更新毎 登場人物
【戸次鑑連】
統率:A 他愛:E 野望:∞
この物語の殿。大友血筋の武士。義鎮公治世開始時、三十代後半。義鎮公擁立立役者の一人。自分も主宰者の一人のはずの大友家の指導体制に愛想を尽かしている。何よりも己の栄達を追及する。傲慢、驕慢、武芸百般。
得物は小筒、鉄扇、愛刀千鳥
鑑連呼称:ワシ
【森下備中】
戦闘:E 他愛:B 妄想:A
鑑連に侍る悩める近習。妄想癖がある。祐筆や連絡将校としての活動が多い。他家の当主に良く漢惚れする。気弱。
鑑連呼称:殿、主人鑑連、悪鬼
【内田左衛門尉】
戦闘:C 自愛:A 自意識:S
近習筆頭。刀の腕が立ち、隊を率いる事も。備中への態度がキツイ。家中指折りの承認欲求の強さをバネに栄達を目指す。見栄っ張り。
鑑連呼称:殿
登場:第13衝-
【由布】
統率:S 他愛:B 陽気:D
戸次隊の侍大将筆頭格で屋台骨。常に冷静沈着で、鑑連の最も信頼する武将。基本備中への態度は親切。寡黙。
鑑連呼称:……殿
登場:第14衝-
【安東】
戸次隊の隊長。宝満山城の戦いで息子を失った後、天正年間に孫に家督を譲り隠居した。善良。
鑑連呼称:殿
登場:第21衝-隠居:第291衝
【十時】
戸次隊の隊長。特に弓の扱いに優れる。永禄年間の秋月勢との戦いで、主君鑑連を逃がすため奮闘し、討ち死にした。その後、まず弟、次いで次男が家督を相続した。誠実。
鑑連呼称:殿
登場:第14衝-死亡:第140衝
【戸次叔父】
鑑連の叔父。甥の才能を認め、一門の重鎮として鑑連を支える。鑑連に比べ二周り近く年長。秋月勢との戦いで、鑑連の命で夜須見山城のしんがりを担当し、激戦の中、討ち死にした。慎重。
鑑連呼称:殿、鑑連殿
登場:第14衝-死亡:第139衝
【戸次弟】
鑑連の弟。兄の才能を敬い、一門の重鎮として鑑連を支える。息子が兄鑑連の養子となって戸次家家督を継ぐ。秋月勢による夜須見山城夜襲時に戦死。臆病。
鑑連呼称:兄上
登場:第14衝-死亡:第137衝
【小野】
戸次隊の隊長。弘治年間の古処山は秋月攻めにて戦死。
登場:第21衝-死亡:第33衝
【小野甥】
統率:A 知謀:A 爽やか:S
義鎮公の近習。戦死した小野の甥。高橋討伐の際に使者兼目付として戸次隊に所属後、鑑連の直臣となる。国家大友の安寧を最重視する。弁舌爽やか。
鑑連呼称:戸次様→殿
登場:第113衝―
【薦野】
統率:A 知謀:A 野心:A
筑前の土豪。立花鑑載の反乱を期に鑑連に贔屓にされるお気に入り。如才ない。
鑑連呼称:戸次様→殿
登場:第156衝―
【角隈石宗】
いつのまにか現れた咒師。戸次家を足掛かりに大友家に入り込み、裕福になる。尊大かつ悪質な俗物で、周囲に天道のなんたるかを説く。吉利支丹宗隆盛とともに家中での権威を損ない、不利打開のため日向攻めに参加、あっけなく戦死した。
鑑連呼称:戸次様⇒鑑連殿⇒鑑連
登場:第5衝-死亡:第330衝
【増吟】
肥前の禅僧。再婚を望む鑑連に問註所御前を紹介、以後鑑連の外交僧を務める。備中から見なくても紛うことなき破戒僧。
鑑連呼称:戸次様
登場:第170衝―
【義鑑公】
大友家当主。豊後、筑後、肥後の守護。調整巧者で、つまり戸次鑑連以外を重用。何故か混乱が生じた府内にて、何故か殺害される。
登場:承前-死亡:第5衝
【入田丹後守】
義鑑公時代の老中筆頭。大友血筋の武士。府内の混乱時に娘婿の鑑連に攻められ縁戚の阿蘇家を頼り逃走するが、そこで命を失った。
登場:承前-死亡:第7衝
【元義弟殿】
滅ぼされた入田丹後守の嫡男。三十年に及ぶ追放を経て復帰を許され、筑前に赴任するが、鑑連にとことん冷遇され、義統公により豊後へ戻された。
登場:第377衝–
【朽網殿】
滅ぼされた入田丹後守の弟。大友血筋の武士。許された後、一門再興の為、義鎮公の下僕として働き晴れて老中に。その経緯から、鑑連とは不仲。
登場:第48衝―
【菊池殿】
義鑑公の弟で義鎮公の叔父。兄にも甥にも反逆の末、領国である肥後を喪失。豊後帰参に際して鑑連に暗殺された。
登場:承前-死亡:第21衝
【義鎮公】 または 【宗麟様】
義鑑後の大友家当主。後に筑前、豊前の守護、九州探題の職を京の将軍家との取引で取得。前線に出ない高貴な姿勢は父譲り。愛猿と友人関係を築くが、鑑連に始末され深い怨みを持つ。不甲斐ない老中衆を見て親政を志す。
鑑連呼称:伯耆、鑑連
登場:承前-
【佐伯紀伊守】
統率:B 善良:B 魅力:B
義鎮公擁立立役者の一人。肥後討伐戦当初の総大将。人生の数多い苦渋を一気飲みしたような顔をしている。後に豊後を追われるが、臼杵弟の手引で復帰し老中となる。日向攻めの主たる大将の一人を務めるが、耳川の戦いで戦死した。篤実。
鑑連呼称:戸次様
登場:第4衝-死亡:第330衝
【吉岡長増】
統率:D 外道:A 枯淡:A
義鎮公擁立立役者の一人。老中衆。義鎮公の第二次老中筆頭。大友血筋の武士。主家のため権謀の限りを尽くす。狡知に長ける反面前線の諸事には疎い。
鑑連呼称:鑑連殿⇌大嘘吐き⇌鑑連
登場:第5衝-死亡:第280衝
【柴田弟】
吉岡家家臣。門番。備中の顔なじみ。日向攻めで義鎮公の目に留まり、吉岡家衰退に伴って義鎮近習に大抜擢。吉利支丹。嶺能。
鑑連呼称:戸次様
登場:第23衝-
【門番兄】
吉岡家家臣。門番の兄。備中の顔なじみ。吉岡家衰退に伴い、反吉利支丹勢の間で台頭する。
登場:第76衝-
【一万田兄弟】
義鎮公擁立に賛同した有力者兄弟。なのに後日、反逆者として討伐され、討死した。大友血筋の武士。
【服部殿】
義鎮公擁立に賛同した有力者。なのに後日、反逆者として討伐され、討死した。大友血筋の武士。義鎮公御台所の最初の夫。
【小原遠江守】
義鎮公擁立に賛同した有力者。肥後討伐戦の功第一により、肥後守護代となる。なのに後日、反逆者として討伐され、討死した。
【高橋殿】
戦闘:A 忍耐:B 戦績:A
反逆した一万田兄弟の弟。大友血筋の武士。小原討伐の殊勲者。後に両筑における大友家の代理人に。筑前宝満山城を拠点とするが、大友家と事を構え大乱の元凶になるが勝ちきれず没落、安芸勢に保護される身となった。天正七年の攻勢で国家大友から豊前の領地を数多く奪い取るも、病死した。優雅。
鑑連呼称:戸次殿
登場:第24衝-死亡:第344衝
【橋爪殿】
戦闘:D 卑屈:B 悪運:A
滅ぼされた一万田兄の子。大友血筋の武士。許された後、一門再興の為、義鎮公の下僕として働く。その境遇からか善人であろうと奮闘している。鑑連とは決して不仲ではない。
登場:第24衝-
【立花殿】
統率:B 真面:S 伊達:A
筑前博多における大友家の代理人。大友血筋の武士。立花山城を拠点とし情報収集に長ける。義鎮公の謀略の犠牲で謀反の汚名を被った後高橋鑑種の反乱に同調してしまう。鑑連率いる討伐軍に敗れ、逃走の果てに自害。伊達者。実直。
鑑連呼称:戸次殿
登場:第39衝-死亡:第161衝
【立花倅】
父の滅亡後、大友家に配慮を示し、筑後を放浪する。その後、身の安全と引き換えに、鑑連に立花家家督を譲り渡した。
【田北鑑生】
義鎮公擁立を事後承知した有力者。義鎮公の第一次老中筆頭。豊前担当。大友血筋の武士。臼杵氏を重用。姉妹の一人は奈多家に嫁ぎ、田原民部を産んでいる。永禄年間は門司城の戦いで、味方の撤退を支援するため、美しく戦死した。高潔。
鑑連呼称:戸次殿
登場:第53衝-死亡:第66衝
【田北大和守】
老中田北の弟の一人。大友血筋の武士。一門の繁栄維持を願っている。兄弟仲は良好。兄戦死後は代わって田北家を率い、主に豊前方面で活躍。後に大友宗家より謀反を疑われ追討の末に殺害された。温厚。
鑑連呼称:戸次殿
登場:第53衝-死亡:第382衝
【田北刑部】
老中田北の弟の一人。大友血筋の武士。義鎮公の近習として働くが、本家の事も大切にしている。天正期に棚ぼた式に老中となり、日向攻めに参加、耳川の戦いで戦死した。短気。
鑑連呼称:戸次殿
登場:第52衝-死亡:第330衝
【臼杵兄】
鑑続。老中。筑前担当。大友血筋の武士。交渉に長けるが、門司を巡り主導した和睦を安芸勢に背反され、その対応の最中に倒れた。信義。
鑑連呼称:戸次殿
登場:第37衝-死亡:第51衝
【臼杵弟】
統率:D 根回:A 短気:A
鑑速。兄病死後、臼杵家を統率、直ちに老中に就任。大友血筋の武士。兄よりも諸事懐疑的。鑑連との関係は良好でない。第二次佐嘉攻めの失敗に際して、鑑連との力関係が逆転、失意の中病没した。怜悧。
鑑連呼称:戸次殿
登場:第57衝-第294衝
【臼杵弟の弟】
統率:D 根回:A 執念:A
鎮続。兄である臼杵弟に従い、博多や志摩郡柑子岳城一円を管理するなど筑前で活動。弟の死後、義鎮公を動かしてその敵を討ち、以後柑子岳城城主となるが、鑑連との関係は険悪である。日向攻めに参加し、耳川の戦いで戦死した。
登場:第214衝-第330衝
【臼杵弟の弟の弟】
鎮氏。義鎮公の近習の一人。主君の命で安芸勢から立花山城を守るが降伏。その後、柑子岳城主となる。原田勢を襲撃するも逆撃され、惨めな最期を迎えた。
【田原常陸介】
統率:A 水軍:B 忍耐:A
親宏。大友血筋の武士。豊前方面の最大の大物。門司攻めでは良い所がなかったが、撤退時に大功を上げ、老中に就任。不仲の田原民部との競合に敗れ老中を退く。耳川の敗戦後、勢力挽回に乗り出すが、志半ばで病没した。颯爽。
鑑連呼称:戸次殿
登場:第42衝―第363衝
【田原武士】
如法寺。田原本家の家老。田原常陸の軍勢が田原民部指揮へと合法的に移動した折それに従うが、主君常陸介への忠誠心を強く持つ。
【田原右馬頭】
親貫。豊前馬ヶ岳城主の子。戦敗れて人質になった後、馬が合った田原常陸により養子に迎えられる。養父の死後、田原本家を継承するが、大友宗家からの攻撃に晒される。
登場:第111衝―第391衝
【田原民部】
親賢。義鎮公の義兄その二。奈多大宮司家出身。養子縁組により田原分家を相続し、門司戦でも活躍。出世街道を爆進するが、耳川の敗戦により失脚。分け隔てある性格。
鑑連呼称:戸次様⇒戸次殿
登場:第67衝―
【吉弘伊予守】または【左近】
統率:C 寵愛:A 幸運:A
義鎮公の義兄その一。大友血筋の武士。義鎮の寵愛を受ける申次。吉岡に目をかけられ、門司戦では副将、次いで大将を務める。第二次佐嘉攻めの後、筑前にて病死。地味。
鑑連呼称:戸次様→戸次殿
登場:第32衝―死亡:第255衝
【吉弘倅】または【嫡男】
鎮信。吉弘の嫡男。父が鑑連に凌辱される様を幾度も目撃するが、病床の父を救うため、鑑連の軍門に下る。その後功績を得て立花山城城主へ。結果として出世の後押となった鑑連に好意を持っている。日向攻めに参加し、耳川の戦いで戦死した。
鑑連呼称:戸次様
登場:第18衝-第330衝
【吉弘次男】
鎮理。吉弘の次男。義鎮公の命で高橋殿追放後の高橋家を相続し、天正七年以後の戦乱を鑑連と共に戦う。また、兄死後の吉弘一門の保護者でもある。物静か。
鑑連呼称:戸次様
登場:第211衝-
【統虎】
吉弘次男の嫡男。鑑連の婿養子となり、立花家督を継承する。
登場:第406衝-
【斎藤殿】
斎藤家は父の代で老中となるが府内の混乱時に没落。以後、義鎮の近習となる。吉弘と親しくその軍事活動に従っている。筑紫勢撃破時に、婚姻で筑肥に勢力を扶植した。日向攻めに参加し、耳川の戦いで戦死した。
【大津留殿】
義鎮の近習の一人。主君の名で、鑑連管轄下の筑前鷲ヶ岳城城主となる。原田勢による臼杵鎮氏殺戮を見過ごすヘマの後、鑑連に服従する。遊び人。天正九年には筑紫勢に城を奪われ面目を失った。
【親貞公】
義鎮公の義弟という触れ込みで突如出現した御一門。菊池殿の縁者。佐嘉攻めの義鎮公代理を務める。奇襲とそれに伴う混乱により、今山の陣にて戦死した。
登場:第230衝-第240衝
【義統公】
義鎮公の嫡男。父にとっての良き息子である。耳川後、吉利支丹宗門に幻滅し、国家大友を救うため、父が冷遇した鑑連を逆に厚遇する。善良。
登場:第221衝-
【親家公】または【セバスシォン】
義鎮公の次男。兄と不仲であり、吉利支丹宗門を背景に勢力の拡大を目指す。霊名セバスシォンを名乗る。不敵。
登場:第286衝-
【志賀安房守】または【前安房守】
義鎮公擁立に賛同した有力者。大友血筋の武士。小原滅亡後、肥後の運営を引き継ぐ。地味に老中を務めた。女遊びの達人。吉岡から変態と評される。
登場:第97衝-
【志賀安房守】
前安房守の子。蒲柳の質を装う父の命で門司戦に参加の後、父に代わり老中および肥後担当を務め、出兵の際は肥後勢を率いる。義統公の勘気により失脚した。
登場:第56衝-
【志賀パウロ】
安房守の子。熱烈な切支丹門徒。
登場:第456衝-
⚡︎以下、豊後勢に非ず。
・肥後衆・阿蘇勢
【荒くれ】
肥後御船城主。阿蘇家臣で筆頭家老。鑑連の肥後攻めの際、阿蘇家が派遣してきた水先案内人で甲斐親直と名乗る。口が悪い。耳川後、独特の外交方針により阿蘇家を主導する。天正十一年没。
【甲斐相模守】
甲斐親直の子。阿蘇家臣にて家老の一人。耳川後天正七年の危機に際して、大友方として筑前に入り、鑑連の戦略に協力。父の死後、筆頭家老の地位を継承した。
登場:第350衝-
・筑前衆・秋月勢
【秋月殿】
旧大内家臣。古処山城主。大友家に反逆した廉で鑑連に攻められ、嫡男とともに自害して果てた。
【秋月次男坊】
古処山城主の子。種実。安芸勢の後援で復帰後、高橋殿と協力して大友家に立ち向かう。夜須見山の戦いで、戸次鑑連に初めて黒星をつける快挙を遂げ、一役名声を博す。その後も筑前の反大友勢の指導者として国家大友に敵対を続ける。
登場:第109衝-
・筑前衆・宗像勢
【宗像鎮氏】
豊後へ亡命中の宗像一族。氏貞討伐戦で一度返り咲くが、安芸勢に追い払われ、行方不明に。彼の帰国を豊後の衆はいつまでも待ちわびている。
【宗像掃部】
豊後へ亡命中の宗像一族。帰らぬ父を待つ間、義統の近習として国家大友において立身。筑後奪還作戦に参加する。
登場:第457衝-
【宗像氏貞】
幼くして宗像大宮司となった苦労人。大友家に反逆した廉で、鑑連に攻められるが河津の献身で生き延びた。妹を鑑連の側室に差し出した後、その筑前支配に協力するが家来の暴発を期に再度敵対する。
登場:第39衝-
【河津】
旧大内家臣。宗像の協力者。戸次隊を亀山城で釘付けにした功労者。薦野隊の宗像領内への進攻を防ぐ。大友家と宗像家の和睦の証として、身内に殺され、その首は豊後臼杵へ送られた。
・筑前衆・麻生勢
【麻生隆家】
旧大内家臣。大友家に反逆した廉で、鑑連に攻められ、居城花尾城を追われ以後も苦労するが競争者を倒し、旧領に復帰する。
・筑前衆・原田勢
【原田隆種】
旧大内家臣。怡土・志摩両郡を巡り、送り込まれた臼杵家と長年に渡り争いを繰り広げる。臼杵弟の弟の調略で息子を失い、復讐を誓う。
登場:第119衝-
・筑前衆・大友方
【小田部殿】
荒平山城主。早良郡の領主で、大友家が筑前に進出した頃から忠誠を誓っている。長年協力してきた臼杵家と親しい。天正七年の危機において、佐嘉勢に城を攻められ戦死した。
登場:第288衝-死亡:第362衝
・筑後衆・問註所勢
【問註所先代】
長岩城城主。大友方として筑紫勢と戦い、命を落とした。鑑連の再婚相手の父親。
【問註所殿】
筑後長岩城城主。妹が鑑連と再婚したため鑑連の義兄となる。国家大友の為に忠節を尽くし、佐嘉勢に抵抗。筑後奪還作戦で鑑連の幕僚として全面協力する中、秋月・星野勢に居城を襲われ戦死した。妹思い。
登場:第170衝-逝去:第471衝
・安芸勢・毛利勢
【毛利元就】
平気で約束を破れる言わずとも知れた安芸勢の大頭領。彼が筑前を巡る戦役の、鑑連の真の相手である。嫡男の死後、筑前豊前を問わず、狂気の如く謀略を仕掛ける。
登場:第38衝-死亡:第258衝
【毛利隆元】
元就の嫡男。門司の戦いでは安芸勢の大将を担当。彼の死により、豊芸の戦争の前半戦は収束に向かう。父親がそれほどまでに息子の死を嘆いたためである。
登場:第38衝-死亡:第95衝
【小早川】
他家へ養子に行った元就の子。門司や多々良川の戦いで幾度も鑑連と直接戦っているように、最前線の将を務める。
登場:第57衝-
・肥前衆・佐嘉勢
【龍造寺山城守】
佐嘉勢の頭領。反大友勢の討伐を買って出ることで、肥前・筑前両国で勢力を拡大。その後、義鎮公主導の討伐を受けるが切り抜ける。鑑連には馬を贈っている。肥前島原における薩摩勢との戦いで戦死することで、佐嘉勢の快進撃は終わりを迎えた。
登場:第184衝-死亡:第443衝
【筑紫殿】
勝尾城城主。父親の戦死後、国家大友に降伏し、保証として斎藤殿の娘を正室に迎えた。その妻を通して吉弘次男とは義兄弟の関係にある。
・筑後衆・その他
【椿原殿】
高牟礼城城主。上妻郡黒木氏の家臣。天正十二年からの筑後戦役で、鑑連の調略により国家大友に属す。
・上方勢
【織田弾正】
尾張の大名。都から西の安芸勢を攻める地理的条件から、国家大友の同盟者となる。義鎮公とは個人的にも親しく、苦境の国家大友にとって期待の救済者となる。
【羽柴筑前守】
織田家家臣。都から西の安芸勢を攻めた主将。信長没後、勢力を急拡大させ、苦境の国家大友にとって期待の救済者となる。
#以下、鑑連に関わってしまった女たち。
【入田の方】
鑑連の正室。入田丹後守の娘だが、時の大友家督義鑑ないし父丹後守が鑑連を重用しなかったため怨まれ、また嫡男を産まなかった。義鑑および父の死後は反逆者の娘の汚名を受け、鑑連にとって用済みどころか邪魔者になり、離縁され豊後を追放された。以後、同じく追放された兄を頼った。
【問註所御前】
鑑連の継室。筑後の土豪、問註所鑑種の娘。婚家安武氏から離縁され、増吟の斡旋で鑑連に嫁いだ。先夫との間の子らとその他の子を含め、鑑連に三人の子供を恵む。
【誾千代】
鑑連齢五十代にして得た筑後生まれの娘。母は問註所御前。鑑連軍団の相続人として、数多くの武士達から嫁御の渇望を受け、高慢な性格に育つ。立花家督継承後は通称御前。
登場:第201衝-
【大宮司妹】
宗像氏貞の妹で、国家大友への人質も兼ねた鑑連の側室となり、鑑連と兄氏貞の間を繋ぐ。天正九年の両家紛争以後も戸次家に属するが、天正十二年に病死した。鑑連との間に子は無い。
登場:第259衝-逝去:第442衝
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