第66衝 尻拭の鑑連

 戦場の離脱に成功した臼杵隊、田北隊、田原隊、吉弘隊、そして戸次隊は吉岡が座する本陣まで下がり、軍容を整え始める。だが混乱著しい。


「急がねば、安芸勢の追撃が来るぞ!」

「余計な荷物は捨てろ!」

「負傷兵が姿を消しました!逃げたのかも……」


 諸隊の有様には差があった。戦場の最右翼で戦っていた戸次隊は、損害はほぼ無い。と言っても、士気の低下は明らかであったが。鑑連が由布、石宗とともに吉岡の陣へ行っている間、備中は幹部連の落ち込みように驚いた。幹部連で最も不安気質な戸次弟が耐え切れない様子で、不安を零す。


「田北様がなあ……これから国家大友はどうなるのだ」

「吉岡様が指揮なさるのでしょう」

「田北様他、多くの味方を失わせたお方がか……そうかもしれんな」


 小さな皮肉をぼやかした戸次弟を、年長者の役割と戸次叔父がたしなめる。


「そんな事よりも、今は無事に豊後へ帰れるかどうか」


 その話題がしたかった、とばかりに十時が前ににじり出る。


「戸次隊以外の隊はもはや使い物にならんでしょう。と言って我々だけでは、安芸勢には立ち向かえません。とにかく、数が違う。残念ですが、撤退以外、ありえんでしょう」


 豊後に帰れる、というだけで嬉しくなる備中、水を向ける。


「では、殿は今、吉岡様と撤退方法を協議しているのでしょうか」

「そうだろうな」

「……豊後へ帰国……できるでしょうか」


 それまで黙っていた内田が、暗い未来を暗示させるような声で呟いた。が、同じ気持ちだったのだろう、立場上弱音を吐けない戸次叔父がそれに乗っかる。


「豊前路の方面からの報告はなにかあるか」


 備中、伝令書類の記憶を辿って曰く、


「いえ、今のところは」

「そうか」


 ちょっと嬉しげにヒゲを撫でた戸次叔父に、見通しが甘いんじゃ無いか、と言わんばかりに安東が発言をする。


「もう、この戦いの結果は知れ渡っているでしょう。帰路に当たる諸城の謀反は必至ですぞ」


 たまたま、安東の声が妙に響いたせいで、背筋が寒くなる一同。これまで国家大友に従っていた一同が、いきなり反旗を翻したらどうすれば良いのだろうか。只でさえ士気が落ちていると言うのに。幹部連の心が寒々としている間に、鑑連と由布が戻ってきた。その表情は思ったほど暗くは無く、幹部連は心に灯を灯したが、


「聞け。ワシらはもう一度、門司城に取り付くぞ。決定事項だ」


の発言が、蝋燭の火を消した。幹部連一同、正気ですか、という表情をしたので、ちょっと気圧された鑑連は咳払いをした後、解説を始めた。


「良く聞け。このまま撤退しても敵の追撃が増すばかりなのは目に見えている。筑前豊前の諸城も我々に平然と反旗をひるがえすだろう。それを防ぐための戦いと心得ろ、由布」

「……はっ。我らは一度、背後の山の切れ目まで下がる。追撃を迎撃しながらな。そこで海峡側へ進路を変え、一気に反転攻勢に出る。城を攻め、敵の反撃の意思を挫いた時、攻城を諦めた程で退却を行う。以上だ」


 沈黙する一同。またあの危地に戻らねばならないのだ。だが、沈黙をさせまい、と十時が頑張って賛意を示す。


「味方を生きて無事に帰すには、誰かが健闘せねばならないのだろう。私は賛成いたします」

「私も賛成します」


 負けられるか、と安東も力強く賛成を宣言した。鑑連はほっとした表情で頷く。


「うむ、それでこそ戸次武士、誠に見事なり……それで、まだ沈黙したままの諸君はどうした。言う事があるだろ?ん?」


 鑑連のえげつないくキツイ指摘に、戸次叔父、戸次弟はしぶしぶ賛成する。戸次武士、などという単語を出されては他にしようがない。


「ぎょ、御意にございます」

「あ、兄上……御意ッ……」

「うんうん。内田、お前はなんと言ったかな」


 沈黙したままなにやらぶつぶつ呟いている内田。鑑連の声にも反応せず、心配した備中、裾を引き注意を促す。すると覚醒した。


「はっ!ははっ!」

「どうした、何をボケッとしていたか」

「はっ……和睦前の戦いの時、安芸の水軍は小倉に上陸いたしました。我ら……もとい殿はその敵を撃破なさいましたが、反転した所で、もし、まとまった安芸勢とぶつかれば、ひとたまりも無いのではないかと……」


 なるほど。確かにその心配はごもっともだ。が、鑑連、内田の意見を退ける。


「その心配は不要だ」

「……御意っ」


 不要だというから不要なのだろう。こんな時の鑑連はその理由まで説明はしてくれない。反転攻勢をするまで、最後尾は戸次隊が受け持つ、と宣言し、軍議は終わった。



 鑑連も幹部連も去ったあとの陣内に、備中一人平伏したまま、座っている。彼は大きな衝撃を受けていたのである。


「十時殿、安東殿、御一門、内田ときて、なぜ殿は私に何もお尋ねにならないのだろうか……」


 問答無用の扱いなのだろうか。それともうっかり忘れていただけなのだろうか。最悪なのは、尋ねる価値すらない、というものだが……何処かで烏が啼いた。


「ああっ、殿。あんまりじゃあないですか……」


 身悶えし悩乱する森下備中に近づく影が一つ。


「ほう、ワシが何かしたかね」

「あへっ!申し訳ありません!!」


 心臓が止まりそうな程驚いて、向きを全力回転平伏した備中。目の前にいたのは、詐欺的咒師の角隈石宗その人で、そのモノマネは神がかり的であった。さすがに激怒する備中。


「はっはっはっ!」

「こ、この……!ふざけやがっ……!」

「何がかね。森下備中。それがしに楯突くのか。国家大友より大いなる尊敬を受ける、天道の体現者たるこのそれがしに、ン?」


 そう。出会った当初はともかく、今は目上の人物なのだ。振り上げた拳を下げるしかなかった。自分はきっとシケた表情をしているのだろうなあ、と自嘲しながら。


「シケたツラしてやがるな、おい」


 もはや言葉もない。が、石宗はそうではないようであった。


「備中、先の敗戦について、お前は吉弘隊についていたんだろう。話を聞かせろよ」


 先ほどの、自分は目上だぞ、という石宗の脅迫が備中の胸に効いた。上下関係には殊更敏感な忠犬系文系武士の備中には、従う他ない。夜襲の心配が残る陣中で、身も心も疲弊したまま、備中は石宗に戦場報告を始めるのであった。

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