ジャックオーランタンの殺人 ②
須藤涼風と三浦良夫の二人は竹田署内にある遺体安置所を訪れる。この場所に降石蘭の遺体が安置されていた。
須藤涼風が遺体安置所のドアを開くと、部屋の中では黒いスーツを着た黒髪のスポーツ刈りの男が遺体に寄りかかりながら涙を浮かべていた。
須藤涼風は一呼吸置き、泣きじゃくる男に声をかける。
「大分県警捜査一課の須藤涼風です。降石蘭さんのご家族の方ですね。ご足労ありがとうございます」
「刑事さん。この顔は間違いなく蘭だった。彼女は俺の妻だった。結婚して一年しか経っていないのに。どうしてこんなことになったのか分からない」
須藤涼風は無情な言葉を被害者の夫に告げる。
「大切な人を失って悲しいのは分かります。しかし、我々警察は一刻も早く真実を明らかにしなければなりません。遺体確認が終わったのなら、別室でお話を伺ってもよろしいですか?」
被害者の夫は暗い顔をして、遺体安置所から出ていく。
須藤涼風が被害者の夫に続き遺体安置所を出ていこうとすると、三浦が彼女に声をかけた。
「あの対応は酷いと思います。あの人は大切な人を失って数時間しか経過していないんですよ。それなのに遺体を確認したら、突き放すなんて。酷いですよ。別室じゃなくても、ここで話しを伺えばよかったのではありませんか」
熱が籠るような三浦の言葉を聞き須藤は冷静に言葉を返す。
「聞こえませんでしたか? 我々警察は一刻も早く真実を明らかにしなければなりません。その間に司法解剖が行われ、数日後には遺体があの人の元に送り届けられる。それから普通の葬式が行われることでしょう。真実を明らかにしなければ、あの人を救うことはできません」
三浦は須藤の正論に言い返すことができなかった。
それから二人は遺体安置所を出ていく。部屋の外に設置された横長な椅子に被害者の夫が座っている。三浦は自動販売機で缶コーヒーを買い、それを被害者の夫に渡す。
「これを飲んで落ち着いてください」
被害者の夫は缶コーヒーのプルタブを開け、一口だけコーヒーを飲む。すると被害者の夫は多少落ち着いた。
須藤涼風は早速被害者の夫の前に立ち、尋ねた。
「まずはお名前を伺います」
「
「
三浦が健に聞くと、彼は財布から一枚の名刺を取り出し、三浦に見せた。
「虎倉学習会っていう塾を経営している。そういえば昨日は虎倉銀三が主催するハロウィン仮装パーティーの打ち合わせに行くって言っていたな」
「次に降石蘭さんを恨んでいる人間に心当たりはありますか?」
須藤が聞くと、健は顎に手を置く。
「ストーカー。三年前だったかな。蘭は俺と一緒に別府市内を観光中、ストーカーに襲われた。彼女を襲った犯人は現在も逃亡中。それから彼女は護身用にナイフを持ち歩くようになった。もちろんそのナイフには俺の指紋も付着している」
「それならば、毛髪と指紋を採取したいですね」
「構わない」
三浦はスマートフォンを取り出し、鑑識を呼ぶ。その間、須藤涼風は健に質問をぶつける。
「午前四時三十分から午後五時の間、どこで何をしていましたか?」
「寝ていた。証人はいない」
「では、あなたは煙草を吸いますか?」
「吸わないな」
その答えを聞き、須藤涼風が手を叩く。
「もう一つ忘れていました。写真を撮影してもよろしいですか」
「いいぜ」
須藤が被害者の夫の写真を撮影すると、鑑識が二人の元を駆けつけた。
鑑識は、これから被害者の夫の毛髪と指紋を採取する。
鑑識作業が終わると二人は降石健を見送る。彼の後姿を見ながら三浦が須藤に聞く。
「これからどうしますか?」
「三年前被害者を襲ったストーカー。気になりませんか? 捜査本部に設置されたパソコンから警察庁のデータベースにアクセスできます。調べてみる価値があると思います」
二人は捜査本部に行き、ノートパソコンを立ち上げる。それからパスワードを入力して、警察庁のデータベースにアクセスする。
須藤涼風が三年前と別府市という条件を撃ち込み、検索すると、その事件の捜査資料がモニターに表示された。
三年前別府市内観光していた旧姓石川蘭は、バッドを持った突然現れた男に襲われた。行動を共にしていた降石健の妨害によって、犯人は逃亡。犯人の顔はマスクやスキー用のゴーグルで隠れていて分からなかったが、大柄な男であることは分かった。被害者の証言や、被害者を付け回していたという同僚の証言によって武田運輸に勤務していた被害者の上司大神士が疑われる。しかし証拠不十分によって釈放され、事件は迷宮入りした。
事件の概要を知った三浦が呟く。
「大神士。ストーカー容疑を掛けられた被害者の元上司。気になりますね。須藤警部」
三浦が須藤の顔を見る。須藤涼風は頬に手を当てて、何かを考えている。
「三年前の事件について調べてみましょう」
須藤涼風が唐突に三浦に話しかけ、二人は捜査本部に向かい歩き出す。
須藤涼風がパソコンをシャットダウンさせると、鑑識課の西田が須藤涼風に歩み寄る。
「須藤警部。面白いことが分かりました。先程採取した降石健の指紋とナイフに付着した指紋が一致しました。それだけではなく、現場から逃げ去る不審な人影が落とした星形のペンダントから採取された指紋と降石健の指紋が一致しました」
「それは本当ですか?」
須藤涼風が聞き返すと、西田が首を縦に振る。
「間違いありません。公園の防犯カメラの映像にも彼の姿が映っていました。遺体発見当時現場から逃げた不審な人影は、降石健ということでしょう」
「被害者の所持品にはスマートフォンがなかったでしょう」
須藤が西田に確認すると、西田は鑑識の報告書を捲る。
「そうですね。現場からは被害者のスマートフォンが発見されませんでした。遺体発見現場から発見されたという報告は受けていません
「煙草の吸殻の鑑定は終わっていますか」
「銘柄はジャッコ・フライデー。一箱五千円する高級品で、一部のマニアの間で流行っています」
報告を受けた須藤涼風と三浦良夫は鑑識の部屋を出ていく。三浦は警察署の廊下を歩きながら、須藤警部に聞く。
「須藤警部。もう一度降石健を聴取しましょう」
「言われなくても、そのつもりだから」
女刑事はスマートフォンを取り出した。三浦は、須藤のスマホの壁紙を目にして、自らの目を疑った。壁紙として設定されていたのは、両頬の雀斑がある顔に黒縁眼鏡をかけたデブ男と須藤涼風が一緒に映っている写真。背景はどこかの砂浜のようで、写真の中の涼風は今の冷たい雰囲気ではなく、真逆の明るい雰囲気で、笑顔を見せているのだった。
思わず壁紙を凝視した三浦の口から、笑い声が零れる。
「どうしましたか?」
大分県警の女刑事が尋ねると、三浦はニヤニヤと笑う。
「須藤警部のスマホの壁紙……」
所轄署の刑事の声でようやく笑いの理由に気が付いた涼風は、頬を赤く染め、咳払いする。
「あっ、あの写真は、修ちゃんとふざけて撮っただけ……です」
三浦は違和感を覚えた。今までの須藤涼風という女刑事は、冷静沈着で感情をあまり表に出さない感じだったのだが、今の三浦は全く別の印象を受けている。
「まさか、須藤警部……」
三浦は小声で呟き、電話を掛ける温根刑事の顔を見つめた。
彼女は部下の刑事に一言確認すると、御礼を述べる。
「そうですか。ありがとうございます」
須藤は電話を切り、隣を歩く三浦に電話の内容を伝える。
「降石健は自宅に戻ったそうですよ」
「尾行ですか?」
須藤は三浦の問を聞き、あっさりと答える。
「容疑者の動向を監視するのも、警察の仕事でしょう。事情聴取が終わった容疑者の尾行と張り込みは常識です」
「降石健は容疑者ではありません。あの涙は演技ではありませんよ!」
強気で降石健犯人説を否定する三浦巡査部長。だが、須藤警部は冷静に事実を突きつける。
「しかし彼が遺体遺棄現場から立ち去ったという事実を裏付ける証拠があります。もう一度彼から話を伺う必要があるでしょう」
三浦は須藤の言葉に言い返すことができなかった。二人は竹田署の駐車場に移動。須藤涼風は三浦が運転する覆面パトカーに乗り込む。三浦は運転席に座り、ハンドルを握った。
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