天文年間(〜1555)
対 義鑑公
第1衝 天文の鑑連
戸次鑑連
戸次家当主、強気、短気、固虚栄、貪欲
森下備中
鑑連の家来、苦労性
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「おい備中、帰ったぞ」
「殿、お帰りなさいませ」
不機嫌丸出しで館にあがる壮年の男。
「……」
男は府内(現大分市)から戻った後、ずっと無言である。そして森下備中にはその理由がワカっている。近年、主家の覚えが良くないため、面白くないのだ。
「……」
家中の者たちも主人の不機嫌を目の当たりにし、腫れ物を触るかのよう。出迎えていた夫人に一瞥もせずに庭へ去っていく主人に、備中はついていく。
池の鯉に餌をぶちまける鑑連。備中はすかさず大量の餌の乗った笊を用意する。それを横目で見やった鑑連、両手で掴みかかるや修羅の表情で連投する。掴んでは投げ、掴んでは投げる。
そんなに餌を投げ入れたら水が淀んで鯉が死んでしまうかもしれませんぞ、とは恐ろしくて口が裂けても言えない備中である。その手の理想的な主従関係ではないのだ。片膝をつき、笊を持ち上げながらも、視線は降ろさねばならない。礼儀の面からよりも、恐ろしいからだ。
森下備中気配で主人の顔色を伺っていると、怒鳴り声は上がりそうで上がらない。落ちる寸前で空で轟く雷の如く。その誇りが寸でのところで激発を許さないようだ。これでは殿、府内の賑わいはいかがでしたか、などとても聞けない。
鯉虐待に飽きた鑑連。数日の間、イヌの様にゴロゴロしていたが、ふと思い立ったのか、備中を呼びつける。
「おい備中、別府へ行くぞ。ついてこい」
「はっ、急ぎ近習衆に召集をかけます」
「たわけ、貴様だけでいいんだ」
日を通して馬を走らせて別府へ。そして温泉へ。男二人きりで湯に浸かる。衆道全盛の世とはいえ、主人にその気配は無い。といって安心して湯に浸かっていられる訳では全く無い。この主人を前に、気が落ち着く事などないのだ。次、どの様な無理難題が口から出てくるか、考えるだけで胃が痛み出す備中である。
「おかしいな……そろそろかと思ったが……」
「何か調べて参りますか」
「黙って湯に浸かっていろ」
「はっ」
怒鳴られてまた胃が痛む。鑑連は湯から動かない。日が暮れても動かない。それでいて、おかしいな、まだかな、どうしたもんか、と首をひねり続けるだけ。付き合うしかない備中。すると日は完全に沈み、無言のまま暗闇で二人きり。そして夜が明けた。
ふと眠ってしまった備中は急いで身を正す。目の焦点を急いで合わせると、そこには美しい日の出が開けていた。
「おお、なんという……素晴らしい日の出だ」
気がつけば湯が波立っていた。背筋が寒くなった備中が後ろを振り返ると、なにやらガクガク震えている主人がいる。湯が揺れ、溢れる程に。
「殿!」
差し込みだろうか。だが鑑連は備中を振り返らない。ひたすらに入湯したときと同じ方向を向いたまま、震え続けていた。震えは強さを増し、湯飛沫が備中の顔にかかる。
「お気を確かに!殿!」
見かねた備中、震える主人の体を押さえる。何が何だかワカらない。何かが憑いたのだとしたらこの森下備中、身を犠牲にしても……瞬間、備中の体がグルンと一回転し、湯に沈んだ。
「なんだ、気色悪いわ!」
主人の咆哮が湯の下にでも響いてくる。体落としを受け、ぶはっと顔を出した備中は言い訳をしようとするが、鑑連はそれを聞く風もなく、
「帰るぞ」
と一言。暴虐ぶりに呆然とする備中を気に留めず、朝日に向かって元気にシコを踏み始めた。鑑連を見て、
「気難しいなあ」
と口には出さずに口にする森下備中であった。
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