第2話|女という性、紅の血

 キーンコーンカーンコーン・・・。

 4時間目の授業が終わり、生徒達は各々行動を開始する。私は今の授業のノートをとるのに時間がかかり、未だ机に向かったままだが、後ろの席にいる野中泉のなか いずみさんは例外ではなく、友達二人と話をしながら昼食を机の上に並べていた。


「えー!泉ってばまたふっちゃったのー?新井あらいってE組のマジメ君でしょ?いい奴じゃん」


 友人の一人がそんなことを口走りながらパンの袋を開ける……音がした。

 手は黒板に書かれている文字を写すために懸命に動いているが、耳は聞こえてくる会話に釘付けとなった。

 野中さんは答える。


「いい人ね……私にとってはどうでもいい人だわ」


 なかなかキツイ性格だ。


「でも泉ってさ、何で彼氏とか作らないの?新井もお試しに付き合ってみればいいのに」


 先程の発言者は本当に不思議そうに尋ねた。新たな声がそれに対し呆れた口調で言葉を発する。


「あんたってお試しで人と付き合ってるの?」

「そうよ。初めからこの人が運命の人なんだわ!って思ったら、なんか重くない?」

「はーい!あたしは人それぞれだと思うな。泉はそういうタイプじゃないんでしょ」

「私は……運命にはあまり興味ないわ。ただ、告白は好きな人から言ってもらいたいだけよ」

「おおー!ということは好きな人がいるんですねー?」

「ふふ、内緒」


 安っぽいレポーターがインタビューするように、友達は野中さんから好きな人の情報を得ようとしていた。野中さんはうまくはぐらかしてその質問に付き合う。

 私は写さなければいけない量にも、後ろの会話にも、いささか嫌悪感を抱き頬杖をついて一つため息をもらした。


「でも告白されて嬉しいとは思うよね?」

「そうね……あんまり思わないかな」

「え!?私なら嬉しいけどなー」


 野中さんは一呼吸置いて口を開く。


「私はダメなの。どうでもいい人から告白されても意味ないし、ましてや付き合うなんて時間と労力の無駄だわ」

「意味ないだってー。新井もかわいそー」


 友達は言葉とは裏腹に楽しそうに笑いながらそう言った。

 名前と顔が一致しない新井君とやらもかわいそうな人だ。勇気を出したであろう告白も、昼時の談笑ネタにされてしまい、私にさえも同情されてしまうのだから。


 授業終了から5分以上経過していたため、私は集中してノートを書くことにした。いくら聞こえてしまうこととはいえ、やはり盗み聞きはよくない。

 でも……頭の片隅では今の会話のことを考えてしまっていた。野中さんのあの発言。きついけど、はっきりとした意見を持っているのは確かだ。


 もし、彼女の言う『どうでもいい人からの告白』が『意味のないこと』だとしたら、『好きな人がいる人を好きになる』ことはどうだというのだろう?好きになってもらうための努力は必要?


 私は知っている。

 野中さんの好きな人には彼女がいること──


 綺麗な矛盾だと思った。



     2


堀江ほりえ倉持くらもち知らないか?」


 部長に声をかけられ、私は倉持正吾しょうごの居場所を告げた。


「さっき水飲み場で見かけましたけど」

「随分長いな。まさかさぼってんじゃないよな?」

「はは、ちょっと怪しいですね。彼女の姿も見ましたから」

「まったく……悪いが呼んできてくれないか?タイム計るから、その準備もよろしく」

「わかりました」


 マネージャーという立場上、部長の指示に従い準備と呼びかけに向かう。


 私と正吾は小・中・高校が同じという、幼馴染みと言うよりかは腐れ縁と言った方がふさわしい関係にいた。

 正吾は陸上部のエースで、見ようによっては練習姿が格好よく見えるかもしれないが、私は彼との間柄を抜きにしてもミジンコ程にしか好意はない。

 気の置けない相手であったとしても、お互いに恋愛感情などないのだ。いや、むしろお互いのことをよく知っているからこそ、好みの関係で合わないのだろう。


 正吾の性格は私とは違ってバカに明るい。それが功を奏しているのか、彼に敵意を向ける人など殆どいなかった。

 敵意を向けられるどころか好意を向けられることの方が圧倒的に多い。

 ──そう、野中さんのように。


「調子いいな、倉持」

「へへー、部長も彼女できたら記録更新できるんじゃないスか?」

「お前はどうしてそう一言多いんだ」


 本当、バカな奴である。正吾の彼女も野中さんも、奴のどこがいいのかさっぱりわからない。


「どうだ?聡子さとこ


 私の考えなど想像もしていないであろう正吾は、うきうきとした様子で話しかけてくる。私は記録をつける手を止めることはせずに口を開いた。


「いいんじゃない?」

「相変わらず無愛想な奴。あ!そういえばお前さっき部長に余計なこと言っただろ?」

「余計なことって?」

「彼女とさぼってるって部長に言ったんだろ?すんげー怒られたんだぜ」

「自業自得でしょ、バカ」

「あん時休憩中だったんだよ。さぼってたわけじゃねーって」

「どうだか」


 あまりにもむげにしたせいか、正吾は黙り込んでしまう。

 が、何を考えたのか、次の言葉で私は呆れ返る結果となった。


「わかったぞ。俺達が羨ましいんだな?」

「一生言ってなさい」


 本当にどこがいいんだろう?

 タイミングよく一区切りついた仕事の片付けをしようと、私は正吾に背中を向ける。と、その時に視界に入った人物で足を止めた。


 ──野中さんが見てる。


「お、野中だ。あいつ美人だよなー。付き合ってる奴とかいるんかな?」

「は?あんた、そんなこと言っていいの?」

「何かまずいか?ただ彼氏でもいるのかなーと思っただけだぜ?だからどうするってわけでもないし」

「……そっか」

「そうそう、ノープロブレン」


 カラカラとまるで青空のような笑顔を浮かべる正吾を見て、ふと思った。

 野中さんは、一体どうしたいのだろう?



     3


「うあっちぃ!!」

「バカ正吾!何やってんのよ!」


 化学の実験での出来事。

 正吾は、今の今まで熱していた金属皿を素手で掴んでしまった。使っていない皿と間違えたとはいえ、なんてことをしてるんだろう。

 当の本人も予想外のことだったらしく、驚いた反動で机の上にあった実験器具をなぎ倒し、その後もしばらく呆然としていた。


「大丈夫?早く冷やさないと。こっち来て」


 状況に見かねた野中さんは、同じ班ということもあって、正吾の手を引き水洗い場へ連れて行った……。


「サンキュ、野中。もういいよ、手冷たいだろ?」

「……平気よ。倉持くんの手、あったかいもの」


 それは、私にとっても正吾にとっても大きな出来事だった。


 たった一言。

 だけどそれは、水面ぎりぎりまでいであるコップに落ちた雫のように、正吾の心を動揺させるには充分過ぎることだった。

 時間にしてはほんの数秒。その僅かな時でも、二人の間を流れる空気は他のそれとは別物だった。二人だけが感じることの出来る空間。

 言葉よりも指先から伝わったそれは、きっと──野中さんの熱い思い。


 応急処置を終えた野中さんは、今はもう普段と変わらない。正吾は野中さんから借りたハンカチを傷にあて、保健室へと向かった。

 だけど私は違っていた。

 鼓動は激しく、まるで体中の血が、ざわざわと騒いでいる感覚がしていた……。



     4


「はいこれ、正吾から。野中さんに渡してくれってさ」

「ありがとう、堀江さん」


あれから一週間近くが過ぎ、私は正吾から頼まれた野中さん宛の小さな紙袋を、今まさに手渡していた。

昼休みの裏庭。人の影も少なく、まだ熱が冷めやらない私はチャンスとばかりに質問をする。


「ねえ、野中さんて正吾のこと好きなのよね?どうしたいの?……彼女から奪いたいとか?」


急であることにも質問の内容にも驚いた野中さんは、息を呑み、その後ゆっくりと笑みを浮かべた。


「別に、そんなこと思ってないわよ。ただ私は──思い出が欲しかったの」

「思い出?」

「そう。私のことだけを考えてるって時間が欲しかった。堀江さんにもそういうことない?」


ない、かも。

いまいちピンとこない質問に、私は眉をひそめる。


野中さんは、そんな私の心情に気付いているのか、くすりと笑いをこぼすと正吾からのプレゼントである紙袋を開けた。


「あ、この前のと一緒に、新しいハンカチが入ってる。メモもあるわ」


そう言って、袋から正吾が野中さんのために買ったハンカチとメモを取り出し、野中さんは黙ってそれに目を通す。


「倉持くんらしいわね」


頬をうっすらと赤く染めて、野中さんはとてもとてもいとおしそうに、ハンカチを口に当てた。

その笑顔は至極嬉しそうで、そして、幸せそうだった──


ああ、この人は本当に正吾のことが好きなんだ。これが彼女の言う「恋」。


「女って、したたかよね。私──きっとこれで生きていけるわ」


そうして空を見上げた野中さんは、次に手を振る。

手?

野中さんの見ている先にあるのは空じゃない。

私は彼女の視線の先を確かめるべく振り返った。


三階の廊下の突き当たり。そこにいたのは……正吾だった。

軽く笑って手を胸の辺りまで上げた正吾は、間もなくして姿を消した。


私は気付いている。

正吾の、野中さんを見つめる回数が増えていること。

そこから何も発展はしないけれど、以前二人の間を包んでいた雰囲気とは明らかに違っていた。


ドクンドクン……体中の血が、また騒ぎ始める。


「じゃあね、堀江さん」

「あ、うん」


去っていく彼女の後ろ姿は、何故かとても眩しかった。

彼女の血は、どこまでも紅く──どこまでも鮮やかだった。


女は、何か一つでもその人との思い出があれば生きていける。

彼女が言いたかったのはそういうことだろう。


そして、私の中に流れる女の血も、きっと紅く鮮やかなのだ──




     END


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