第121衝 無頼の鑑連

「我らとは?」


 老中筆頭吉岡がパカ、と口を開く音を備中の耳は確実に捕らえた。恐らくいつもの笑顔のままだろうが、空気が冷えていくようだ。


「鑑連殿、信頼されていない、我らとは一体誰のことかね?」

「宗家並びに老中衆のことですとも」

「聞き捨てならんな」


 一歩も譲らず、むしろ発言に被せるように指摘する鑑連に対してさらに言葉をおっ被せた吉岡。


「吉岡殿、まずは戸次殿のご指摘を聞いてみようではありませんか」


 田原常陸が間に入った。やはり田原常陸は鑑連には悪感情を抱いていない様子だった。田原常陸に促される形で、鑑連は続ける。


「ここに集まっている我ら。ここには徳が無い。だから高橋は弁解に来ない」

「なぜ徳がないと言える。国家大友を守るため、我らは日頃奮闘している」

「自分の食い扶持を増やすためにな。我々は豊後の他にも諸国に所領を持っている。地味豊かで収益の高い土地も多いだろう。当然だ。我々は、勝ち続けてきたのだから、それを我がものにする権利がある。我々はそれを、遠い豊後からただ味わっているだけなのだ。土豪らと苦楽を共にしているワケではない。これでも、徳が備わっていると言えるのかね?」

「伯耆守、聞き捨てならんぞ。この儂が、何の努力もせずに利益を貪ぼっているだけだというのかね?」


 珍しく、鑑連を官名で他人行儀に呼ぶ吉岡。かなり気分を害している様子だ。が、鑑連は意に介さず続ける。


「ワシは何も、我々の生き方を今更批判しようと言うのではない。我々は我々だ。この後も、この豊後に居る限り、きっと何も変わらないのだろう。であれば、我々にふさわしいやり方で、高橋の問題も処理するべきである。吉岡殿、違うかな?」

「……」

「ごちゃごちゃと体裁を取り繕う必要など何処にもない。事がこうなっては致し方ない。高橋のそれが毛利元就の謀略によるものなのか、それとも国家大友に巣食う毒虫どもの為せる業なのか、今となってはそれはワカらん。だから高橋を罰するのだ。事実を確認するのではない。真実を追求するのでもない。我々の権威を損なう輩を罰する、ただそれだけだ。方々それでよろしいか」


 呻き声を漏らす吉岡だが、鮮烈な声が発せられた。田原民部である。


「ですが宗麟様はまだ、出陣をお認めにはなられていない。今は自重せねばなりま」

「田原民部殿」


 鑑連の深く重い声が、自信溢れる声を叩き落す。


「ワシは立花の事は黙っているのだ、また、高尾城のことも黙っている。よってそなたもここは口を閉ざしているべきなのだ。徳もなく慈悲もない、さらに決意すら欠いては、国家を担う者としての沽券に関わる。黙って責務を果たすのだ、よろしいか」


 鑑連の威圧に、田原民部も次の言葉を継ぐことは無かった。誰もが口を閉ざした。しばらくの沈黙の中、立ち上がった人物がいた。


「戸次殿、私はこれより豊前方面への警戒を強化する。香春岳に城が無い今、豊前の防衛力は低下している。高橋殿が安芸勢を引き入れようとした場合、田川郡を一気に突破するという戦法もあり得るだろう。そうすれば、秋月勢も立ち上がるかもしれない。私はそれを全力で防ごう」


 それは田原常陸の声であった。いつも通りの爽やかな口調に、耳を澄ましている備中も安心する。


「田原常陸殿。豊前方面の安定はそなたにお願いしたいと思っていた。他の連中では、心配だからな、クックックッ」


 が、食い下がるように田原民部が質問を投げる。


「高橋殿は衰えたとは言え、大族一万田家のご出身。もしも一万田家までが高橋殿に付き従い謀反を起こしでもしたら、如何します」


 一万田宗家の嫡流は橋爪家を継承させられていたが、義鎮公の忠実な下僕として必死に家勢を支えていた事を、備中は思い出した。確かにその恐れも否定はできないだろう。が、鑑連はピシャリと反撃する。


「田原民部殿は、橋爪殿が本当に高橋に与する、とのお考えをお持ちではあるまい。彼は義鎮公の忠実なご近臣の一人、忠誠心には疑いを挟む余地は無し、そうだろう?」


 言葉が過ぎたことに気が付いた田原民部、黙り込んでしまった。そして、不徳を指摘された吉岡も口を開かない。礼の所作をして広間から去っていくのは田原常陸だろう。志賀安房守も立ち上がり、


「方針が定まった。これは何よりで、肥後の衆らも安心するでしょう。私は直ちに肥後へ戻り、いつでも兵力を送り込めるよう備えております」


と不機嫌を払い落とした様子で去っていった。次いで立ち上がったのは田原民部である。なんとなく、この人物の気配は他の老中らと異なるのだ。


「いずれにせよ、宗麟様へご報告をせねばなりません。それまではどうぞご自重くださいますように」

「我々の寄合は全会一致が原則だ。沈黙をしていたそなたは賛成をしてくれたものと思っていたがね」

「い、いずれにせよ、宗麟様へ。急ぎます」

「急がずとも良い。ワシの軍勢を見た高橋が詫びを入れてくる、という事もあり得る。そなたが立花にしてやったようにな」

「いえ、事急がねばなりません。それでは」


 田原民部も去っていった。控えの間に居たそれぞれの老中らの家臣たちもそれに従い退出していったが、部屋には門番の兄と森下備中のみ残されている。二人とも互いに悪感情は抱いていないはずだが、無言であった。当の主人たちも、今だ退出せずに無言を貫いているからだ。


 烏の鳴き声が聞こえる。備中も、門番兄も、主人が言葉を発してくれる時を、待ち続けている。奇妙な緊張が張り詰めており、背中に寒いものを感じていた。鑑連と吉岡、牽制をし合っているのかもしれない。が、先に動いたのは鑑連であった。それも無言で退出をする、というやり方で。立ち上がった鑑連に合わせて備中も動こうとするが、それを吉岡の鋭く冷たい一声が止めた。


「儂は不徳か」


 沈黙が支配する。鑑連には答える気が無いかのようでもあった。


「なあ、伯耆守。儂はそんなに徳が無い男なのかね」


 鑑連は相変わらず何も答えない。


「義鎮公が家督を継いでから十余年、儂はひたすらこの老中の職責を全うする事だけを考えてきたのだぞ」


 鑑連は無言だ。


「何処へ行っても追いかけてくる訴訟沙汰の捌き、義鎮公の起こした不祥事の尻拭い、諸侯間の調整、慰撫、圧迫、監視、老中衆への根回し、義鎮公への根回し……全ては大友国家のためではないか。そりゃ自分の為でもある。儂とて妻子被官どもを養わねばならない。彼らの力を借りて、仕事を行っているのだ。報酬も出さねばならない。上げねばならない。確かに当家は戦争は不得手だ。だが統率の好機を吉弘と分け合い、現実に寄り添ってきた。それなのに伯耆守、そなたは儂を徳が無い、と言う。我ら、と言おうが、大友国家の老中衆は儂の後半生の全てだ。儂ら老中は全会一致が原則だ。そのための根回しにどれだけの血と汗を流してきたか!いいか小僧!」


 感情が爆発した吉岡が鑑連を小僧と罵った瞬間、震えて立ち上がったのは吉岡であった。鑑連はずっと坐したまま無言を貫いている。


「この国は儂ら老中衆が動かしてきたのだ!そしてその老中衆を統率してきたのはこの儂だ!義鎮ではないぞ!その儂への無礼は許さん!」


 吉岡の口角から飛沫するは、自負と誇りであるはずだ。そして鑑連はその批判者である。


「儂を徳無しと罵るそなたはどうなのか。儂らは義鎮公擁立に汗を流した仲だ……これまで数多くの行為に儂とともに手を染めてきた自分自身の事をよくよく振り返りて刮目することだ。伯耆守、そなたも同じ穴のムジナなのだ……」


 そう言い残して、吉岡は退出した。と、同時に門番兄も去っていった。鑑連は相変わらず立ち上がらない。吉岡の指摘の通りこれまでの何かを深く考えているのだろう。備中は主人鑑連が動くまで、控えの間で坐し続けていた。

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