昼食 at リャオン=ガオガガイ氏の敷地

 正直に言えば、いま俺はかなり後悔している。

 というのも――、


「見てはならないものを見てしまったな、客人」


 だからである。


 

 俺は樹人みきじんという種族で、もともとは一本の木だ。木とはいっても、俺達樹人はその辺の森ではなく、【樹人の森】にのみ生える。

 樹人の森は、この世界のすべての植物の根と繋がっている場所で、俺も2500年ほどどっぷりとその根からまぁ聞きたくもない植物達彼らのおしゃべりを吸い上げていたものだ。

 あまり知られていないことだが、植物というのはかなりおしゃべりだし、種類によっては気が強くて負けず嫌いだったりもする。自分達はこのような手段で自衛しているだの、見た目の美しさがどうだとか、果実の甘さがどうだとかとにかくうるさい。それに加えて、自分達がいかに物知りであるかを――、つまり知識をひけらかしてくるのである。


 だから樹人俺達というのは、植物が根を張っている場所については、その土地に生きるものや風土なんていうのもすべて聞き知っている。ただ、浮島については別だ。あそこはその名の通り海に浮かんでいる島だから、根が俺達の森まで伸びていない。


 だけど、ここはもちろん違う。しっかりと根は伸びている。だから、リ族という種族のことだって知っているし、ここに生えている植物のことだって知っている。リアンジョの髪のことだって知っているし、リナンダンが妻のために自身の髪を――というか頭皮を犠牲にしていることも知っている。彼らの身近に生えている植物達が面白おかしく報告してくれたからな。

 でも、俺はもう50年ほど前にお嬢に引っこ抜かれた樹人だから、それ以降に起こった出来事なんかはさすがにわからない。俺が根を張っていた頃というのは、髪を伸ばし、その結果妻を捨てようとしたリナンダンというのは、マウ=リィの言う通り、吊し上げられていたらしい。村の広場に。

 生きているか、死んでいるか? そうだなぁ、そのリナンダンの周りにはアブラナメと呼ばれるコバエがぶんぶんと飛んでいたらしいから、まぁ恐らくはそういうことなんだろう。


 ああ、話が脱線してしまった。

 つまり、だ。

 俺はこのリ族について、何でも知っているつもりでいたけれど、実はそうじゃなかった、ということなのである。



「あれ、何してるのかしらね」

「さぁ。気になるなら行ってみるか?」



 そんな会話の後、ヂャダカの実をたらふく食って満足したお嬢は、早速向こう岸に行こうと言った。どこかに橋はないものかと見回してみたが、どうやらそんなものはないらしい。が、そこで諦めることはない。何せ俺達は空を飛ぶことが出来るのだから。


 で、ぴょん、と川を飛び越えて向こう岸へと渡り、揚々とそのテントを叩き――といっても『ばふばふ』という音しかならなかったが――「はぁい」という声が聞こえたところで、お嬢はこれまた元気よく「ごめんくださぁい」と、その入り口の幕をぺらりと捲ってしまったのである。


 そこで行われていたこと――、それは、髪染めだった。

 そう、コウ=ミンファ旅館の中庭朝食処で働いていたマウ=リィの髪染めだったのである。


 知らなかったんだ、よそから来た男が髪染めを見てはいけないって。

 ここはそこまでよそ者に対して厳しい土地ではなかったはずだ。婿に入るとなれば髪をすべて剃り上げる必要はあるが、そこさえクリア出来るのであれば、別に生粋のリナンダンでなくても良かったし。まぁ、それなりの覚悟を持って婿に入るわけだから、それで妻を――妻の髪を大事にしないとなれば重いペナルティが課されるわけだけれども。


 それで、いまの俺は、というと。

 お嬢と分けられて、こうして、マウ=リィの父であるリャオン=ガオガガイ氏と向かい合っている、というわけだ。

 一応、見てまずいのは男である俺だけだということで、お嬢の方は外のテントでマウ=リィの母親と一緒に彼女の髪染めを手伝っている。


「俺は一体どうしたら良いんだ」


 何かしらの詫びが必要なのだということであれば、例えばそれが金でどうにかなるということであれば、ここにいくらでも積む。その黄金の輝きでコイツの目が眩むほどに出したって良い。


「どうしたら良い、か。髪染めを見てしまったよそ者は、その娘と結婚し、この地に住む、というのが掟だ。だから、客人よ、その髪をすべて剃ってウチのマウ=リィと結婚してもらう」

「嫌だ」


 即答である。

 そんな掟聞いたことないぞ。

 新しく出来たのか? この50年のうちに。


「嫌だと言われたら、連れの者の――」

「おい、お嬢に何をする気だ!」


 ほとんど無意識に彼の胸倉をつかんでいた。彼は、これまで大人しくしていた俺が急に声を荒らげ手を出してきたので、少々ひるんだ様子である。しかし、苦しそうにひとつふたつと咳ばらいをし、俺の手を振り払うと、乱れた上着をさっと直してから、ふん、と鼻を鳴らした。


「連れの者の髪をもらうだけだ。何も手荒なことをするわけじゃない。野蛮なやつめ」

「何が野蛮なやつだ、そっくりそのまま返してやる。お嬢の髪をもらうだと? 充分手荒なことだろ。絶対にそんなことはさせないからな」


 こいつは魔女にとって髪というのがどんな意味を持つのかを知らないからそんなことが言えるのだ。リアンジョがその長さ――というか、正しくはその重さ、だが――によって髪置台かみおきだいを与えられ、成人と見なされるように、魔女もまたその髪の長さによって一人前であるか否かを判断されるのである。

 魔女の髪はただただ放置していれば伸びるというものでもない。新しい魔法を覚える度、出来ることが増える度、少しずつ少しずつ伸びるのである。髪が肩につかないうちは半人前だ。独り立ちもさせてもらえないし、自分で箒も選べない。


 だから、一度切ってしまったら、元の長さにまで伸ばすのは困難だ。特に、お嬢のように一通りのことを習得してしまった魔女は。


「他に何かないのか。金なら――」

「金を払いたいというのら、それはそれで拒みはしない、がな」


 そこで彼はにやりと笑った。


「しかし、連れの者の髪が駄目となると――、やはりウチの娘と結婚してもらうほかないのだよ」

「だったらお嬢を連れてここを逃げるだけだ」

「逃がすわけなかろう。連れの者がいまどこにいるかも知らんくせに」

「どこにって……外でマウ=リィの髪染めを……あれ、いない!!」


 急いで外へ飛び出してみるが、そこにいたはずのお嬢の姿はおろか、マウ=リィも、その母親もいないのである。そこには、さっきまでマウ=リィの髪染めに使っていたらしい色水を張ったたらいがあるだけだ。


「連れの者を無事に返してほしくば、婿に来い、客人よ」


 結婚するのは絶対に嫌だ。

 かといって、俺がそれを了承しなければ、お嬢の髪が切られてしまう。

 だとすれば、もう俺の選択肢なんてひとつしかない。


「……ひとつ条件をつけさせてもらう」

「何だ」


 まずは何をさておいても、これだけは念を押しておかなくてはならない。


「お嬢に何か美味いものを食わせてやってほしい」

「何?」

「飯だ。お嬢はきっちり3食――欲を言えばさらに間食もほしいところだが、食べなくてはならないんだ。それも、彼女が満腹になるまで」


 俺がいなくても、旅は続けられる。

 もしもう一度会えるなら、お嬢に持てるだけの金を渡そう。それが尽きた後のことは心配だが、いざとなったら薬を売って金にすれば良い。お嬢にだってそれくらいのことは出来るだろう。


「無事に返すだけじゃ駄目だ。お嬢が満足するまでたらふく食わせてやってくれ。約束してくれるなら――」

 

 ごめん、お嬢。

 本当はずっと一緒に旅をしたかったけど。


「結婚しよう、マウ=リィと」




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「成る程、染料にしばらく浸けた後、お日様に当てるのね。でも、これ一日で乾くのかしら」


 乾煎りしたダンというナッツ(さすがにここまで短い名前なら覚えられるんだから)に砂糖をまぶしたものをぽりぽりとつまみながら、ツマヤヒ花茶をごくりと飲む。ふわりと鼻から抜ける香りがとても良い


「一日ではさすがに乾きませんよ。乾かすのが目的ではないんです、日光に良く当てることで、色を定着させるんです」

「そうなんだぁ。でも、濡れたままだと何も出来ないんじゃない? それにほら、お洋服とかに色が移っちゃいそう」

「色移りは仕方ないです。だからそのための服を着てるんですよ」


 と、答えてくれたのはマウ=リィのお母さん。リウ=メイさんという名前で、こちらもまぁ見事な髪である。色はツマヤヒの花のような鮮やかな黄色だ。成る程、母子で同じ色にしたかったのね。

 だけどマウ=リィが選んだのは、私の髪と同じ夕焼け色だ。私の髪を見て、これが良いかもと思ったらしい。まぁ何も一生のうちに一度しか染められないというわけでもないし、この色に飽きたらツマヤヒ色にすれば良いのだ。


「それに髪染めの後は、乾くまですべての労働が免除されるんです。何せ乾くまで髪を結わうことが出来ないわけですから。髪染め中のリアンジョは髪が乾ききるまで、毎日外に出て日光を浴び続けるんです」

「へぇ~。雨の日は? 雨の日はどうするの?」

「ここは元々あんまり雨の降らない土地ですけどね。それでも全く降らないというわけではありません。その場合はそこの温室に避難します」

「ほうほう、成る程成る程~。これ美味しいわねぇ。あ、ない!」


 気付けばお皿の上のナッツはなくなっていた。

 私達がいるのは、髪染めを行ったマウ=リィの家のテントから500mほど離れたところにある屋外炊事場である。すぐ隣には花や果物を育てている温室がある。この時間帯はここが一番日当たりが良いらしい。


「まだ食べますか? もっと煎りましょうか。それとも、何か別のをお出しします?」

「え~うふふ、良いの~? 何か別のも食べたいなぁ、私」

「良いですよ、それじゃあ……」


 と、リウ=メイさんはカッティングボードの上でマンダリナンという果実を輪切りにした。しゃく、という小気味良い音が聞こえてくる。それを熱したフライパンの上に置くと、果汁が、じゅわぁ、と音を立てる。それと共に、甘酸っぱい香りが辺りを包んだ。軽く焦げ目がついたのを確認してからひっくり返し、こちらにも焦げ目をつける。両面を焼いたら、ぱらぱらと砂糖をまぶして、仕上げにほんの少しのツマヤヒ茶を注ぎ、蓋をして蒸す。そうして出来上がったものを薄く焼いたパンに挟めば出来上がり。


「はい、どうぞ。マンダリナンのサンドイッチです」

「ううう……もっちもちのパンにしゃくしゃくとろりんのマンダリナンが最高のハーモニー!!!」

「マンダリナンはそこの温室で育てているやつですからね、新鮮ですよ」

「んふふぅ~。しゃくしゃくのもちもち~。これ、サルにも食べさせたいわぁ~」


 そうよ、すっかり忘れていたけど、サルってば、まぁーだお話終わらないのかしら。それにしてもマウ=リィのお父さん、ずいぶんおっかない顔してたけど……。


「お連れの方には、私が後でお届けしておきますよ」

「ほんと!? お願いね、リウ=メイさん」


 これ絶対サルも好きな味だもん。良かった良かった、これで一安心。


 シートの上に広がっているマウ=リィの髪は、夕暮れ時の川のようで、とってもきれいだ。私の髪も三つ編みを解いたらああなるのかな。なんてことを考えてみる。


 さて、サルのお話が終わったら、ここを出てどこに行こうかしら。


 ケイルヒッツの奥の奥?

 それとも、思い切って別の国?

 あー、でも今日は何だかヘルシーな感じだったから、何かこってりしたのが良いかも。


 ああ、ぽかぽかと良いお天気。

 ちょっと眠たくなってきたわねぇ。


 見れば、マウ=リィも何だかうとうとしている。


「ちょっとだけ、お昼寝しない? サルが戻って来るまで」

「そうですね。のんびり待ちましょう」

「では、私はお連れ様にサンドイッチをお届けに行ってきますね」

「ふぁ~い」


 ああほんと、良い天気だわ。

 お腹もいっぱいだし。


 おやすみなさい。



【昼食:リャオン=ガオガガイ氏の敷地】


 ダンを煎って砂糖をまぶしたやつ

 ツマヤヒ花茶

 マンダリナンのサンドイッチ

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