断線②

 帰宅して買ってきた食料品を冷蔵庫に片っ端から放り込む。

 男のひとり暮らしでは消費する量もたかが知れている。安くすむので自炊を心がけてはいるが、手早くすませるなら手近な店に食いに行けばいい。

 今日はきんぴらごぼうを作ってみた。余った人参を刻んで具にした味噌汁を添える。

 配膳を終えると、ひとりで合掌しながらテレビを点ける。ザッピングをしながらテレビの画面を次々と変えていくが、バラエティは好みの番組がなかった。おとなしくNHKのニュースを選ぶ。

 ニュースでは最近起こった若者の女児暴行事件が取り上げられている。アナウンサーの右上に映像が流れており、それが終わると隣に座っている人物を指し示した。専門家といわれる精神分析家が名前を名乗り、頭皮が衰退してきた頭頂部を見せてから自分の弁舌を披露しはじめる。


『最近の若者はスマフォを愛用し、他人とのコミュニケーションを絶やしているのです。若者たちの世界は次第に狭くなっていき、自分に関わるすぐ近くの人たち、両親や兄弟、学校の友達に限られるわけですね。とすると、彼らは生の関係というものを感じられなくなり、人の痛みというのを忘れていくのです』

『それは自分以外の人物を人として扱っていない、ということでしょうか』


 隣に座る眼鏡をかけた中肉中背のアナウンサーが専門科の言葉にコメントする。捉えようによっては少々過激な言い分だ。


『昔、ゲーム脳という言説が流行ったと思いますが、今回の事件でも要領は同じことです。現実とゲームの区別がつかない』

『最近のゲームを見て驚きました。ものすごくリアルなんですよね。戦争をもとにしたゲームだったんですが、まるで自分がそこに立って兵士のひとりとして戦っているようなかんじがしました』


 アナウンサーの仕種は仰々しく、感情をつけて振る舞っている。その身振りに専門科の男性は小さく笑う。その表情はどこか人を小馬鹿にしたニュアンスが込められているように見えた。

 専門家は咳払いをして話を切り替える。


『私たち大人はそれをゲームだと認識してこられるわけです。現実がこういうものだ、と区別がついている世代はリアルなゲームにのめり込んだとしても戻ってくることができる。しかし、現実と見間違うほどのリアルを持ったゲームを幼い頃から慣れ親しんだ若者はどうでしょう』

『今回の事件はそういった現実との区別がつけられなくなった若者が起こしたものだと?』


 専門科の言葉に感嘆するようにため息をつくアナウンサー。その肩をすくめた態度はこの場にいない誰かを糾弾しているようだった。

 アナウンサーの言葉に専門科は深く頷き、いかにも憤然とした調子で首を振った。


『大ざっぱにいってしまうとそういうことになりますね。まったく嘆かわしいことです』

『……なるほど。では引き続いて、先日起きた事件についても同様にお伺い――』


 俺はアナウンサーがべつの話に切り替えようとしていたところでテレビを切った。

 使い古された論理だ。現実との区別がつけられないから、現実をゲームのようにリセットが効くと思っている。自分がゲームの主人公のように選ばれたものだと錯覚している。そのような分別のつけられない若者による犯罪が蔓延している。


 ――本当にそうだと言い切れるのか。


 第一、そのような若者を育てていたのは、専門家が得意げに告げた『大人』の世代じゃないのか。自分たちによる教育の不手際をゲームという、一般的に悪いイメージを持つ媒体を矢面に立たせてそれで説明がついたと思っている。

 俺からすればゲームのほかにリアルになったものがある。テレビと、ネットのコミュニケーションの即時性だ。


『文句いうなら見なきゃいいのに』


 我が妄想も正しいことをいっている。その意見については拝聴するのに疑いもない。

 たしかに不快になるのがわかっていたとすればわざわざ見る価値もない。だが、テレビも見ない若者というと、なぜか奇異な目で見られるからせめて話題を獲得しなければならないのだ。なるべく目立たず、ふつうに過ごしたかった。

 テレビのざわめく声が消え、先ほどより静かになった一間の部屋で黙々と夕飯を食べ進めること数分。俺はコップの水で喉を潤したあとにスマフォの画面を点ける。

 昨年は最新モデルとうたわれていたが、いまではすでにスペックも高性能になったものが販売されている。そんなに高機能になったとしてやることなどたかが知れていそうなのだが。


『お仕事の情報は?』


 ないことを祈る。世の恋人たちもたまには自前で解決してほしいものだ。反射的に答えてから振り返ると、背後から画面をのぞき込める位置に愛茉音の姿が出現していた。

 待ち受け画面にはとくにメッセージが来たようなアイコンは表示されていない。心なしか安堵しながら、俺はアプリを立ち上げる。

 表示された名前はとあるSNSだ。ソーシャルネットワークサービス。いまや聞かない日はないというほど現代人の必須ツールとして崇められるサービスだ。

 ページのタイトルには、ポップなフォントとともに『NeDi《ネディ》』と表示されている。

 NeDiは最近爆発的な勢いで流行しているサービスだ。主要なサービスはメールにも似たショートメッセージの送受信機能、インターネット回線による無料通話サービス、アプリ開発者向けのオープンソースのツール提供、まぁ、どこでも似た機能をそなえているものと思う。


 NeDiが打ち出した最大の機能が、これらのサービスに付加価値として掲げている『隣の人とのコミュニケーションを可能にする』というものだ。このことは経営理念としても尊重されている。

 スマフォから読み出されたGPSの位置情報を基点に、そこから自分と趣味が似た人がなにをしているか、ほかのSNSのサービスと連携して自分のページに一覧表示される。たとえばテレビを見てそれについてつぶやくと、近隣で同じ番組を見ている人が一覧に表示される。気軽に近くに住む人と交流ができる革新的なものだ。

 さすがに『隣の人』とのコミュニケーションには至らないが、今までSNSといえば所在地の違いはどうしようもなかった。気の合う友達でも近隣に住んでいるということは稀だ。コミュニティを形成して近くに在住するもの同士でグループを組むという試みはあったが、それにも限界はある。


 そこで台頭してきたのがNeDiだ。デフォルトで在住情報を管理しているNeDiは趣味の合う友達同士で交流することを推奨している。同じ趣味を持つ近隣の住民が集まるということは、サービスの提供のしやすさにもつながる。

 こういったある程度の地区を限定して交流できる機能を利用し、地元の活性化にもNeDiが使用される事例が出てきた。若者だけでなく、ビジネスマンや主婦同士での交流にも使用され、近隣の住民同士、より親密なコミュニケーションがはかれるようになった。


 ただし、必ずしもいい面ばかりではない。

 NeDiの使用者数が増えるに至って、影で目立ってきた事例。それは出会い系サイトの一貫として使用するものたちが起こす色恋沙汰のトラブルだ。先日起こった女児暴行事件にもこのサイトが絡んでいる。

 男性が偽ったプロフィールを提示し、その情報を楯に十代の女子と交流する。やがて互いに会う約束を取り付け、交際目的で近づいた男性側との意見の相違にトラブルが生じる――。SNSにこの手のトラブルは付き物だが、近隣に在住する情報を得やすいため火種があちこちで上がっているというのが問題の点だった。

 そして色恋沙汰のトラブルというのは了解済みのカップルでも起こる。それが俺に関わってくる仕事というわけだが。


『なんで実際に会うまで反りが合わないってことに気づかないんだろうね?』


 愛茉音は右肩から携帯の画面をのぞき込みながら、心底不思議そうな表情をする。

 もうひとつ水面下で問題になっているのが、実際に会って付き合いはじめて生じるトラブルである。

 なにせ外見の情報はアバターといわれる豊富に揃えられたアイコンが代替している。テキストや音声の通話だけでは他人の人となりを知るには限界がある。実際に付き合いはじめてからというものの、一時の感情に過ぎないことを知って別れていくカップルが後を絶たない。

 ただそれは、相対的に付き合うカップルが増えているわけだから上手くいく場合も多いのだが、悲しいかな、俺に持ちかけられるのは何週間かに一件ほどの『円満に別れる』ための仲介役を依頼する声である。

 住む場所が近くに存在しているということは別れた後も付きまとわれる可能性が増えるということだ。執念深い男性がストーカーまがいの行為を繰り返して検挙されている事例も増えている。

 俺に持ちかけられるのは男女比率でいえば知り合いを通じた男性側からが多いが、女性からの依頼もある。

 さらにこの不可抗力ともいえる仕事をやっている二次被害が俺に降りかかりもしたりする。


『恋愛恐怖症、だね』


 愛茉音の視線がどことなく哀れみめいたものに変わる。その眼差しが生温かい。

 他人の別れる事情ばかりに関与してきたせいか、いつしか恋愛に対して恐怖心を抱くようになってきた。この二人は上手くいくだろう、と祝福したのもつかの間、二ヶ月後に相談を持ちかけられたときにはなにを信じていいのかわからなくなった。

 ただし、俺は諸々の理由で依頼を拒絶するわけにいかない理由がある。金銭的な事情もあるが、最大の理由は――。


「……明日はバイトだっけな」


 明日は朝からバイトを入れていたのだった。よけいな時間を過ごしてしまったことに後悔の念が起こる。時計を見れば九時半を刺しており、今から風呂を入れるわけにもいかなかった。今夜はシャワーだけですませることにする。

 食べ終えた食器類を手に持ち、流し台に立つ。そんな俺の背に向かって投げられる声は、無理に明るい声を絞り出したかのようだった。


『……わたしは、そんなことないって思うよ?』


 どんな場合でも自分を肯定してくれる声があるというのはありがたかった。それがたとえ自分が見ている幻想だとしても。


 まぁそれを伝えれば、また言い争いになるのだろうが。

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