準備 at デューナチョ湖のほとり

「ねぇ、そろそろお昼にしない? 私、お腹空いちゃった」


 背面の苔をすべて落とし終わったタイミングでそうサザンカに言ってみる。ああでも、よく考えたら、この子達って何も食べないのよね? 食べるのは私だけなのか。でも、ばあちゃんは遠慮するなって言ってたし。うん、そもそも私の辞書に遠慮なんて言葉はないのよね。


 すると、サザンカはこくりと頷いて立ち上がり、「待ってて」といった風に右手の手のひらを私に向けると、くるりとUターンして小屋へと歩いて行った。その後ろに続いたのはやっぱりコスモスだ。うん、きっとまだ修行中なのね。


 待っている間にうつ伏せ状態のゴーレムちゃんを皆でひっくり返し、今度は前面の作業に取り掛かる。


「あら、ねぇインパチェンス、前面は苔もそうだけど損傷が酷いみたい。胸から落ちたのかしら。ひび割れもすごいし、欠けてるところもある。こういう場合はどうするの?」


 と、問い掛けてから、失敗したな、と思った。

 イエスかノーで答えられる質問じゃないと、首振りの回答が使えないのだ。

 何て言い直そうかしら。と考えていた時だった。


 つんつん、とやはり優しく肩を叩かれたのである。

 ざらざらでごつごつの指だけれど、ちっとも痛くない。


「なぁに? トレニア」


 彼女は欠けている胸の部分をちょいちょいと指差してから、次に自分の膝を指差した。土で汚れているけれど、ちょっとごめんね、と言ってから指で軽くこすってみれば、出て来たのは、透き通った樹脂だ。


「成る程、これでひびを埋めるのね。オッケーオッケー。これくらい私にだって出来るんだから、任せてよ」


 とん、と胸を叩くと、その場にいたゴーレムちゃん達は「本当?」って感じに肩を竦めてみせた。ちょっとちょっとあなた達、この私を誰だと思ってるわけ?


「大丈夫だってば。そりゃあばあちゃんほどは上手くないかもだけど、私だって結構それなりの魔女なんだから。もしご飯を食べてもサルとばあちゃんが戻ってこなかったら、私がやるから」


 そう言うと、「ま、サヨコが間に合わなければね」みたいな空気を醸し出しつつ、皆はこくこくと頷いた。


 

 15分ほど待っただろうか、サザンカとコスモスが戻ってきた。サザンカは両手に塩漬けの肉の塊と、やけに長い魚を数匹ぶら下げて、コスモスはバケツ一杯の炭と、大きな白い板を持っている。成る程成る程、ここでバーベキューってわけね。良いじゃない、湖を見ながらバーベキュー!


 てきぱきと石を積み上げ、炭を並べ、白い板を乗せる。ふんふん、ここはこうやってやるわけね。この白い板は何かしらと首を傾げていると、コスモスが地面に『コエン』と書いてくれた。コエン? 何それ? 

 それじゃ、火を点けましょうか――と、思っていると、サザンカは「まぁまぁ、まだまだ」とでも言うように首を振った。そしてプリムラとアロエをちょいちょいと手招く。すると彼女達もこの後の流れはわかっているらしく、こくこくと2回頷いてからサザンカの方へ移動し、ごろりとうつ伏せになった。端っこの方が少し削られた緑苔と麦苔畑が陽の光を受けてきらきらと輝いている。それをコスモスがスクレーパーでゴリゴリと削り、バケツの中に入っていたらしいザルの中に2つを混ぜて入れ、湖水でざぶざぶと洗い始めた。


 これは期待出来るわ。

 一体どんな料理が飛び出すのかしら。


 新入りゴーレムちゃんの苔を落としつつ、2体の動きを観察する。

 焼き場の準備が出来たサザンカは、コスモスから洗い終えた苔を受け取ると、今度はそれを私の方へ持ってきた。それをぐいぐいと押し付けてくる。


「何? 私も手伝うの?」


 こくり、と頷く。


「どうすれば良いのかしら。えっと、乾燥させれば良い?」


 そう尋ねると、膝をぽんと叩いてからびしっと指を差してきた。ううん、きっとこれは「正解!」のリアクションよね。


「オッケーオッケー任せて頂戴。これくらい朝飯……ううん、まさに昼飯前よ!」


 ふふん、私がちゃーんと魔法も使える魔女だってことその目で……その目はどこかわからないけど、とくとご覧あれ、だわ!


「ふぅふぅ、吹け吹け、風よ吹け。からからからりん、からからりん♪ 温風熱風からからりん♪ そぉーれ」


 手のひらから、ふわりほわりと乾いた熱風が吹き、ザルの中の苔達があっという間に変色していく。魔女の魔法は特別だからね、これくらいなら10秒でからっからになっちゃうんだから。


「ふっふー、どうよ、この乾き具合! 私だってなかなかでしょ?」


 ふふん、と胸を張る。


 ……けれど、ゴーレムちゃん達の反応はいまいち。というか、むしろ、ちょっと冷めた目? サザンカは「まだまだだね」って感じだし、プリムラとアロエは寝そべったままくすくす笑ってるし、インパチェンスとトレニアは「どんまい!」って。コスモス! あなただけよ、「私は良いと思うけど?」って目で私を見てくれるの!


 もう、何よぅ。そりゃあばあちゃんと比べたら私なんかまだまだだけどさぁ。


 と、拗ねてもいられない。

 さっきから私のお腹はぐうぐう鳴っているのだ。

 早く何か食べないと、古の言い伝えでは、お腹と背中がくっついてしまうらしい。そんなことになれば大変。いままでより食べられる量が減っちゃうじゃない!



 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 さて、ぼちぼち戻ろうかしらね、とサヨコ師匠が呟いた。


 やっと帰れる……。

 なんて口に出すわけにはもちろんいかないのだが。


 でも、何でだろう、サヨコ師匠と飛ぶのはかなり疲れるのだ。落っこちないようにしっかりつかんでいないといけないし、スピードも倍は出ている。ということは、いつも以上に鳥や、この辺を飛んでいる魔女との衝突にも気をつけなくてはならない。そういうのでどっと疲れるのだろう。


「そういえば」


 さすがにちょっと疲れたからとスピードを落として島に向かっている途中で、師匠が思い出したように俺の肩を叩いた。何だ、と視線を合わせると、彼女はその黒曜石の瞳をうんと細めてヒヒヒ、と笑った。何かもう嫌な予感しかしない。


「あの子の髪が短くなっていたのはどういうわけだい?」

「――!!」


 やっぱり気付いていたか。

 いや、気付かない方がおかしいんだ。

 せっかく弟子が一人前になって、一人前以上になって、だからこそ師匠は家を出たというのに。その『一人前以上の証』が短くなっていたら、何事が起きたのかと心配もするだろう。


「すまん、サヨコ師匠。全部俺のせいなんだ」


 だから、すべてを話した。

 俺の迂闊な行動のせいで旅が続けられなくなりかけたこと、それを阻止するためにお嬢が髪を切ってくれたこと。


「お嬢は何も悪くない。俺が全部悪いんだ。だから、罰なら全部俺が受けるから、どうかお嬢には――」

「ハァ?」


 あんた何言ってんの? とぎろりと睨まれた。

 

「何つまんないこと言ってんのよ。罰ぅ? あたしがぁ? サルメロに? 何でよ」

「いや、だって、魔女の髪は特別なものだし……」

「そんなに大事なもんでもないわ。髪が長いからどうだっていうのよ。そんな古臭い尺度で技量を測られてもこっちが困るっての」

「でも……」

「そんなことより、あの子は……オリヴィエはためらいなく切ったかい?」


 ためらいなんかあるもんか。

 むしろたったそれだけで良いのかと、何なら根元から切るほどの勢いだったのだ。


 そう言うと、


「だっはっは! そうかいそうかい! だったら安心したよ」

「安心? どうして」

「そりゃたかだか箒だからそっちの方が大事だって思う魔女もいるんだろうし、もしかしたらその方が普通なのかもしれないけど、髪だよ? ただ長いだけの毛だ。そんなつまらないものよりパートナーの方が大切だろ。もしあの子がそんなこともわからない馬鹿弟子だったら、破門にするところだったわ」


 ……やっぱりお嬢の師匠だ。

 いや、この師匠と一緒にいたからこそ、あのお嬢になったんだ。


「さぁって、さすがにちょっとお腹空いて来ちゃったわねぇ。急ぐよ、サルメロ!」

「――え? あぁ? ちょちょちょちょ……!!! は、速いって師匠!! 俺、さすがにちょっと限界!!」

「つべこべ言わない! あたしが空腹だっつってんだよ! 気張りなぁ!」

「ひええええええ!!」




 島に着き、俺の足が地面まであと1メートルというところで、サヨコ師匠は、するり、と俺の腕を抜け、「てやっ!」と、華麗に着地を決めた。

 そして、魔力の供給が絶たれた俺はというと――、


「うわぁっ!?」


 そりゃあこれくらいの高さなんだから、別に危険なわけでもない。難なく着地出来るに決まってる。

 けれども、疲労がピークだったからだろうか、バランスを崩して、その場に尻もちをついてしまった。そんな恰好悪い姿をばっちりとお嬢に目撃されてしまい、恥ずかしさで顔が熱くなる。


「ちょ、ちょっと、サル? 大丈夫?! どうしたのよ!」

「全然大丈夫。ちょっとバランス崩しただけだから」

「いつもはそんなことないじゃない! んもう! ばあちゃん!? 私のサルに何てことしてくれたのよ!」


 お嬢がサヨコ師匠にガルルと噛みつく。もちろん本当にかみついたわけじゃないけど。

 しかし、師匠の方はどこ吹く風だ。


「あたしは何もしてないわよ? サルと空のデートを楽しんだだけよねぇ」

「んなっ……!! で、デートですって!? 樹人みきじんの森は?! 新しい相棒を探しに行ったんじゃなかったの!?」

「あたしはハナ以外の樹人を相棒にする気なんてないんだよ」


 さらりとそう返し、あっはっは、と笑う。

 

「だ、だって、ハナはもう……」


 いないんでしょ、と続けたお嬢の声は弱い。誰にも聞こえないような声でそう言ってから、俯き、下唇を噛んだ。緑色のワンピースをぎゅっと握って。その小さな手を包み込むようにして優しく握る。


「大丈夫だ、お嬢。ハナは『種』を残してた。時間はかかるけどまた会える」

「時間かかる……なんてもんじゃないじゃない。あと1000年はかかるわよ?!」

「まぁそうだけど。大丈夫、サヨコ師匠なら……」


 それを糧にあと1000年は生きるさ。


 そう言おうとした。

 だから大丈夫、と。


 その時。

 お嬢の目が、を捉えた。

 その琥珀色の瞳が大きく見開かれ、そして――、


「ばあちゃん!!」


 その言葉で彼女の視線の先を見ると。


 片膝をついたサヨコ師匠が、腹を押さえて苦しそうに顔を歪めていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る