間食 at リャオン=ガオガガイ氏の敷地内にある小屋
目が覚めると、私は室内にいた。
おかしいな、さっきまでは確かにぽかぽかお日様の下にいたはずなんだけど。
それに、一緒にいたはずのマウ=リィもいない。先に起きてどこかに行っちゃったのかしら。でも、あんなに長い髪を解いたままで? あー、でも、雨が降ったら温室に移動するって言ってたし、陽が落ちればさすがに家の中に入るわけだし、動けないってわけじゃないもんね。
それにしてもいま何時で、ここはどこなんだろう。
ちょっと肌寒い。ということは、だいぶ陽が落ちているのかも。あらら、おやつ食べ損ねちゃった?! んもう、私ったら、何時間寝てたのかしら。
とりあえず、サルと合流しなくちゃ。さすがにもうお話も終わったでしょ。
それで、夕食を食べてからここを発って――、いや、それともここを発って別のところで何か食べる、とか? ううん、悩むわぁ。
よいしょっと、立ち上がったその時だった。
がちゃ、と扉が開いて、緩くまとめた髪を台の上に乗せたマウ=リィが顔を出した。
「あの、オリヴィエさん、ちょっとお話が……」
「え? 私に? 何かしら」
と、髪置台の車輪をカラカラと滑らせながら、室内に入ってきたマウ=リィの手には、何やら良い香りのするバスケットが握られている。彼女は脇に挟んでいたシートをばさりと広げると、まだずしりと重いその髪をその上に下ろしてその場に座った。
「ええと、とりあえず、お腹空きませんか? さっきのサンドイッチの残りで申し訳ありませんけど。食べます?」
「食べる食べる!!」
「お茶もあります。ちょっと冷めちゃいましたけど、これは常温の方が美味しいお茶ですから」
「ううん、これも良い香り~。メウヒアナは花茶の宝庫ねぇ」
「ココの特産なんです。これはモウコレンの花茶で、喉に良いんです。リアンジョのおしゃべりには欠かせないお茶なんですよ」
「ふんふん、成る程。これを飲めば延々とおしゃべりが出来るってわけね」
「そういうことです」
私達はサンドイッチをつまみながらモウコレン花茶をごくごくと飲んだ。さすがにマウ=リィと一緒に食べるとなれば、多少控えめに、を心がける必要がある。大丈夫、後でサルと何か食べに行くんだもん。これは食べ損ねたおやつよ、おやつ。
「そうそう、それで、私にお話って、何?」
「はい、ええと、お連れ様のことなんです」
「サル? サルがどうかしたのかしら」
「それが……。私の父がですね、サルさんと私を無理やり結婚させようとしているようでして」
「――ぶふぇっ!? ご、ごめんっ! ちょっと吹き出しちゃった。え? 結婚? 結婚って? 何で!?」
「先ほど、私の髪染めを見ましたよね? 本来は、あの髪染めというのは、よそから来た男の人が見てはならないものなんです」
「そんな! 知らなかったの、ごめんなさい。でも、結婚なんて駄目よ! 絶対駄目!」
「私もそう言ったんですけど……集落の掟は絶対で」
「そんなぁ! ねぇ、どうにかならない? 私の大切な人なの! これからもずっと一緒にいるって約束したのよ!」
どうしよう。
私がここに行こうなんて言ったばっかりに……。
「ねぇ、どうにかならない? 私、何でもするから!」
だって私のせいなんだもん。
私がわがままを言ったせいで。
「それでは――髪をいただけますか?」
「髪?」
「そうです。髪染めを見てしまった男性に、もし伴侶ですとか、恋人がいる場合はその方の髪を差し出すべし、と。2人の仲を裂いてまで無理に結婚させなくとも、ということらしくて。その謝罪の印、といいますか」
そこでマウ=リィは申し訳なさそうな顔で私を見つめた。
そうよねリアンジョにすれば、髪を切るなんてとんでもないことだもの。
それに、まぁ、一応魔女も髪を切るのはご法度って言われている。だけど、私の髪とサルを天秤にかけたら、もう一瞬でサルの方に傾く。それは間違いない。そんなの当たり前でしょ。
「良いじゃない! よっし、切るわ! 私!」
じゃ、ハサミ貸して! と立ち上がると、マウ=リィは目をまん丸に見開いて「切るんですか!?」と声を上げた。
「え? 駄目?」
「だ、駄目じゃないです……けど、本当に? 髪ですよ? あなたの髪ですよ?」
「私の髪に決まってるじゃない。だって、そうじゃないとサルはあなたと結婚しちゃうんでしょう?」
「……そうです」
「だったらちっとも惜しくなんかないの。ほら、ハサミ早く早く。ばっさりやっちゃうから」
「ええと……いま持ってないんです」
「困ったわねぇ」
だって一刻を争うのよ?
私、まだまだお腹ぺこぺこなんだもの。早くサルと合流して美味しいものをお腹いっぱい食べたいんだから!
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ああ、とうとうこの髪ともおさらばか。
目の前に並べられているのは、ハサミと剃刀、そして、紙やすりだ。
首の周りにはしっかりとケープも巻かれてしまっている。
準備万端、絶体絶命である。
「客人……いや、サルメロ殿。式は剃髪終了後すぐだ」
「ああ、そうかい」
「浮かない顔をしているな」
「そりゃそうだろ。何が悲しくて好きでもない女と結婚しなくちゃならないんだ。しかも髪まで剃られて」
「感情なんて後からどうにでもなる。マウ=リィは集落一の美人だぞ」
「それはあんたの欲目だろ。俺はそうは思わない」
「何だと」
「俺のお嬢の方が何倍も美人だ」
「ふん、それこそ欲目だろう」
「だったらおあいこだ」
そう言うと、リャオン=ガオガガイは「はっ」とせせら笑った。そして、ぴかぴかに磨き上げられたハサミを手に取った。
「まぁ、どうでも良いんだ、貴殿の好みなんてものは。とにかくマウ=リィと結婚してくれれば」
「マウ=リィはそれを望んでいるのか?」
「何?」
「さっきからアンタとかアンタの奥さんとしか俺は話をしていない。俺の妻となるマウ=リィとは、結婚が決まってから一度も顔を見ていないし会話もしていないんだが」
朝食処で会話をしたきりだ。それも従業員と客という関係で。
「マウ=リィの意思なんて関係ない」
「何だと」
「結婚なんてそんなものだ。さっきも言っただろう、感情なんか後からどうにでもなる」
「アンタそれでも父親かよ」
そういう掟があるのは良い。掟というからにはそれが必要なのだろうから、それは仕方ない。その中で生きなければならないのは窮屈かもしれないが、そういうものだと諦めもつくだろう。だけど、少しくらいは娘の意思を尊重したりだとか、そういうのはないのだろうか。
集落の男ならまだしも、俺なんて完全によそ者なんだぞ。俺がもし嫁を大切にしないようなやつだったらどうするんだ。暴力を振るったり――するような。しないけどさ。
「俺はマウ=リィの本当の父親じゃないんでね。アイツが家を出て行ってくれた方が助かるんだよ、俺は」
「厄介払いか」
「そこまでは言っていないさ。思っててもな」
こんなやつが義父になるのかよ。
さて、と、リャオン=ガオガガイはにやにやと笑いながら、しゃきん、しゃきん、と俺の目の前でハサミを動かして見せた。
「そろそろおしゃべりはおしまいだな」
そう言って、俺の前髪を乱暴に掴み、そこにハサミを、す、と入れた。
……さよなら、俺の髪。
と、その時。
「はぁい、ちょっと待ったぁ――――!!」
ばぁん、と勢いよくドアが開き、お嬢が飛び込んで来た。
「お嬢!?」
「ちょっとそこのマウ=リィのお父さん! 手に持ってるそのハサミ、私に貸してくれないかしら!」
「――は?」
「早く! ハサミを貸しなさいってば!」
ずかずかと足を踏み入れたお嬢は、この俺の状態に一言も突っ込みを入れることもなく、ただひたすらハサミを寄越せと譲らない。
「……良いけど。何をする気だ?」
お嬢に急かされたリャオン=ガオガガイは、しぶしぶといった体でお嬢にハサミを手渡した。何かもう嫌な予感しかしない。
「私の髪を切るのよ。それで良いのよね?」
「何?」
「止めろお嬢! お嬢の髪は切っちゃ駄目だ!」
「良いのよ、サル。私はね、
「ど……どれくらい……と言われても……」
「さっさとして頂戴。私、とっととここを発って夜ご飯食べに行きたいのよね。もうお腹ぺこぺこなのよ」
「お嬢……」
「サル、今夜はがっつりしたもの食べに行きましょうね。うーんと味の濃いやつが良いわ。揚げ物……うん、そうね、揚げ物が良いわ。それで、ソースもたーっぷりかけちゃうから、私。今日ばかりは止めたって無駄よ。私もうちゃっぷちゃぷにかけちゃうんだから」
「そ、それは良いけど。いや、お嬢、それでも髪は……!」
「だから良いんだってば。良いじゃない、髪の短い魔女がいたって」
そんなことを言いながら、お嬢は右肩から垂らしている三つ編みを掴み、ハサミを構えた状態でリャオン=ガオガガイに向かって「早くしてよ!」と足を踏み鳴らしている。
「は、半分くらい……」
「半分? たった半分で良いの? 本当に良いのね? 私は良いのよ、根元からでも?」
「や……!」
止めろ、と俺が椅子から立ち上がるより先に、お嬢のハサミが動いた。
お嬢の一部だった三つ編みが、数時間前、彼女が走るのに合わせてぴょんぴょんと元気よく跳ねていた夕焼け色の三つ編みが、彼女との繋がりを断ち切られてだらりと垂れている。
もともとが尻の方まであったわけだから、半分切ったとしても、肩よりは長い。そのことに少し安堵した。けれども。
「お嬢の……髪が……」
お嬢は自身の手の中にある三つ編みを見て「ふうん」とだけ言うと、それをリャオン=ガオガガイに向かって投げつけた。
「とっとと私のサルを返して頂戴。これで文句はないんでしょ」
彼の顔も見ずにそう言って、お嬢はツカツカと俺の元へと歩いて来た。
「さ、行くわよサル。さっきも言ったけど、私、お腹ぺこぺこな――」
だぁん、という音がした。
床にその振動が伝わってくる。
誰かが強く足を踏み鳴らした音だ。
音の方を見る。
真っ赤な顔のリャオン=ガオガガイが尚も強く足を踏み鳴らして――いや、何かを思い切り踏んづけている。
その足の下にあるのは――、
お嬢の三つ編みだった。
【間食:リャオン=ガオガガイの敷地内にある小屋】
マンダリナンのサンドイッチ
モウコレンの花茶
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