第65話 血汐の鑑連
強くなって来た陽射に備中、顔を覆う。朝に登った狼煙が招来した内応騒動、今や殺戮場と変貌していた。
血飛沫舞う戦場で、ようやっと吉弘を探し当てたが、戦況は容易ならざる事態となっていた。臼杵隊からの伝令が喉を震わせて叫んでいる。
「海からの敵が我が臼杵隊の横に回りました!我が方は押されております!」
「そんな馬鹿な!」
「この時間は潮流が強いはずだ、何かの間違いだろう」
「安芸の水軍、巧みに潮流を渡り切りました!我が臼杵隊、前、左右からの攻撃に晒されております!何卒救援を!」
「こちらだって手一杯なのだぞ!」
吉弘隊首脳は一方ならぬ動揺に青ざめており、邪魔できる雰囲気ではとてもない。さらに、全身返り血に染まり、草摺には矢が刺さった吉弘武士が戻り、これも危機を声高く叫ぶ。
「申し上げます!田北隊を押し除けた場所に、安芸勢が陣を築きはじめております!」
「我が方はどうした!」
「押されています!」
今度は逆の城側から血染めの武士が来た。甲冑袖に十本は超える矢が刺さったままで、戦い難いだろうなあ、と備中しみじみと腕組みをしていると、剣山の如きその武士は鼓膜をつん裂く声で叫んだ。
「門司城から、敵の追撃兵がまた出ました!」
「はは、今度はこっちか」
「安芸の陣が立てた旗を見たんだろう」
「我が隊は前後から攻め立てられており、討死する者、増え始めております!」
「持ちこたえろ!助けに行くから!」
吉弘家の幹部が次々に戦場へ向かう。普段は陣に控え指揮を執るのが役割の高位そうな武士まで。これはもはや末期なのか。
「吉弘隊が頼りにしていた臼杵隊も危機にある……右翼の我が殿は大丈夫かな」
ここに老中筆頭田北が吉弘隊の陣地に飛び込んできた。
「田北様!」
満身創痍の程だが負傷は深くはない様子。副将としての吉弘への礼様を保ち、早口で伝える。
「吉弘殿、我らの隊が安芸勢本体の前に立ちふさがる。時間を稼いで見せるから、城からの追撃迎撃に集中してくれ。その間に、臼杵隊を逃げ道に通すのだ」
「田北様、それでは」
「水際の守備は諦めるしかない」
苦しげに俯く吉弘だが、田北の意見を拒否しない。
「もはや我が田北隊は半壊だ。田原隊も頑張ってくれているが、これ以上はとても持たない。このまま山と城と海に挟まれたままでは何もかもが終わってしまう……!」
「……」
「幸いにも右翼の戸次隊が敢闘している……ははは。ここに至っては一度戦線を収拾してから、鑑連殿の反撃に期待するしかない」
「戸次隊を中央へ移動させればまだ」
しかし悲しげに首を振る田北の姿は、印象的ですらある。腹を括った男の姿だ、と備中息を呑む。
「この混乱の中ではとても無理だ。安芸勢の築いた陣地には海から絶え間なく兵が上陸している。他に手がない」
目を瞑り歯を食いしばった副将吉弘、絞り出すように答える。
「それではお願いいたします」
「ああ、臼杵隊が脱出したら、副将たる貴公も直ちに後退してくれ。我らもそれに続く!」
こうして大友方は反撃を試みた。即席案でもあった臼杵隊の救出作戦は、老中筆頭田北の必死の奮闘により、計画通りに進んだ。吉弘も危険な戦線にいつでも臨める位置に立ち、味方を鼓舞し続ける。備中、それについて行く。
決死の田北隊が安芸勢の前に立ちふさがり、稼いでくれた余裕を最大限活用した吉弘隊が門司城からの兵を迎撃し押し戻す。その動きを見逃さなかった臼杵隊は、敵中を突破して、吉弘隊と田北隊の間を抜けて戦場を離脱した。
「よし、我々も続くぞ」
最後衛にあって兵の撤退を見守る吉弘。ボロボロになった田北隊も退却を始める。
だが、平然と見逃す安芸勢ではない。猛追撃が開始された。矢弾が飛び交い、至る場所から刃が突き出される危地の中、吉弘、馬上で必死の号令だ。
「頑張れ!何とかこの戦場を抜けろ!」
「ダメです!敵の数が多く、このままでは包囲されます!」
吉弘隊の幹部たちは誰もがここまでか、と覚悟を決める限界にまで達していた。備中もせっかく拾った命をここで捨てるのか、と吉弘隊に残った事を後悔しそうになったが、それでも踏みとどまったのは、思わぬ救援の姿を見たためだ。これまで空気だった森下備中、不慣れな大声で報告する。
「あっ……救援です!田原隊が我らの右側面に回りました!助かった!」
無言で備中を見た吉弘も、すぐに田原の幟旗に気がついたようだ。
鉄砲を数多く揃える田原隊が、混乱の中、態勢を立て直し、攻勢に転じてくれたのである。まとまった数の射撃は誰にとっても恐怖である。さすがの安芸勢も足を止めた。
「今だ、走れ!」
吉弘隊の半数が脱出を開始した。これに田北兄弟率いる綻び隠せない隊が続く。吉弘隊と田北隊の離脱を、田原隊が鉄砲を駆使しながら支援し、彼らもまた脱出に成功した。あとは最後衛を守る残り半数の吉弘隊だけである。
「殿、今です!我らも脱出しましょう!」
「田北様は!?」
「ご兄弟が脱出されました」
「それは見た!田北様がまだ来ていないぞ!」
「……」
「……」
「誰か、田北鑑生様を見た者は!」
「殿、あれを!」
叫んだ武士が指をさした先には、最後尾を離れて敵と戦い続ける田北の武士達が居た。そこでは僅か十数名が、孤軍奮闘している。老中筆頭田北も血刀を振るっている。その雄姿から、吉弘隊の面々は目を離すことができない。勇敢に、命を賭け、名誉に生きる。誰にとっても理想の武士団がそこにはいた。
一人、また一人と倒れていく。ついに、田北の旗持ちも倒れた。しんがりを自ら務めた田北の侍たちはただの一人も動かなくなった
「……」
「……殿」
「引くぞ」
「……はっ」
戦場ギリギリに残っていた吉弘隊半数も撤退する。田北隊の文字通り命がけの戦いによって、大友方の多くの武将が戦場を離脱できた。急場は凌げたのである。
吉弘はやや虚ろな目をしている。無理もないだろうが、備中は冷静に思いを巡らす。この隊中で為すべき事はもはや無い。急ぎこの事実を鑑連に伝えるべく、走り出した。頭の負傷の痛みがほとんど失せている事に、喜びながら。
「そうか」
「……」
「老中筆頭田北は帰ってこなかったか」
国家大友の家臣序列最高位の武士が、戦場に斃れたという一大事に、戸次鑑連は獣のような瞳をしてそう呟くのみであった。
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