第2衝 小筒の鑑連
「備中はどこか!」
「はっ、殿!お呼びにございますか」
今日はご機嫌な主人を見て、常より嫌な予感に嫌な汗をかく森下備中。もう夜中だというのに真っ赤な口腔を全開に鑑連は叫ぶ。
「若殿からお呼び出しだ!」
「若殿でございますか」
「そうだ!一体何の用かな、クックックッ」
「すぐにお支度をいたします。夜が明け次第、近習衆に召集の者を」
「やかましい!」
いきなりの鑑連の踏み付けが、備中の後頭部を襲う。
「ぐわっ」
「お前だけで良いんだ、怒鳴られたくなければすぐに支度しろ」
「はい、はい」
馬に連鞭叩き込み、夜の豊後道を急ぐ鑑連主従。府内には向かわず、というよりも避けつつ、別府(現別府市)へ向かっている。もう何度目かの別府温泉行きだったか思い出せない、堪え難い眠さに苦しむ備中だが、遅れぬよう馬に鞭をくれねばならぬ。別府に何があるというのだろうか、の如き思考は苦しくなるだけ。考えるのをやめた備中、とりあえず付いていけば何かが起こるのだろうとする。
果たしてその通りになった。温泉には先客がいたからである。若殿、すなわち大友家の御曹司たる五郎義鎮その人である。驚愕の森下備中。
鑑連主君を認めるや脇差を備中へ押し付けて、ドスの効いた声を震わせる。
「ちゃんと見張っていろよ。今日眠ったら沈めるからな」
やっぱりバレていた。恐怖に慄いた備中は気合を入れる。背後で主人と大友家の御曹司が何やら語らう気配が伝わるが、波の音のため何を話しているかまではワカらない。だが、どう考えても真っ当な話ではない空気だ。
「御曹司は大殿や老中衆の覚えがよろしくないし……」
備中はビクッとした。それは自分の声であった。思わず漏れた声なき声が風に乗り波音を抜けたのか、鑑連が怖い声を出す。
「森下備中。何か言ったか」
「はっ、不審な気配なし、と!」
「そうかそうか、それならいいんだ」
「御意!」
背筋が一気に凍りついた備中だが、両者が何の為ここにいるのかを考え始めるや、チリチリ凍る様な寒さを感じた。思えば二人とも家中の鼻摘み者である。もしやご謀反の……
「おい備中。何か聞こえたぞ」
恐怖の声が後ろから走る。すぐに弁解する森下備中であったが、
「馬鹿者。曲者がいるのではないか」
「えっ」
振り返った備中は、小さい筒を自分に向けた鑑連を見る。恐ろしい事に、どこからか火花が散っている。
「殿、あの、それはもしや」
備中が何事か言おうとした瞬間、巨大な音が響いた。と同時に、備中の股間を何かが凄まじい速さで通過していった。
轟音ののち静寂が訪れ、若殿が事も無げに言う。
「見事也」
「いやいやあ、それほどでも」
備中がまた後ろを振り返ると、何者かが倒れていた。頭に穴が開いて血が溢れていたため、驚いて腰を抜かした備中を尻目に、いつの間にか湯から出た鑑連は股間を揺らしながら改めを始める。
「こやつは我が義兄の手の者ですな」
「ふん、やはりそうか。そうではないかと思ったよ」
「相手の出方はこれで決まったようなもの。若殿、この死体は私におまかせください。全ては手はずのままに……」
「うむ!鑑連よ、わしはそちを頼りにしているぞよ」
そう鑑連の肩をがっしり叩き気合を交換すると、若殿義鎮は湯から上がり、手早く身支度をすると何処から現れた数名の家来とともに去っていった。
「一体なんだったんだ……」
「こら備中、何をぼけっと突っ立っとる」
雷声が来た。弾かれた様に後ろを振り向いた備中に鑑連は呆れた様に言い放つ。
「ほら千鳥を寄越せ。首を落とす」
「ええっ!殿!どうぞお許しを……」
鑑連、さらに呆れて曰く、
「お前じゃないわ。こやつだ。死体の首をはねるのだ」
「ああ、左様で……」
ほっと一息漏らし安心する備中。主人鑑連の愛刀千鳥を渡すと、鑑連は得物を鋭く一閃する。
「備中、その首を包め」
「……つ、包むものがありません」
「備中、貴様の服がなんのためにあるのか、考えたことはあるか」
「……」
そんな、殺生な、などとは絶対に言えない主従関係の中にいる備中は無言で服を脱ぐ。速くせんか、と無言の行を背に感じ、仕方なく自分の服に、その生首を包んだ。鑑連は満足気に、
「よろしい。この死体は捨てておけ。行くぞ」
「で、ですが殿。この死体が入田家の筋の者ならば隠さねばなりますまい」
入田とは、時の大殿寵愛の近習筆頭の事である。
「ククク、そうだな。この死体が本当に入田の筋のものであれば、そうだろうよ。さっ、帰るぞ。今日はよく眠れそうだ」
「と、殿」
急ぎ馬に乗り、後を追う森下備中の背中には苦労の色が刻まれていた。温泉に浸かったくらいではどうにもならない、心労の影が。
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