第122衝 発進の鑑連

「宝満山城を攻める」


 鑑連の宣言に、戸次家の面々は苦い思いを飲み下すしかない。


「ついに、出陣が決まってしまいましたな」

「高橋様にはお気の毒ですが、止むをえません」

「詫びて、とりあえずは地位を返上すれば良いのに、高橋殿も何をお考えか」


 暗い顔の幹部連を力づけるためではないだろうが、戸次家にとっては景気の良い話がでる。


「陣容はいかなる形になるのでしょうか」

「今回の出陣は老中衆の決定によるもの。よって、総大将はワシ。このワシだ」


 感嘆の声を上げる幹部連に、鑑連は笑顔を向ける。


「戸次の全部隊を動員する」

「されば功績の立てようがある。腕がなりますな」


 戸次叔父の意見に頷きながら鑑連は続けて曰く、


「さらに志賀隊が引き連れてくる肥後勢及び高橋の統制から外される筑後勢を加える。これだけで一万を越える兵力となる」

「筑後勢は大人しく殿に従うでしょうか」

「すでに内田を送った。蒲池、田尻、問註所らの同意を得ている」


 もう一つ深い、感嘆の声が響き渡る。


「さすがは殿。抜かりなし」

「無論、義鎮も軍勢を送り込んでくるだろうがな」

「義鎮公も、ですか」

「過日の寄合に置いて、ワシと吉岡の間に多少論難が発生した」


 備中を見る鑑連。余計な反応は一切すまい、と動きを停止させている備中を見て、鼻で笑った鑑連、


「よって義鎮が送り出す吉弘隊に、吉岡は合力するだろう。他、朽網、橋爪、斎藤がそれに付き従う気配だ。こちらも一万に達するだろうが、ワシらより速く支度が整うはずもない。戸次隊の後塵で戦功不足にまみれるだろうよ、クックックッ」


 不敵な笑いが、鑑連の強烈な自負を現している。


「全員に伝えておく。今回、高橋の有罪は未だ立証されていない。だが、自らの潔白を明らかにする努力を、高橋は怠っている。これだけで国家大友では罪に値する。よってワシらが行う討伐は、正当かつ正義に則ったものとなる。戦火を交える前に降伏するかもしれんし、腹を括って一戦挑んでくるかもしれん。いずれにせよ、高橋が潔白を寸分でも慮れば刀の切っ先が鈍り、結果兵を無駄に死なせることにもなる。故に手加減は無用だ」


 平伏した幹部連を見渡した鑑連。


「では出陣の準備にとりかかれ!無敗の戸次軍団の姿を筑前筑後の土豪らに見せつけてやるのだ!」



 出陣を目前にして忙しくしているときに、備中にとって好ましからざる人物がやってくる。石宗だ。


「はっはっはっ!元気にしていたかね」

「忙しいんです。構ってあげる事はできませんよ」

「ほう、生意気に」


 ハシハシ動いて準備に汗を流す備中を、小馬鹿にしたように見やる石宗。いつもの如く、天道の話を始める石宗だが、備中はそれをとことん無視する。今の石宗は義鎮公のために動いているのだろう。それであれば、その口から放たれる言葉は主人鑑連の妨害に発展するかもしれない。備中自身は何よりも戸次家の武士なのである。主人鑑連を論難する吉岡の声を思い出し、気合を新たにしていると、怖い顔をした石宗が脅しをかけてくる。


「備中、天道はそれに従う者には大いなる恵みを与えるが、それに背く者には……」


 ここで初めてやり返す備中。


「では、石宗殿。もはや主人鑑連が天道に沿って歩いていないと?」

「……んん」

「答えてくださいよ」

「あー……」

「いつもおしゃべりなあなたが無言とは。どうしたことかな」

「ははっ、備中……」

「あなたはかつて、殿は天道に沿って進んでいる、と言っていたではないか。今になって言葉を翻すのか。出陣を前に無礼であるし、不吉な言葉を弄するとは、一体いかなる意図があってのことか。主人鑑連からあなたに尋問をしてもらおうかな」

「……」

「その時は石宗殿、絶対に答えてくださいよ」

「はっはっはっ!」

「うわっ!」


 凄まじい笑い声で場を圧倒する石宗。備中の珍しい勝気も呑み込まれてしまった。


「まずもって天道とは、大明は黄河の如し。道は必ずしも一定ではない。進むべき方角を誤ってしまうことも、あるかもしれん」

「いいや、殿は乗り越えるぞ。天道が如何に蛇行し、氾濫しようとも、必ずや乗り越える!」

「ほう……」


 常なら気弱な備中の忠気に充てられたのか、石宗は高笑いを控えながら去っていった。石宗相手に啖呵を切るのはもう何度目だろうか。ドキドキ連打を続ける心臓に手を当てて、気分を落ち着けていると、


「備中、あれを見つけてきたのは元々貴様だったと思うが」

「は、はっ……」


と鑑連がやってきた。どうやらまたしても様子を全て見ていたようだが、


「クックックッ、肥後戦役を思い出すなあ備中」


と上機嫌である。


「はっ」

「あれから十余年、今や何もかもが懐かしい」


 あの頃はまだ鑑連も、老中の地位にはいなかった。それを思えば石宗は吉を運んで来たと言えるのだろうか。しかし、


「石宗殿を殿に引き合わせたのは、私の間違いであった気がしてなりません。申し訳なく思っております」


 素直に心情を述べることが出来ている自分にも驚いている備中だが、天道を歩んでいる鑑連に対して謝罪をしておく必要を強く感じていた。が、鑑連は気にしていない様子で、


「かもしれん。だがその後にあれを義鎮の側近くへ、と勧めたのはワシと吉岡ジジイだ。今はワシらと距離を取らねば、あれも容易に臼杵城を放逐されてしまうに違いない。あの態度にはそういう理由もあるだろう」

「しかし、戸次家が天道から外れた、とまでヌカすとは……許せませんが、不気味な気配も感じます」

「そこまでは明言していなかったようだがな。だが、気にすることは無い。あれは兵を持たない、口先三寸だけで必死に生きている哀れなる存在だ。ワシとはそこが根本的に異なる。ヤツにこのワシを害する事など出来はしないし、ヤツはそれを良く承知している」

「はい」

「いい加減な咒も、いつか何かの役に立つかもしれん。あれと特段仲良くする必要はない。今日の態度を続けてやるとよい」

「はっ!」



 数日後、戸次隊は早々と準備を整えて出陣した。大分郡、玖珠郡を進み日田に至れば、筑後の平野は目前である。速攻を信条とする鑑連は、この行程も快速で消化していく。備中も右手に見える由布岳を眺めながら、


「冬までに帰れたら重畳、かな」


と独り言ちた。それを聞いていた十時が備中の背中を小突いて、気合を入れてくる。


「何か元気が無いな。石宗殿とやりあったことを、気にしているのか?」

「い、いえ、その」


 普段弱気な備中が石宗のような剛の者にやり返した、という話は家中の格好の噂である。だが、そのことで備中は難しい顔をしているのではなかった。丁度出陣の直前、橋爪殿が戸次邸へ表敬訪問にやってきた。武運長久お祈りに加えて自分たちもしばらく後に出陣する旨を鑑連に伝えに来たのだが、備中の顔を見た橋爪殿曰く、


「父が滅ぼされたのち、私を吉岡様へ取り次いでくださったのは叔父貴だった。その叔父を、私は討たなければならないのだ。なんだか辛いよ。戸次邸に居るって言うのに、ため息が出そうになる」


 鑑連のため息嫌いが貴人たちの間で評判になっていることを脇に避け、備中は十数年前の記憶から、吉岡邸で並び歩んでいた貴人二人の姿を思い浮かべた。その二人の内の一方は、今、大友家に反旗を翻している。これを悲劇と言わずしてなんと言おう。


「私はこの戦いで功績を挙げてみせる。そして叔父貴の助命を願うのだ。備中、そなたも私の願いが成就するよう、祈っていてくれ」

「はっ」


 昨日までどころか、まだ味方かもしれない相手を攻めるのである。しかし橋爪の陰鬱な表情は、大友血筋の武士たち限定のものなのだろうか。十時の元気溌剌とした表情を見ていると、他人のために悩んでいる自分が馬鹿らしくも思えてくる。


「備中、お前も頑張って功績を上げろよ。門司での活躍を、私は忘れていないぞ。お前なら大いに活躍できるさ。ではな」


 そう言って自部隊へ戻っていった十時の後ろ姿から目を離すと、どこまでも深緑の輝きを放つ夏の豊後の里の姿がきらめいていた。それは十時のように功績を渇望する武士たちの表情と同じように輝き、備中の昏い目には眩く見えた。

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