間食 at カカン=トァン=ツァール川のほとり
「……本当に川が多いのねぇ。周りは砂だらけなのに、変な感じ」
さくさくと砂の上を歩きながら、お嬢が首を傾げる。
「砂だらけと言っても砂丘だからな。砂漠ってわけでもないし。それに、第一、砂丘とは名ばかりだぞ、ここ」
「ほぇ? そうなの?」
お嬢が素頓狂な声をあげてキョロキョロと辺りを見回す。そして、むすっと眉をしかめ、頬を膨らませた。
「嘘、どこからどう見たって砂だらけじゃない」
と、腕を組み、抗議する。
いやいや、それに関しては俺は一歩だって引く気はないぞ。いくらお嬢がそんな可愛く抗議をしても、だ。
「お嬢、落ち着け。俺を誰だと思ってるんだ」
「え? サルメロ?」
「いや、うん、名前じゃなくてな? 良いからちょっとしゃがめ。それで、手ェ出せ。まずは片方だけ」
「何よぅ」
お嬢は、渋々といった体でその場にしゃがんだ。それでも律儀にこちらへ手を差し出してくれるのは、一応俺を信頼してくれているからだろう。そう思いたい。
その小さな手のひらに、砂をひと掬い入れる。そしてその手のひら一杯分の砂の山の中をゆっくりと指でかき混ぜ、それを探す。
「サル? 何してるの?」
「ほら、いたいた。お嬢、もう片方の手、早く」
「んもぅ! なぁーによぅ。だいたいこの私に命令するなんてねぇ……」
などと、ぶつくさ文句を良いながらも、ちゃんともう片方の手も出す。ウチのお嬢はお利口さんなのだ。
「ほら、よく見ろ」
「んんん? 何? 石?」
もう片方の手のひらの上に置いたのは、
目を近付けてよく見ると、全身にごくごく短い毛のような根がびっしりと生えている。
「これはニナモという砂辺を好む花だ」
「花? これから咲くの?」
「いや、もう咲いている。ニナモの花は肉眼だと見づらいかな。お嬢の家にある拡大鏡でも使わないと」
「そうなんだぁ。でも……うん、確かにほんのり甘い香りがする。ほんとに花なのね」
お嬢が目を細めてにこりと笑えば、俺にとってはどんな花よりも愛らしい。さっきまであんなにぷりぷりしていたのに。
ニナモはざらざらとした小石のような見た目にも関わらず『水泡花』とも呼ばれ、繁殖能力のかなり高い植物だ。その小さな身体は多くの水分を蓄えることが出来るのだが、生命維持に使用されるのはその中でもごくわずかである。
彼らは同胞が近くにいるとその短い根毛をわさわさと必死に動かしてどうにか移動し、触れると互いの根をがっちりと絡ませながらその数を増やしていく。そうして徐々に大きくなり、平べったいコロニーを形成するのだ。
「こんな可愛い花の上を、私ったらさくさく歩いちゃった……。ごめんなさい」
しょんぼりとお嬢が肩を落とす。そして、いまからでも飛んで移動しようと思ったのだろう、手のひらのニナモを砂の上にそぅっと置くと極力その場から動かないようにして俺に向けて手を伸ばしている。
「ん! ん!」
と、催促までして。
いや、しゃべるのは良いだろうに。
「落ち着けお嬢。こいつらは踏んでも大丈夫だから」
「大丈夫って言われても!」
「ニナモは単体でも7~80㎏程度の重さに耐えられるんだ。この大きさなら2~300㎏は大丈夫だろ」
「む? 何ですと?」
そう、ニナモは重さにも強い。
5cm四方程度の小さなコロニーでも数tは耐えられる。
「だから気に病む必要はない。むしろ、ニナモは踏まれ続けて来たからこそ、こういう風に進化したんだ」
「成る程ぉ~」
ニナモを返した辺りをじぃっと見つめ、お嬢は感心したような声を上げた。
さて、俺達がやって来たのは『カカン=トァン=ツァール川』というメウヒアナ最大の泥流である。メウヒアナには清流だけではなく、泥流も多い。特に栄養価の高い泥を多く含むカカン=トァン=ツァール川のほとりには、その泥を求めて小動物が集まってくる。そのほとんどが狩りの対象にもならないメカンズクやリョナカズクといった小ネズミと、イコウズラ、アチラズラなどの大型の蝶々で、これといった深刻な病気を運ぶヤツらでもない。まぁメカンズク辺りなら噛まれりゃ多少痛いは痛いけれども。その程度だ。
ここへやって来たのは、ただ単にメウヒアナ最大の泥流を見物するためではない。
いや俺としては、もちろん川を見るのも良いんだが、お嬢だからな。目的がそれなわけはない。
「で? 一体どこにあるのかしらね、あれ」
「あれはなぁ……昔聞いた話だと……この辺りのはずなんだけど……」
そう、ここへ来た目的はただひとつ。
泥流のほとりにある『ヂャダカ』という木を探しに来たのである。
ヂャダカというのは1m程度の低木で、水色の小さな実をたくさんつける種だ。ヂャダカの実は、収穫直後であれば生食が可能なのだが、もいでから約1時間で腐り始めるという、究極に足が早い果実である。
収穫後1時間以内に加工が出来る環境であれば、ジャムなどにすることが出来るのだろうが、粒が小さいために、鍋にいっぱい用意するだけでも相当の時間がかかってしまう。つまり、大量に生産することが出来ない。
そういう理由でもぎながら食べることを推奨されているわけだが、それにも問題がないわけではない。
ヂャダカの木が生えるのは泥流のほとりといったが、根の半分は川の中に浸かっていることが多い。だから例えば雨が降った翌日などは樹の半分以上が隠れてしまう。ただ、それによって実に影響が出る、ということではない。単純に危険、ということである。そうでなくとも泥流のほとりというのは足をとられやすい場所だ。このヂャダカの実を食べようとして足を滑らせて川に落ち、そのまま流されてしまう子どもも多いらしい。
まぁ最も、俺達のような観光客は自己責任の一言で片付けられるのだが。
「お嬢、あった。あれだ」
数メートル先に見えたその木を指差す。
するとお嬢は「やったぁ!」と可愛らしい声を上げて走りだした。
ざっしゅざっしゅと砂の上を駆けていく。
「お嬢、走るならもう少し川から離れろ。落ちたら大変だ」
「はいはぁ~いっ」
こんなところでまさか砂を足を取られ、まんまと川に落ちる――なんてへまをするようなお嬢ではない。さすがに。充分に川から距離をとり、それでも速度を落とさずに駆けていく。彼女が走るのに合わせ、長い三つ編みがぴょんぴょんと弾む。夕焼けがそのまま染み込んだような、美しい赤。それが日の光を受け、きらきらと輝いている。お嬢に装飾品の類がいらないと思うのはこんな時だ。
太陽が眩しい朝には、絹のように滑らかなこの夕焼け色の髪が光を反射させて彼女を包み、
月のきれいな夜には、俺をまっすぐ見つめる琥珀色の瞳がとろりと潤む。
俺は
「サルぅ~!! 早く早くぅ~! めっちゃくちゃ美味しいよぉ~」
「おい、いつの間に食ってんだ、お嬢!!」
足の遅い俺を置いて、お嬢はすでにヂャダカの木に到着していた。俺の分を残すなんて頭にないのではと思うほどの勢いでぷちぷちと食べている。早く来ないのが悪いのよ、とでも言いたげに。
良いけどさ、お嬢が満足ならそれで。
でも俺にも食わせてくれ。
一粒でも良いから。
そう思いながら必死に砂の上――いや、ニナモの上か、これは――を走る。
ざしゅ、ざしゅ、と。
泥流はごうごうと勢いよく流れている。
川との境目に生えている雑草に付着した泥を、メカンズクがその長い前歯でこそげるようにして食べているのが見えた。
そしてその泥流の向こう岸には、小さな家がぽつぽつと建っている。そのどれもが白い壁に、赤錆色の屋根。家を囲むように背の高い植物を植えているが、あまり手入れはしていないようだった。
その家と家の間に、真っ白いテントが張られている。
そしてその中に人がいるのがシルエットでわかる。
何をしているのだろう。
そう思いながらお嬢のもとへ駆けると、俺が走りながらちらちらとそちらの方を見ていたことに気付いたのだろう、彼女もまたじぃっとテントを見つめている。が、手と口はひっきりなしに動いていたが。
「あれ、何してるのかしらね」
「さぁ。気になるなら行ってみるか?」
「良いわね。そうだ! さっきのアレも聞かなきゃだしね。これ食べたら行ってみましょ」
さっきのアレ――、あぁ、旦那が出ていってしまった妻がどうこうってやつか。
いや、いかん、よそ見なんかしていたら食い尽くされる!
と、慌ててヂャダカの実に手を伸ばす。小指の爪ほどの大きさの小さな実は、まん丸ではなく、雫のような形をしている。皮は少し硬めではあるが、そのまま食べられる。種はかなり意識しなければ果汁と共に飲み込んでしまうくらいに小さく、そして柔らかい。
ヂャダカの種は、やはり泥流のほとりに植えなければ育つことは出来ない。その種は、落ちた実を食べたメカンズクやリョナカズクによって運ばれ、やはり泥を食べようと別の泥流に移動したところで糞をすることにより、その地に芽を出すのである。
だから、それについてはお前達に任せたぞ。
足元で泥を舐めているリョナカズク達の近くにぽとりと数粒の実を落とし、彼らがそれに食いついたのを見届けてから、俺は、残りわずかとなっているその実を口に運んだ。
【間食:カカン=トァン=ツァール川】
ヂャダカ(極小群青苺)の実
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