第2話 苻堅から漂うヤバさに俺は嫌な予感をおぼえた


「面を上げよ」


 朗々とした声で、俺に呼び掛ける苻堅ふけん


 顔を上げると、壇上の玉座にゃガキ、って呼んでも良さそうな男が冠を被ってる。


「燕より亡命してきました、慕容垂ぼようすいって言います」


「知っている。ぼくが知りたいのは、なんでウチに来たか、だ」


「叔父貴に殺されそうになったからです」


 苻堅についての話は、いろいろ耳にしてる。


 こいつは、家族との血みどろの争いの末、玉座に登ってる。

 だから、そこにつけ込むことにした。


「ふむ。慕容評ぼようひょうの評判は聞いている。それなりの男だ、と聞いていたが、おまえほどの男をみすみす手放すとはな」


 ほら見ろ。


 何かくすぐったそうにしてやがる。家族に裏切られた奴が自分を頼ってきた、なんて、アイツにとっちやこれ以上ないご褒美なんだろう。


「ふ、苻堅さま!」


 俺を取り囲んでる配下どもの中から、ひとりが慌てくった顔で飛び出てきた。


「まさか、この男を飼うと仰るのではありますまいな!?」


「だとすれば、どうなのだ?」


 そいつがちらりと俺のほうを見た。軽蔑と、あとは怯え、か。

 おーおー、俺の武名、思ったより周りに知られてるらしい。


「燕将としてこの男は、部下たちからの支持も絶大でした! 一将軍に到底収まらぬほどの武勇、才覚を兼ね備えたこの男、みすみす誰かの配下に収まる器とは到底思えません! 慕容評もそれを恐れ、この男を殺そうとしたのでしょう! 悪いことは言いません、速やかに殺してしまうべきです!」


 うわー、本人の前でそれ言うかよ。いや正確な判断だとは思うけどさ。


 よーし、顔は覚えたからな。あとで覚えてろよ?


 で、そいつを受けての苻堅のリアクションは激怒、だった。マジか。


「なぜおまえたちの考えには、そうも義の心がないのだ! 慕容垂はぼくに義を見、頼ってきた! ならばぼくが受け入れるのは当然だろう! 殺せ、だと? おまえたちは、窓から迷い込んだ小鳥をこれ幸いと焼き鳥にする外道なのか!?」


 ……えー。


 思わず配下どもを見た。

 呆れる、怒る、とかじゃない。戸惑ってる。いや正直、俺だって殺されるのは覚悟の上だった訳だがよ。


 苻堅を見る。


 ドヤってやがる。どいつも斜め上の反論に戸惑ってるだけだろうに、どうやら完全論破したつもりでいるつもりらしい。


 ……大丈夫か、こいつ?


 おほん、さっき苻堅に噛みついた配下が、真っ先に気を取り直した。


「天王の徳深きご配慮、愚かなる我々では到底想像もつきませんでした」


 すげえ。こんな皮肉の叩き付け方があるんだ。今度俺も使ってみよう。ただ苻堅にゃまったく通じてなさそうだが。


「しかしながら、この者が本当にえんを裏切ったかどうかは分かりません。スパイとして紛れ込もうとしている恐れもあります」


 ごもっとも。

 苻堅も、むっとこそしたが、反論はしなかった。わきまえるとこはわきまえてるらしい。


「ゆえに、苻堅さま。この者を現在進めている、燕討伐の先鋒に加えるよう提案いたします。そして、裏切りの気配があれば、後ろから射殺すことをお許し下さい」


 その発言に、苻堅が驚きと悲しみとを浮かべた。


「何を言うか! おまえは慕容垂に、血族と戦えというのか!」


「他ならぬ、苻堅さまの歩まれた道でもあります。家族との情愛と、天下太平のための犠牲。どちらがより重要であるか、まさか苻堅さまが見誤るとも思われませんが」


 まったく譲ろうとしない配下の発言にやり込められ、苻堅は、おそるおそる俺のほうを見てきた。


 ……えーと、なんだこれ。どうリアクションすればいいんだ?


 もともと燕をぶっ倒したいから、苻堅のところに来たんだ。

 じゃあこれからどうやって使ってもらおうか、っていろいろ考えてたのに、そいつが全部パーになった。

 いや、楽だしいいんだけどよ。


 そうだな、こりゃいったん、迷ったフリした方がいいんだろう。


 頑張って眉間にしわを寄せて、頭を下げる。


「ここに来た以上、命令に逆らう気はないです。信じてもらえるよう、全力を尽くします」


 上手く言えたかな。正直、笑いをこらえんのに必死だった。


 にしても、苻堅にずけずけものを言って来てるアイツはヤベえな。ちょっとでも油断したら、すぐに俺を殺しに来そうだ。


 苻堅がため息をつく。


「とのことだ、王猛おうもう。この件は、おまえに任せる」


 王猛、ね。


 覚えとくぜ。





 王猛の下で、一部将として燕を攻める。はっきり言っちまえば、楽勝、だった。


 何せ、もともとは住み慣れた地だ。加えてこの国の守りは、俺と兄貴で作り上げたようなもんだ。中央にいることの多かった叔父貴が、ちょっとやそっとでいじれるもんでもない。


 守りの隙を突き、あっという間に燕の首都にまで押し寄せれば、叔父貴はとっとと逃げ出したって言う。


「追うか、慕容垂?」


「適当でいいんじゃねえの。あいつひとりで何ができるわけでもなし。追っ手を放って、殺せりゃそれでよし。追い払えたんならそれでよし。あとはここを、王猛さん。アンタががっちり治めりゃいい」


 この圧勝は予想通りじゃあった。が、それでも肩透かしを食らわされた感じはする。


 軍のトップに逃げ出されりゃ、残された皇帝にできることなんてたがが知れてる。


 無条件降伏。城門を開けて出てきた燕の皇帝、つまり俺の甥っ子、慕容暐ぼよういは、死に装束を身にまとい、俺らの顔を見ると土下座してきた。


「私の首を差し出します。どうか、国民は殺さぬようお願いします」


 へえ、と甥っ子を見直す。


 前の皇帝は、かく兄貴のさらに兄貴、慕容儁ぼようしゅん。先帝が死んだとき、慕容暐はまだまともにしゃべれもしないガキンチョだった。

 だからこそ兄貴と、叔父貴の支えが必要だった。


 俺は外で戦うことが多かった、っつーか儁兄貴にも嫌われてたからあんまり都に近付かなかったし、皇帝になったあとの暐のこと、よく知らずにいた。


 それが、どうだ。いっぱしのボスとして、首を差し出してきてる。

 この堂々とした振る舞い、叔父貴に見せてやりたいもんだね。


 王猛が俺の肩を叩いてきた。

 へいへい、分かってますよ。イダイなる苻堅サマの手先として、せいぜいかわいい甥っ子を安心させてやるさ。


「土下座はナシだ、暐」


 できるだけ、気軽な口調で話し掛ける。


「苻堅サマの願いは、征服じゃない。団結だ。ひととひと、くにとくにとが手を取り合い、平和を目指す。そのためにも、今は戦いって手段を取らざるを得ないわけだが」


 言っててさぶいぼが立ちそうだ。そんなお題目で、殺された奴が納得するかよ。


 後ろで王猛の奴がニヤニヤしてんのが分かる。

 あいつも、我らが天王さまのお題目にゃ常々呆れてるくちだ。

 あんま奴との仲はいいわけじゃないが、こと苻堅サマの理想とやらについちゃ見事に意見が一致してる。


 慕容暐が顔を上げた。戸惑いはあるが、それよりも大きいのは、安堵だった。


 そりゃそうだ、いくら覚悟決めたからって、わざわざ死にたい奴なんかいない。


「お、叔父上」


「おまえは、俺らの旗頭だ。慕容評ぼようひょうのクソがいなくなった以上、俺がおまえに従わない理由はない。だから、“閣下”。天王の号令の元、この俺を、思う存分、使ってやってくれればいい」


 降伏さえしてくれりゃ、暐にも将軍としての地位を確約する。そいつが苻堅の提案だった。

 ちなみに王猛の奴が「ほんとにやめて下さい、そう言うこと」って半ギレで言ってた。聞く耳持とうともしてなかったが。


 だんだん状況を掴めてきたみたいだ。暐の目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。あらためて土下座する。


「覚つかぬ身ではありますが、苻堅さまの剣となり、盾となり、戦います!」


 こうして、燕の国は滅んだ。


 叔父貴についちゃ取り逃がしたが、もうあんな奴のことはどうでもいい。


 思いもよらず、俺が育ててきた兵たちとも再会できたんだ。これ以上ないご褒美ってもんだ。

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