹頭徹尾、備中を無視してのけた。


 備中と二人きりになった戸次叔父は、


「備中……すまんな」


 と詫び言を述べた。少し救われた気持ちになった備中は、静かに平伏し、上司の厚意に感謝を示すのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る