第67衝 反転の鑑連

 大友側は陣を引き払い、撤退を開始した。だが、本撤退前に、もう一度門司城に戻り合戦攻城に及ぶという気の重い任務があり、士気の低下が心配されるところだ。


 勝つ見込みどころか、勝つ気すらないのに積極攻勢に出なければならない。生きて豊後へ帰還するために。


 隊列は、吉弘隊を先頭に進み、次いで損害が激しく家長が討ち死にしてお通夜状態の田北隊、そんな田北隊を労わるようにまだ比較して元気だが微妙に火薬弾丸が不足しがちな田原隊、総大将だが兵の多くを副将に委託しそもそも兵数が少ない吉岡隊、意図せぬ側面から強打され自信喪失気味の臼杵隊、最後尾にまだまだ元気な戸次隊が付く。


   安芸勢追撃

↓  ↓  ↓  ↓


迎撃↑ 戸次隊

    臼杵隊

    吉岡隊

    田原隊

    田北隊

撤退↓ 吉弘隊


 よって、敵の追撃を跳ね返し続ける事には成功し、小さな積み重ねだが、大友側の士気も戻ってきた。


「戸次隊はやるなあ」

「戦場に一番長逗留しているっていうのにな」

「吉岡様も面目丸つぶれかしら」


 そんな噂を耳にした備中、すかさず報告に上がる


「……という評判が出回っています」

「クックックッ!」


 主人鑑連は嬉しそうに常なる悪鬼面となる。こんな危険にあって、鑑連の兇悪極まる顔を見るだけで安心できるから不思議だ。


 迎撃には田原隊の鉄砲部隊も協力してくれたため、俄かに大友側の連携は強まっていた。田原隊の指揮官がちょくちょく鑑連の下へ相談にやってくる。その様子を、内田が嗤う。


「備中、殿のあの嫌そうな顔を見ろよ」

「そんなに嫌そうかな」

「嫌に決まっている」

「なんで?」

「田原民部様は、義鎮公の義兄だぞ。殿の出世の妨害だよ」

「ああ、なるほど、解説ご苦労さま」

「……」


 備中が結構目立っている近年、誰が近習筆頭か、とはさすがに言わなくなってきた内田が黙ってしまったので、気遣いおべんちゃる備中。


「でも、結構なご活躍だよ。すごいもんだよね」

「ふん」


 プイと去っていた内田の言葉を反芻して、笑顔で近づく田原民部と、それを笑顔で受けつつ心中毛嫌いしているらしい主人鑑連を改めて観察する。そんなに仲が悪そうには思えない。そのうち田原民部が自隊へ戻った。よし……


「殿、申し上げます」

「くだらないことだったら承知せんぞ」

「あ……ま、またの機会にいたします」


 取りつく島もなかった。無理もない。安芸勢の追撃を捌いているのだ。こんな時に関係のない質問をするべきではないだろう。反省。



 企救の半島に鎮座する山を右手に、海の見渡せる野原へ抜けたところで、森下備中、鑑連から命令を受けた。


「田原民部の話によると、豊前松山城方面に田原常陸が来ている」

「水軍でしょうか」

「いや、敗れた水軍は引っ込めて、陸の手勢を率いて来たそうだ。主力は民部が連れているからどうせ大した数ではないだろうが、こんな時だ。使える兵は活用せねばな。備中、これより田原常陸を探し、豊前の道の露払いに専念せよ、と伝えてこい」

「……はっ」

「なんだ、なにか不満か?」


 返事の仕方から気取られた。凄味のある目でねめつけてくる鑑連を前に、久々に恐怖のあまり声が出ない備中。良いから発言しろ、と促されて、震えながらなんとか声を絞り出す。


「た、田原常陸様に、ご、ご、ご、ごご合流して頂くというのは」

「どうせ撤退するのだ。時間の浪費になる。さっさと行ってこい」

「はっ!」

「それから、門司を攻める我らに追いつかなくても良い。再び戻ってきた時に合流できるよう、考えて動け。それまでは田原常陸について動け……吉弘について動いたようにな」

「……かしこまりました。必ず殿のお役に立てる情報を仕入れて参ります」

「そうか」


 一人向きを変えて出立する備中を、今回は誰も見送ってくれない。戦いが近いのだし、士気を維持しなければならない。余裕がないのだろう。由布の姿も見えない。これが今生の別れになるなんてことは……ないと信じたい備中。部隊が再び門司方面へ向かい始めているのを横目に、馬に飛び乗り駆けさせた。



 馬の扱いにも慣れてきた文系武士の備中。危機にある仲間を助けるための行動に誇りを感じつつ、曽根の干潟に至る。豊前の海は、豊後の海とは異なり、色彩が豊かだ。背後の地が拓けているか、そうでないかの違いでしかないのに。


 拓けたこの地では集団を見つけ出すのも容易である。果たして田原常陸の部隊は、裏切りが噂された豊前松山城にいた。


「そろそろ誰かが送られてくる頃合いだと思っていたよ」


 飄々とした態度で備中を迎えた田原常陸。主人鑑連と同年代のはずだが、性格は真逆と言って良いだろう。その軽妙さに困惑しながらも、備中は大友本隊の意を伝える。が、田原常陸はその内容に違和感を感じたようであった。備中に質問が飛んでくる。


「それは誰の意向だろうか。吉岡殿か、戸次殿か。そなたはどちらだと思うかね?」


 一層困惑しながら、


「ご、御老中衆の統一されたご意見だと思われますが」


と返した備中へ、田原常陸は笑顔で打ち消してくる。が、口調は真剣であった。そして核心を聞いてくる。


「今の大友方で主導権を持っているのは?」


 すぐに言葉が出なかった備中だが、正直に答えて言う。


「表向きは副将の吉弘様、実態は吉岡様。されど、敗軍の牽引役としては我が主人が……」


 それを聞いた田原常陸はニッコリと笑った。


「なるほどな。ここに送られてきたのも戸次家のそなただ。真の主導権を握っているのは戸次殿で間違いあるまい。となれば、私がここに居続けることも、戸次殿の強い希望なのだろうな」


 平伏するのみの森下備中を、いつしか忘れて熟考を始めた田原常陸。不思議な空気をまとったこの人物から声がかかるのを待ち続ける間、備中は人物考察を開始する。


 四十代後半または五十代に入ったばかり。常に笑顔で、社交的だ。面前で相手を非難したりはしないし、苦情も言わない。我慢しているのかもしれないが、そもそも相手を小馬鹿にしている貴族的な自己中精神の持ち主なのかもしれない。しかし、自ら水軍を編成して強大な敵を戦う組織力の持ち主。敗北をした後も、こうして戦場に戻っている。その上、田原隊の鉄砲攻撃は、大友側の大勢を救っている。その田原隊の産みの親であるのが、目の前の人物ではないか。


 戦場での功績は一流で、誰に問うても間違い無い。この人物から、主人鑑連の為になる情報を引き出したいものだが得体の知れなさもある。やるなら慎重にだ。


 そう心の整理をつけた森下備中、まなじりを決したつもりで、田原常陸に話しかける。


「田原隊は……」

「……」


 深く思考中で備中発言に気がつかない田原常陸。蛮勇を前面に、声を張上げる備中。


「田原隊は、門司の戦線で大いなるご活躍を上げておられました!」


 顔を上げた田原常陸。表情はぽかん、としているが、備中はもう一言、付け加える。


「た、田原民部様の素晴らしき統率において」


 これは内田から聞いた話を基に構築した備中なりの挑発であった。そしてその効果はあったと言わざるを得ない。


 田原常陸はにっと笑みを表したが、それは心からのものではない、と備中は見た。が、次いで口がパカ、と開けられた時、備中は恐怖に包まれた。その表情からは攻撃性以外の全てが感じ取れなかった。腰を抜かしそうになりながら、備中は相手の言葉を待ち続けるのであった。

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