後日談 at ヴィックトロイゼン城の一室
「――ねぇアレックス。ほら、見て見て」
食事を終えたイルヴァが窓の方へと走り、こちらを手招く。食事中に何かを見つけたらしく、先ほどからそわそわとしていたのである。
「どうした」
その表情からして悪い知らせではなかろうと、いそいそと移動し、彼女が指差す方を見れば――、
「ほう、これは……」
ゴーハンザー広場の端の方に、肉眼で――というのはイルヴァの目でも、という意味だ。何せ吾輩には千里眼があるのだから――とらえられるほどの大きさの絵があったのである。
石畳に塗料で直接描いたのであろう、その絵は、何かを企んでニヤリと笑っている時のイルヴァの顔だった。
「ほら、こないだ行ったヘアスプリングのお店の子どもだよ。そういやお城から見えるくらい大きな絵を描いてねって言ったんだった」
「成る程。いやこれは見事だ。特徴をよくつかんでいて、とても愛らしい」
「――ひえぇっ!? ちょ、あ、愛いぃ!?」
何やら妙な声を発したイルヴァが吾輩をぎろりとにらんだ。
まずい。
何かまずいことを言ってしまったようだ。
ああそうか、絵の方を褒めたからだな。先日読んだ学術書でも、『もし相手が絵のモデルになったとしても、その絵ばかりを褒めてはならない』とあったのだ。いかんいかん、吾輩としたことが。
「……こほん。う、ううむ。やはりモデルが良いから、であろうな」
「――ちょ、何言ってんのぉ?」
あれ、何か思ってた反応と違うぞ。これが模範解答ではなかったか?
違うな。そうだ、次のページだ。
「いや、その、絵も素晴らしいが、それよりも、目の前のイルヴァの方が何倍も美しい、……と言おうと――おぐぅ」
脇腹に、彼女の小さな握りこぶしがめり込んだ。とはいえ、吾輩にとっては魔ダニに食われるのとさして変わらぬ……いや、魔ダニの方がいくらか痛いかもしれぬ。
だからそれよりも――、
「あ
「だ、だから! 迂闊に吾輩を殴るな! 手首がおかしな方向に曲がってるではないか!! むうう!」
ぐにゃぐにゃになった彼女の右手首に向かって手のひらをかざす。吾輩の手のひらから、するり、と顔を出したのは真っ黒な黒猫である。
「いいい痛い痛い……い? ぅわお、猫にゃん! ちっちゃい猫にゃんの顔ー!」
とはいえ、黒豹を少々小さくして手のひらから顔を出させただけなのだが。だからまぁ厳密には猫ではないのだが、まぁ良かろう。そして顔だけなので、こいつをもふもふすることは出来ん。もふもふならばあとで寒冷地仕様の吾輩を心行くまでもふれば良かろう。
「ふわぁ、痛くなくなったぁ。ありがとう、猫にゃんの顔!」
「いや、礼ならば吾輩ではないのか」
まぁ良いが。
「とにかく、イルヴァよ。殴るなら少々手加減せんと。まぁしかし、何度も何度も砕けては治し砕けては治ししていればそのうち骨が太くなるかも。むむ、そういや少々太くなったのでは――おう」
ものすごい勢いで腹の鱗を剥がされた。
ううむ、これならばイルヴァの手も砕けぬし、魔ダニよりも痛い。さすがは元勇者といったところか。恐れ入った。
「アレックスはね、デリカシーなさすぎなんだよね」
「むぅ……。吾輩は事実を言ったまで……って、こらこら、マントで隠せないところの鱗を剥がすな」
「罰よね、罰。一番目立つところの鱗剥がしてやる。ハートの形に剥がしてやるんだから」
「そ、それだけは……! 悪かった、吾輩が悪かったから!」
「わかれば良いのよ」
ふん、と鼻を鳴らして、剥がした鱗をポケットにしまう。いやいや、その剥がした鱗どうするつもりなのだ。また呪いの材料にするとかではあるまいな?
「……それで、アレックス、午後の予定は?」
「む? そうだな。先日の勇者どもに荒らされた施設の復旧工事の進み具合を見て回ろうかと思っていたのだが。イルヴァも行くか?」
「良いの?!」
「もちろん。……それにほら、あの絵も見に行かねばならんしな」
「良いの?!」
彼女の可愛らしい小さな羽がばっさばっさと踊る。その大きさでは決して空を飛べたりはしない。それが少々不憫ではあるが。
いや、自由奔放な彼女のことである、なまじ飛行能力などを身に付けられてしまっては、どこに飛んでいってしまうかわかったものではない。だからこれくらいでちょうど良いのかもしれない。
「うむ。未来の宮廷画家にも挨拶しておかなくては」
「ちょ、マジ?」
「イルヴァの魅力をここまで表現出来る者など、国中探してもそうそう見つかるものではないからな。当然だ。――さて、そうと決まれば参ろう」
「ぅえ!? ちょっと待って。まだ着替えてないし!」
ちょっと待って、と陰干ししていた竜のマスクを左手でつかみ、治ったばかりの右手で部屋着のワンピースをわたわたと脱ごうとしているイルヴァの肩を極めて優しく叩く。何せ、ちょっとでも力を入れると肩が砕けてしまうのだ。
「良い良い、そのままで」
「ほえ? 良いの?」
「着飾るのは式典やら祭の時だけで良い。マスクもいらん」
「ぃやったー! よし、行こう行こう。お出掛けだぁ!」
イルヴァの背中の羽が、ばさばさ、ぱたぱた、と彼女の弾むような足取りに合わせて羽ばたいている。彼女自身が作った、夜空色のワンピースの裾がふわりと風になびいた。窓が開いていたらしく、蜘蛛の巣模様のカーテンも揺れている。
「早く行こうよ。先に行っちゃうからね。よーい、どん!」
と言って、吾輩の返答を待つこともなく、「どん」のタイミングで扉は閉まった。何、慌てることはない、彼女がどんなに全力で走ろうとも、吾輩が本気を出せば一瞬だ。
そんなことより――、
「……おい、エキドナ。貴様いつからそこにいた」
「あら、バレました?」
厚手のカーテンに包まっていたエキドナが、ぬるり、と顔だけを出してこちらを見た。
「バレたも何も。吾輩もイルヴァも窓なんか開けとらん。貴様いつの間に」
「ザッツ・クソセキュリティ」
「ええい、親指を立てるな! 出て行け!」
「はいはい。わかりましたよ、っと。それでは、ごゆるりとデートをお楽しみください、雑務はわたくしが」
「……む? お前が? い、良いのか?」
「ええ、もちろん。急がば回れと言いますから」
「は?」
「わたくしもね、少々反省したのですよ。お世継ぎお世継ぎと急かしすぎたな、と」
「う、うむ……わかってくれれば……」
「ですから、多少2人きりでイチャコラさせておけば、自然と出来るかなーって。むしろそれで出来なければもう魔王様のアレに問題があるとしか――」
「出て行け!! 馬鹿者!!」
「ほほほほほほほ~」
……まったく、王というのは窮屈なものだ。
愛する妻と外に出掛けるにもそれらしい『理由』が必要になるのだから。
あの2人が羨ましい。
と、先日ふらりとやって来た魔女と樹人を思い出す。
「いまはどこを旅しているのだろうな」
窓の外を見、そんなことをぽつりと呟いて、愛しい妻の後を追った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ちなみに、10日目のこの世界は、拙作『レベル1の勇者が乗り込んできたんだが。』とのコラボでした。ご興味のある方は、ぜひそちらもお願いいたします。2~30000字くらいのシリーズなのですが、カクヨムコン用にまとめたものもあります。
↓世界観(?)をさらっと読みたい方用
『レベル1の勇者が乗り込んできたんだが。』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885395772
↓いっそ全部読んじゃえ! という方用
『レベル1の勇者が乗り込んできたんだが。【カクヨムコン用DX仕様】』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887948221
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