欠落へ伝う②
今度の依頼は二十代中盤と思われる女性からのものだった。別れたはずの元カレから再三電話がかかってくるようになり、辟易しているのだという。
経緯を詳しく聞くが、さしたる情報も得られず無理矢理手につかまされた数枚の万札が他力本願さを物語っていた。
たまにこのような非協力的な人物に出くわすことがある。カネさえ払ったのだから文句はないだろうと。何度も途中で関わり合いになりたくないので、取り消したいと電話するも不在通知が返ってくるのみ。
おぼろげな情報の中で元カレと称する男性の人相だけははっきりとわかっている。髪を金髪に染めあげ、なでつけたように固められた髪型。浅黒い肌。両耳のピアス。極めつけは人相の悪さである。よくもこれだけ好条件を備えてきたものだと思う。物件でいえば最寄りの駅には車で二〇分、という程度には優良物件だ。
付き合いはじめは優しかったが次第に荒っぽい性格が表に出てきた。だから嫌になった、というが、俺からしたら初対面でお近づきにもなりたくない。
依頼者の女性の話だと、背後からたびたび視線を感じるということだがストーカー行為にも発展しているのだろうか。そんな予想を抱いて情報収集に努めた。
『なんか嫌な感じがする』
始終、そのような気持ちがつきまとっていた。風向きの悪さ。まとわりつくように身を覆う疑心。その傍ら、探偵でもないのに他人の諸事情を推し量ろうとする行為に自ら嫌悪感を抱いた。
依頼者の女性から提示されたのは今日のはずだったが今すぐ引き返したい気持ちでいっぱいだった。
指定された住所は町外れにある古びた二階建てのアパートだ。こういっては失礼だが、人格の形成に生活環境は関わってくるのだろうか、と余計なことを考えてしまう。
余計な思考を振り払い、せめて早くにすまそうと意を決してインターフォンを鳴らした。
雨だれのように溶けたペンキが縦縞を形作るドア。そこから不意に錠の音が聞こえる。そこから現れた男性は来訪者に胡乱な目を向けてくる。
「誰だよてめぇは?」
男性の声音は友好的とはほど遠い。予想通りではある。
俺は依頼者の女性の名前を出して警戒心を解こうとした。
「ちょっと話をさせていただけませんか。加賀さんから聞いていると思うのですが」
「なにも聞いてねぇよ。それともなんだ、おまえミサトの新しい男か。相変わらず次から次へと飽きねぇことだなぁ」
粘つくような口調だった。勝手な勘違いを含め、この手の人種は話をしても平行線をたどるだけだろう。手早く切り上げるために前座を入れずに用件に入ることにする。
「俺は加賀さんから夜分遅くに何度も電話をしたりするのをやめてほしい、といわれたので来ただけです。加賀さんとはほとんど会ったことはありません」
「なんなら本人を連れてこいよ、なぁ! どうせ俺がストーカーだとでも言いたいんだろうがてめぇはよぉ。んな証拠でもあるってのか?」
ふんぞり返る態度には自信が混じっていた。
女性からの言い分によると電話は非通知で番号の特定はできず、公衆電話などからかけているものと思えた。たとえ電話を取ったとしてもなにをいっても無言のまま、三十秒ほどすると電話が切られるのだという。
もうひとつ、夜中に背後から気配を感じる、と聞かされたのも思いこみだといわれれば否定はできない。実被害がないために警察に届け出ようにも確たる証拠に欠けるのだった。
目の前の男は見る限り所有欲が人一倍強いように思えた。付きまとう性格だという仮定すると執着心も強いだろう。話し方もどことなく粘着質な気配を漂わせる。
俺は意を決して持っていたカードを切ることにした。
「最近ではスマフォも便利になりましたよね」
「あぁ?」
俺の唐突な話題のすり替えに男は眉をひそめている。
「昔はカメラといったらフィルムだけだったのに、スマフォのカメラもけっこういい写真が撮れるものです。デジカメ程度の画質も持っているといいますし、意外と馬鹿にできませんよね」
「てめぇ、何の話だ?」
ドアノブから手を離し、後ろ手にドアを閉める。威嚇するように男は距離を詰めてきたが、その態度に落ち着きのなさが混じっていることを見逃さなかった。俺は畳みかけるようにして喋った。
「写真の現像って最近では店に置かれた機械でできるようになりましたよね。デジカメだけじゃなく、スマフォにも対応する機体がほとんどです。まさかそれが『もしものときのために』常にバックアップが取られているなんて思いもしませんよね。俺も最近知りましたけど。早川さんはまさか『最近端末を利用してプリントした』、『それがあまり人に知られたくないものだった』ってことはないですよね?」
男は苛立たしげに歯を噛んでいる。俺の顔を直視せずにいながら、これ見よがしな舌打ちを漏らした。怒りを押し殺したような声がその口から発せられる。
「なにが望みだ……」
「加賀さんが困っているらしいですよ。俺からはそれだけです」
「……考えておいてやるよ」
そう言うが否や目の前でドアが力強く閉じられる。建て付けが心配になる勢いだ。
そのまま最後まで警戒していたが、数十秒経過しても相手が出てくることはないと踏むと大きく息を吐く。
その場から逃げるようにして立ち去ると、車の姿がまばらな月極駐車場が広がる空間が現れた。付近の自販機でサイダーを買って、その赤い筐体の脇にへたりこんだ。
二度とこんなことはごめんだ、と強く思う。
『二度とやりたくない』
互いのため息がシンクロしたことに俺はひそかに苦笑した。あおるようにして一気に缶の中身を飲み干す。緊張で喉が乾ききっていた。
依頼者が非協力的な場合はやはり踏み込みべきではないのだろう。あいまいな情報をもとに行動すると他人の不信感を買う。ともすれば逆恨みされる場合もある。
わかっていても、誰かが自分を頼ってくる、という図式にあらがえなかった。これは俺のどうしようもない性質だ。
愛茉音が空間から抜け出してくるように現れると、俺の姿を見下ろして呆れがちに笑う。
『よくまぁ、あんなホラ話、正面切っていえるよね』
愛茉音が話しているのは先ほどの男性とのやりとりだ。内容はデタラメがほとんどだ。話す経緯に至ったのはこういうことになる。
まず事前に彼の人となりをつかんでおいた。これは依頼者から不完全とはいえ情報をもらっていたのでそれによる。
つぎに真夜中につきまとわれている気がする、というときにシャッター音がした、という情報をもらっていた。これには半信半疑だったが、部屋の中を覗いたときに写真を見て屈折した笑いを浮かべているのを見てから、わざわざプリントアウトしたのではないかと踏んだ。写真の中身まではわからなかったが、付きまとうほど執着心の強い男なら所有欲求も同時に高いように思えた。一方的に自分の女と主張するなら、スマフォのデータとして眺めるよりは、写真として所有した方がエゴイズムを増長させるだろう。
あとは機械にバックアップ機能がついているだのと適当な理由をつけただけだ。正直、予想がはずれていたのならもう関わり合いにならず依頼者の女性に無理にでも会ってすべて返金する予定だった。
『わたしのおかげでもあるんだから』
「ああ、感謝してるよ」
実際、部屋の中を観察できたのは俺から離れた視野を持つ愛茉音の力を借りてのことだった。
ただ、普通の幽霊のように壁を通り抜けるなどはできないと主張されたので、軒先から窓を覗くような真似をした。俺はそれまで庭の死角となるところで身を潜めていた。
なぜ通れないのか、と問うと『通ろうと思ったことないし』と微妙にすれ違った反応が返ってきた。無理に強要させる気もないのでそれ以降は追及していないが、たしかにそういう考え方もあるかもしれない。
『ところで約束、おぼえてるよね?』
「なんだっけ」
俺はしらばっくれる。それに比べ反発を秘めて顔をむくれさせた愛茉音の表情が返される。
『だからぁ……、こんなふうに浮いて中の様子を窺ったりできる妄想なんてあるわけないでしょ?』
「まぁそうだろうけどな」
たしかに自分が見ている幻覚が視界や記憶力を持つ、というのは信憑性が薄い。まだ、幽霊だといったほうが現実味があるくらいだ。愛茉音の要求は自分のことを妄想と呼ばず、せめて幽霊といってくれ、ということだった。
しかし俺はどちらでも大差はないのではないだろうか、と首を傾げる。両者にさしたる違いはないと思われるからだ。
「精神的にいかれたやつか、幽霊に取り付かれたいかれたやつか、どっちがマシだ?」
『とりあえずいかれたやつに取り付いたってことにはしたくない』
愛茉音の笑い声に俺も追従して笑みを浮かべた。
ただそのころはストーカーという心理についてわかっていたとはいえなかった。
被害者に晴らせなくなった鬱憤は積もり積もっていったいどこへ向けられるのだろうと、一瞬でも考えが及べばよかった。
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