昼食 at デューナチョ湖のほとり
「ばあちゃん! ばあちゃん!!」
「サヨコ師匠!!」
慌てて駆け寄ると、サヨコ師匠は――、
「もう動けん……」
といままでに聞いたこともないくらいに弱弱しい声でそう言った。
「う、動かなくて良いわよ! 休んで! 休んでて!!」
「そんなわけにはいかないんだ、あたしは……」
「お嬢、木陰に運ぼう、少し横になれば……」
「冗談じゃないよ。横になんてなるもんか」
「もう! ばあちゃんの意地っ張り!」
「何とでもお言い。あたしは、あたしはねぇ……」
サヨコ師匠は、ギッとお嬢を睨みつけてから、視線を湖のほとりにある焼き場へと移し――、
「絶対にあれを食べるんだよぉっ!!」
と叫んだ。
「……は?」
「……何? ていうか、あれ何だ?」
「あぁ、あれ? お昼ご飯の準備中だったの。ちょうどこれから焼き始めるところだったんだけど……」
冷静になって当たりを見回してみれば、だ。主の一大事ににも拘らず、ゴーレム達は駆け寄る気配もないのである。薄情なのではない。そうする必要がないとわかっているのだ。
ということはつまり――、
「極度の空腹だっただけ、か……」
一緒に住んでいた頃は、お嬢もサヨコ師匠もデスクワークがほとんどで、そりゃ薬釜の前に立つこともあるにはあったけれども、そんなにカロリーを消耗することもなかった。だけどいまのサヨコ師匠は、当時と比べてかなり身体を動かしている様子だし、腹も減るのだろう。
「まったく紛らわしいわよ!! いよいよ寿命かなって焦ったじゃない!」
這うようにして焼き場へと向かっているサヨコ師匠をじとりと睨み、お嬢は腕を組んで、ふん、と鼻を鳴らした。
「ハッ、そう簡単にくたばってたまるかい。あたしはね、まだまだ食べてないものがたくさんあるんだよ」
「いやでも、サヨコ師匠さっき『もう長くない』って……あっ!」
しまった! 口が滑った!!
と、慌てて口を押さえるがもう遅い。
「サル……いま何て言ったの? ばあちゃん、長くないって……本当?」
「いや、その、俺も詳しいことは……」
お嬢が険しい表情でずいずいと顔を近付けてくる。
魔女というのはそもそも長寿の生き物だ。記録にある最高齢魔女は18,526歳と言われていて、それはやはり南の魔女である。南方の魔女は長命のものが多いのだ。
魔力の強さがそのまま長寿に結びついているにわけではないらしいものの、それでもやはりというのか、それの弱い北北西の魔女は短命だ。8,000年も生きられれば御の字で、平均寿命は7,500年弱。
にも拘らず、サヨコ師匠は9,800歳を越えている。
だから、正直なところ今日明日にその命の灯火が、ふ、と消えてしまってもおかしくないのだ。
「長くないさ」
焼き場にたどり着き、ゴーレム達が設えたテーブルに手をついて、よろよろと立ち上がったサヨコ師匠は吐き捨てるようにそう言った。
彼女が腰掛けると、すぐに取り皿が運ばれてきた。それからもわもわと湯気の上がるスープに、柔らかそうなパンが大盛りになっているバスケット、それから、グラスに注がれた海のような色の飲み物。サヨコ師匠はバスケットの中のパンをむんずと掴んで一口大にちぎるなんてこともせずにがぶりと噛みつき、頬をぱんぱんにしながらもっしゃもっしゃと咀嚼している。その鬼気迫る食べっぷりにさすがのお嬢も呆気に取られている様子である。
サヨコ師匠はあっという間にパンを3つほど胃の中に入れ、陽の光の下できらきらと輝く青い飲み物を一気に飲むと、「っかぁ~!」と言って、それをテーブルの上に置いた。頬が少し赤くなっている。ということはもしかしたらそれは酒なのかもしれない。
そして、忌々しそうにその空のグラスを見つめてから、頬杖をついて口を尖らせ「あたしはね、もう長くないんだよ」と尚も言った。まだ話は続きそうである。考えたくはないが、遺言というやつなのかもしれない。
俺達はそれを聞くためにテーブルへと向かった。2人並んでサヨコ師匠の向かいに座る。
すると、サヨコ師匠は再びパンを掴んで、大きな口を開け、かぶりついた。はむ、という音が聞こえてきそうなほどに柔らかいパンのようだ。
それをもっちゃもっちゃと噛み、ふぅ、とため息をつく。
「あたしは、50,000年は生きる予定だったのに……」
「……ん?」
「ご? え?」
「それなのに! あと10,000年も生きられないんだと! 8,000年って言われたんだ、医者に! 8,000年だよ、8,000年!! 8,000年ってことはもう折り返してるんだよ、あたしの人生!! あとたったの8,000年しか生きられないんだ!!」
「……8,000年しか、って」
「師匠、それは『しか』とは言わないぞ……」
確かに50,000年生きるつもりだったんなら18,000年というのは短く感じるかも知れないが――。
いやいや、北北西の魔女の人生2周以上だし。南方の魔女の記録と並ぶからな?
「……ちょっと心配して損したわ、私」
「……俺も」
はぁ、とため息をついて、再び大きく息を吸う。
ふわりと鼻腔をくすぐったのは、肉と魚を燻したような香り。
何だろう、ただの燻製とは違う、少し青い香りと、海の水の香りがする。
くんくん、と鼻を鳴らしていると。
「あのね、プリムラとアロエの背中の苔をね、湖の水でざっと洗って乾かしたの。あ、乾かしたのは私よ? えっへん」
いちいち威張るな。
「それでね? 火をつけて――あ、もちろん火をつけたのも私よ。ここ、褒めるところ。んふふ、ありがと。――で、コスモスが何かでっかい白いプレートを持って来たのよね。それをその火の上にどーん、ってね」
褒めるところ、という
「白いプレート……。白……塩か?」
「コエン? だったかしら」
「コエン……? ああ、湖塩だな、そうか、ここの湖は海の水だから、塩がとれるんだ」
「あぁ、なーるほどね」
「成る程、熱した湖塩プレートの上で焼くわけだ。火の中に乾燥苔を混ぜて香り付けしながら」
焼き場はいま、サザンカの背中で隠れてしまっているのだか、ちょうど彼女の頭の辺りからもくもくと煙が上がっているのが見える。焼き具合はどんなものだろう、と立ち上がって覗き込んだ時だった。
見えたのだ、それが。
「――え? おい、ちょっと!」
「うわぉ! 嘘嘘! ほんと!?」
俺たちの目に飛び込んできたのは、石を積み上げて作られたかまどの上にうずくまっているコスモスの姿だった。
「コスモス! あなた火傷しちゃうわよ!! 降りて降りて!」
お嬢が慌てて駆け寄るが、それを見た師匠は「馬鹿な孫だわぁ」と高笑いである。
「ゴーレムが火傷なんかするもんかね」
「だとしてもよ! 酷いわ、ばあちゃん! 何でコスモスにそんなことさせるのよ!」
「失礼な、あたしが強要してんじゃないよ」
「もう、そんなこと言って!」
サヨコ師匠は腹にものが入ったからかさっきとは別人のように落ち着いている。
かまどの上にいるコスモスを指差して猛抗議するお嬢に対しても、どこ吹く風と涼しい顔だ。
「あの子達が決めてやったことだ。あたしは調理法に口出し出来るほど料理のことは知らないんだよ」
これまで食事はハナに任せっきりでねぇ、とぽつりと呟いて、サヨコ師匠はちょっと寂しそうに笑った。
ハナ、という名前が出て来ると、何だかもうそれ以上突っ込むことが出来なくて、お嬢は「ぅぐう」と言って黙った。
どうやらコスモスがうずくまっているのは、全身を使ってドームを作り、湖塩プレートの上で焼いたものを燻すためらしい。
「……なぁ、本当に熱くないのか?」
真っ赤な身体でうずくまっているコスモスにそう問い掛けると、彼女は首を縦に振った。つまりは、熱くない、ということなのだ。それもそうだろう。このゴーレムはそもそも熱さや冷たさを感じることが出来ないのだから。
そして、じぃっと俺を見つめて――まぁ、このゴーレムに目という目はなく、それらしいくぼみがあるくらいだが――いたコスモスが、決してその体勢は崩さずに自身の腹の下にある肉やら魚やらをくいくいと顎でしゃくってみせた。
「食えって?」
そう尋ねると、こくり、と頷く。
そう言われりゃ、食うしかないだろう。
「お嬢、食おう。せっかくコスモスが文字通り身体張って燻してくれたんだ」
「う……。そうね、いただこうかしら」
「その方がコスモスも嬉しいみたいだぞ?」
こくこく、と視界の隅っこの方で、赤い顔が何度も上下するのが見えた。
「ちょっともう、何~。この香り~」
「ほど良い塩気に、ほんのりと茶葉の香り。これは絶品だな」
「こっちのはほっくほくに香ばしいわぁ。麦の香りねぇ~。んふふ~」
「乾燥苔が良い風味付けになってるな」
すると、お嬢はさらに顔をぱぁっと明るくして、
「でしょでしょ! やぁ~っぱり私の乾かし具合が良かったってことよねぇ! よねぇ~!!」
と嬉しそうに笑った。
【昼食:デューナチョ湖のほとり】
・プリムラの背苔発酵酒
・アロエの背麦苔で焼いたもっちりパン
・とんがり口針金魚のすり身団子スープ
・ゴーレム特製湖塩プレート燻製
・紅腹牛のスライス
・北海紅氷魚
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